牧民雄
『日本で初めて労働組合を作った男 評伝・城常太郎』

日本で初めて労働組合を作った男 評伝・城常太郎

同時代社
3,200円+税
2015年7月

評者:山根正幸(連合企画局次長)

 本書は、わが国労働運動パイオニアの一人である城常太郎が曾祖父であることを偶然に知った著者が、長年にわたる史料発掘・研究を通じて、常太郎をはじめ黎明期の労働運動家たちの足跡を追った労作である。本書を通じて、義友会や期成会と常太郎との関わりのみならず、米国における日本人による労働運動の様子などが示されており興味深い。また、「職工諸君に寄す」の起草者を巡って新たな論点も提示されている。靴工としての高い技能を持ち、開明的な経営者としての素質をも有していた常太郎の人柄、組織化から組合活動の内容、対政府政策要求に至るまでの初期労働運動家としての活動状況が丹念に追求されており、日本労働運動の源流を探るうえでの好著となっている。

 1863年、熊本の鍛冶職人の家に生まれた常太郎は、11歳の時に工賃トラブルがもとで父が軍人に殺害される悲劇に見舞われ、一家を支える立場となる。15歳で靴工の徒弟として神戸へ移り、一人前になった後、23歳の時長崎で開業する。この間、東京で発生した靴工のストライキを支援する。
 25歳で渡米した常太郎は、高野房太郎と出会う。その後、ホテルの皿洗いなどを経て、サンフランシスコで日本人初となる靴の製造販売店を開き、現地の白人同業者との軋轢の中で、1890年に「日本職工同盟会」を結成、翌年には高野房太郎らと「労働義友会」(後に職工義友会)を創設する。その翌年には、一時帰国した際に義友会東京支部の設置に関わり、更に翌年にはカリフォルニアで「加州日本人靴工同盟会」を設立する。
 1896年、日清戦争後で労働争議が頻発する中で再び帰国し、義友会を再建、再会した高野らとともに活動を展開し、工場への飛び込みオルグ、横浜船大工ストの指導などを精力的に行う。1987年の労働組合期成会の創設にも関与するが、暴漢襲撃や肺結核を患うなどもあり、療養のため神戸に移る。その神戸でも期成会関西支部の設立などに取り組む。
 1901年、関西労働組合期成会の結成に目途を付けた常太郎は、高野の誘いを受け中国天津に移住、製靴会社などを経営。ビジネスが軌道に乗る中、家族を残し再び帰国し、大阪で再び労働運動に身を投じるが、肺結核が再発し、1905年、42歳でこの世を去る。

 本書は、このような常太郎の生涯に沿って展開される。第1章から5章では、生い立ちから渡米、「労働義友会」の立ち上げ、その後一時帰国した際の活動が書かれている。第4章で筆者は、高野房太郎「職工諸君に寄す」の原型を書いたのは城であると主張する。
 第6章では、カリフォルニア「加州日本人靴工同盟会」の設立が記されている。見習制度による技術習得と技術試験、材料の共同購入の実施など、クラフトユニオンや協同組合的要素も併せ持った運営であったことが伺える。
 第7章から8章では、日清戦争後の日本社会の変化に対する危惧から、帰還兵や労働者を退廃的生活から防衛する方策を「戦後の日本矯風論」として発表したことや、「労働義友会」から「職工義友会」への名称変更についても触れている。
 第9章から12章では、再び帰国し、再会した高野らとともに横浜での船大工のストライキ指導、後の労働組合期成会の設立につながる第一回主催演説会の開催、そして労働組合期成会を立ち上げるまでの活動を描くとともに、その後神戸に移るまでの経過が記される。第10章でも、筆者は「職工諸君に寄す」を起草したのは城であるとの仮説を立て、「原文=城、アレンジ=高野」説を展開する。また、不平等条約改正にともなう外資流入による国内製靴業の崩壊を防ぐため、サンフランシスコの経験をもとに「労使共存共栄による理想工場」の設立を試みたことが記されている。
 第13章から14章は、神戸での活動の様子が描かれる。転地療養で神戸に移り、関西労働運動の先駆けとしての「労働組合研究会」設立や、期成会関西支部の設立計画なども紹介している。また、不平等条約撤廃、清国からの低賃金労働者流入など「内地雑居問題」への対策として、政府に対して陳情を行い、内地雑居制限の勅令を実現したことにも触れている。
 第15章から16章は、工場法運動の挫折、治安警察法の施行などの環境変化、高野の期成会からの離脱、靴工への回帰と天津への移住、大阪での最期までが描かれる。

 義友会や期成会と常太郎との関わりのみならず、米国における日本人による労働運動の様子、さらには外国人労働者に対する当時の労働側の動きの一部を明らかにしていることは興味深い。一方で、「職工諸君に寄す」の起草者を巡って新たな視点を提示している点については、様々な角度からの評価が待たれる。
 なお、全体を通じて、常太郎と高野の「実践に対する温度差」に言及する箇所が散見される。ある意味では常太郎に対する著者の想いの発露ともいえるが、著者の主観が入り過ぎているような気がする。また、部分的にはなお推測の域を出ないところも見受けられる。それでも、それらは長期間にわたる丹念な史料発掘の価値を減じるものではないし、本書がわが国労働運動の源流を辿るうえで参照すべき一冊であることには変わりない。


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