村田沙耶香
『コンビニ人間』

ともにがんばりましょう

文藝春秋
1,300円+税
2016年7月

評者:前田藍(連合総研研究員)

 主人公は「普通」であることが分からず周囲になじめない36歳の女性。主人公の行動は、いつも周りをぎょっとさせてしまう。自分のなにが人と違うのか、どこが悪いのか、小さい頃から一生懸命考えてきたが結局わからぬまま、皆と同じようになりたいと願い成長してきた。そんな主人公が「普通」を見出せる唯一の場はコンビニだった。客への声のかけ方、お辞儀のしかた、すべてにマニュアルが存在するコンビニで働くことで、主人公は「普通の店員」として変身し、社会の部品となれたことに心から安堵を覚えていた。しかし、仕事を通じて出会った人々から思いがけず影響を受けるようになり、充足していたかに見えたコンビニでの仕事も揺らいでいく。

 本書を読み終えた後、2つの点について、しばらく思いをめぐらせてみた。ひとつは、「働く」という行為のもたらすものは何かという点についてである。主人公は学生の時からコンビニでのアルバイトを続け、非正規雇用とはいえ勤続18年目のベテラン従業員である。店舗のことならころころ変わる店長よりも熟知しており、さりげないアドバイスや細かい気配りに対して周囲の評価も高い。「中年非正規」というレッテルはついてまわるが、コンビニの同僚を真似た仕草を駆使して、なんとか周囲からの視線をかわして生きてきた。
 ニートやフリーターとは異なり、積極的にコンビニに閉じこもって生きることを選んだ主人公であったが、職場という社会のなかで一緒に働く仲間から、知らず知らずのうちに影響を受け、伝染しあい、自分がどんどん変わっていく姿が本書では描かれている。なかには望みもしなかった予期せぬ影響もあり、主人公のコンビニ中心の生活を脅かすようになるほど、主人公と周囲の関わりは深まっていく。作り物のようなコンビニの世界であっても、日常をまとった客が出入りすることで、生々しい世界へと変わり、主人公も気付かぬうちに、コンビニという小さな社会を動かすプレイヤーの一人となっている。それは、働くことを通じて、誰しもが経験する社会と人とのつながりそのものである。
 次に、なぜ、主人公はコンビニでしか生きられなくなってしまったのか考えてみた。主人公はコンビニの仕事への高い意欲の一方で、生活にはからっきし無頓着である。主人公の生活は、毎日きちんとコンビニに出勤するために食べ、眠り、身支度を整えることが全てである。誰に迷惑をかけるでもなく自立した生活を営んでいると言えるが、本書から読み取れるのは、現代社会の閉塞感に追い詰められながらも、生き抜いていくため、小さなコンビニのなかで生きる「コンビニ人間」と化すことに活路を見出した主人公の生き様である。
 マニュアルのない社会に閉塞感を感じる根源は、異質な存在に対する暴力である。空気を読まない行動や、人とは異なる考え方に対して、今の社会は寛容さを失っている。なぜ違うのか、なぜ同じようにできないのか、暴きたい衝動に身を委ねた周囲によって、主人公は自分らしくいることを周囲からやわらかく否定され、つねに説明や順応を迫られてきた。結婚していなかったり、正社員で働いていなかったり、「標準」から逸脱した生き方に対する世間の見方は厳しく、時代の移り変わりとは異なる時間軸で存在している。
 主人公ほど極端ではないにしろ、「普通」へと矯正される違和感は誰にでも身に覚えのある体験のひとつである。そのほとんどは他愛のない行為であったり、小さなコミュニティのなかで共通項を探る行為の延長線上にあったりすることが多い。ただ、なかには「みんな我慢しているのだから、あなたも我慢なさい」という思いが見え隠れするのが、今の人間関係の恐ろしさでもある。
 多くの場合、雰囲気を汲み取ってあいまいな返事でお茶を濁したり、他に注目をそらしたりして難を逃れるが、主人公にはその種のコミュニケーションスキルはない。主人公はコンビニという安息の場を見つけ、身も心も「コンビニ人間」と化すほど執拗にコンビニに留まる方法を追求したが、そういった場がなければ主人公に寄生した男と同じように、誰かに存在を隠してもらうことに活路を見出すしかないのが今の社会を覆う閉塞感の正体なのかもしれない。生きていくには悲しすぎる願いである。
 最後に、本書は小説という手法で現実社会を切り取ったが、視点をよりリアルな現場に置き換えて考えてみたい。働く場としてのコンビニは、実は労働基準法違反の事例は多く、安心して労働に勤しめる仕事とは言いがたい。最近も、コンビニ最大手のセブンイレブンの加盟店で、風邪で欠勤したアルバイト高校生に「休む代わりに働く人を探さなかったペナルティー」として休んだ10時間分の賃金を一方的に減給していた事例が明らかになったばかりである。
 また、組合活動に関わっては、店員の多くがアルバイトで構成される流動的な職場であるため、組合の組織化も進みにくい。一方で、加盟店オーナーが労働組合法上の労働者であるか争点となった事例は多い。岡山県や東京都の労働委員会は、大手コンビニとフランチャイズ契約を結んだ加盟店のオーナーを「労働組合法上の労働者」として認め、オーナーたちで作る労働組合との団体交渉に応じるよう命じている。背景には他のアルバイトと同じように加盟店オーナーも自ら店舗で労働することが前提のビジネスモデルであり、独立した経営者とはいえない実態がある。昨今の人手不足も相まって、24時間営業のコンビニではオーナー自らが率先して夜勤のシフトに入らないと店舗運営がままならないことも多く、過酷な労働実態が浮かび上がってくる。また、店舗経営においても、マニュアルや本部の指示に基づいた経営が求められており、個人事業主とはいえ実際にはオーナーとして裁量を発揮できる場は少ないという。実際には、組合を結成した加盟店オーナーに対して、フランチャイズ契約の延長を認めないなどの「組合つぶし」ともとられる事例も相次いでおり、職場としてのコンビニも閉塞感を生み出す職場環境にあるといえる。本書では描かれなかったコンビニという職場のもう一つの顔である。
 本書で描かれている主人公は、従来のステレオタイプの非正規像とはあらゆる面で異なる。低賃金や不安定雇用であることが問題の前面にでることはない。仕事に対する不満もない。どんな仕事であっても前向きに、かつ執念をもってコンビニの仕事に固執して生きるしか道がないのである。今の社会を包む息苦しさのなかで、生きるという行為の中心にたしかに仕事が存在していることが、不思議でもあり力強くも感じさせる一冊である。


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