幻冬舎
800円+税
2016年1月
評者:山根正幸(連合企画局次長)
本書は、1948年から1953年にかけて中学・高校で使用された社会科教科書「民主主義」の復刻版である。原典の「民主主義」は、GHQの下で法哲学者の尾高朝雄らが編纂し、経済学者の大河内一男など当時の一線級の執筆陣も参加したとされる。今回の復刻では、上下巻全17章にわたる原典を新書におさめるべく、編者がとくに重要と考える部分を整理し、全10章ならびに補章に再構成している。戦前の政党政治や軍部独裁などがもたらした惨禍の反省に立脚し、「民主主義の根幹は人間尊重にある」ことを主題に、その理念や発達の歴史を解説するとともに、実践に向けた心構えを説いている。
第1章は「民主主義の本質」について説く。民主主義とは単なる政治上の制度ではなく、自己のみならず他者をも尊重しあう精神的な心構えと態度にこそ宿るものであり、それを社会生活、経済生活、政治生活のいずれにおいても、どこまで本物にできるかが問題であるなどとする。「民主主義の根幹は人間尊重である」、これが全編を通じて繰り返される重要なメッセージであるといえる。
第2章は、「民主主義の発達」として、欧米における政治改革の歴史が紹介される。第3章から第4章では「選挙権」「多数決」について、選挙権拡大の歴史回顧、間接民主主義がもつ意義とともに、政治家や政党は選挙の後も行動をチェックし育てる心構えを説いている。この中で多数決については、その弱点として多数党の横暴から独裁政治に陥る危険をナチス台頭の歴史を挙げて指摘し、それを防ぐには言論の自由が重要であるとする。
第5章から第7章は、それぞれ「目ざめた有権者」「政治と国民」「社会生活における民主主義」と題し、世論の重要性と世論操作への注意喚起、情報リテラシーの重要性を訴える。政党と国民の関係について、戦前の政党政治が、相手政党への攻撃のための攻撃が「どろ試合」化し、また「金権政治」による腐敗が軍部独裁を招いたことを引き合いにしながら、政党が公党の自覚に徹底し、民主主義的な組織運営、相手政党の立場を理解する雅量を持つことを説くと同時に、国民も目覚めた有権者として、積極的に政党の方針を激励あるいは批判し、自分たちの仕事として努力することが必要としている。
この中で、「宣伝で国民をあざむく五つの方法」が掲げられている。「競争相手を悪名をもって呼び、民衆に反感を持たせる」「自分のいうことに美しい着物を着せる」「自分たちのかつぎあげようとする人物や、自分たちのやろうとする計画を、国民の尊敬するものと結びつける」「民衆の気に入るような記事、人々が感心するような写真を新聞などに出す」「真実とうそをじょうずに織りまぜる」、現代でも十分留意すべき事柄ではないだろうか。
第8章と第9章は、「日本における民主主義の歴史」「日本国憲法に現れた民主主義」の表題で、日本における民主主義の歴史について、ペリー来航から、明治政府による「四民平等」、自由民権運動、議会開設と政党政治のおこり、大正デモクラシー、労働・社会運動の高揚と普通選挙運動を紹介。そして政党の堕落と軍部の台頭、「問答無用」の言論封殺、やがて太平洋戦争に至る流れを振り返る。同時に、民主主義の立場からみた明治憲法の問題点として、勅選議員や多額納税者議員など選挙によらない議員の存在、独立命令や緊急勅令など強い行政権、そして統帥権の独立などを指摘。そのうえで、日本国憲法に現れた主権在民への転換、明治憲法とは異なる性格の二院制、国会が国権の最高機関であることの意味などを解説している。この中で「国民のための政治」の根本を形成する自由権として、言論の自由、信教の自由、恐怖からの自由、欠乏からの自由の4つを挙げ、欠乏からの自由の基礎として経済民主主義が重要であるという憲法25条、27条、28条の相互関係を説明している。
第10章は「民主主義のもたらすもの」と題し、実践に向けた心構えを説く。
「まだまだ日本人の心の中には、民主主義というと、何かしら「外から与えられたもの」という感じが抜けきれない(略)民主主義は、自分たちの力を信じ、盛り上がる意気ごみで互に協力するのでなければ、ほんとうには栄えない。」と、他力本願は再び独裁を招くと警鐘を鳴らす。また、戦後改革による混乱に乗じた左右全体主義の台頭への警戒もあってか「一時の混乱で思うようにいかないとあきらめてしまうのはかえって危険である」と説く。そして、結びでは「日本の将来の希望は、討論しつつ実行し、実行しつつ討論する、国民すべての自主的な意思と努力のうえに輝いている。(略)まず働こう。やってみよう。」と呼びかける。
「補章」では原典から割愛された部分が再構成されている。経済民主主義をどう実現するか、労働組合の重要性、女性参政権の意義、「世界国家」建設の是非をめぐる議論が紹介されている。この中で労働組合については、労働契約の非対称性、民主主義の根本精神である人間尊重の観点から、労働条件の是正と生活環境の改善をはかる上での団結の重要性など労働組合が持つ重要な意味を説く。そして団結権を認め、法律によって労働組合の発達を助長することは経済民主化に向けた大きな進歩であるとしている。
ちなみに、原典における労働組合に関する章では、前記のほか、働く人々の精神的文化的水準の向上であるとか、後の生産性三原則にもつながる労使間の相互理解や成果の適正配分の重要性を説く記述が見られる。また、「労働組合は民主主義の学校である」ことが繰り返され、組合員一人ひとりが先生であり生徒であること、民主的な運営への不断の努力、勤労者の立場からの政策要求活動の正統性などが説かれている。そして、組合員一人ひとりが決して受け身になることなく、労働組合を自らの、自らによる、自らのための組織として運営することが、経済や社会の繁栄に必ずや繋がるだろうと鼓舞する。いずれも、労働組合に関わる者としては折に触れ読み直したい内容である。これらの記述が割愛されているのは残念ではあるが、復刻の契機が政権与党の政治姿勢に対する危惧にあったとすれば、その優先順位の差と受け止めたい。なお、この章を含めて原典は国立国会図書館のWEBサイトで閲覧ができる。一読することをおすすめしたい。
これまで見てきたように、一般的な解説にとどまらず理想論にまで踏み込んでいるところが随所にみられるのは、その後の教科書とは趣を異にしている。戦前と同じ轍を踏ませぬためにも何としても民主主義を定着させねばならないという、GHQや国内各層の強い思いの表れともいえる。
冷戦の勃発やいわゆる「逆コース」政策もあいまって、原典は短期間で姿を消した。その後も現代に至るまで、社会経済構造の変化、雇用・生活における格差、政治をめぐる様々な問題などが人々の不満や不信を生み出している。ただ、それらの問題の要因自体を生み出しているのも民主主義的な枠組みである。そのことを考えれば、よりよい社会に向けて、人間を尊重し、自由を守る基盤をつくり、政党や政治を育てるそのための主体的な関わり方としての民主主義を、現代に生きる私たちは使いこなさなければならないのではないか。批判のための批判に終始したり、メディアやWEBの情報に一喜一憂したりするだけでは何も変わらない。政党政治、社会保障、労働政策、労使関係、いずれにおいても、課題を自分のこととしてとらえて行動することの意義を問い直す意味でも、参照すべき文章が詰まった一冊であり、時宜にかなった復刻ではないかと思う。
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