セバスチャン・ルシュヴァリエ著 新川敏光監訳
『日本資本主義の大転換』

日本資本主義の大転換

岩波書店
3,400円+税
2015年12月

評者:麻生裕子(連合総研主任研究員)

 本書は、フランス・レギュラシオン学派の経済学者が、新自由主義的政策のもとで日本資本主義がいかに変容したのかを分析したものである。レギュラシオン学派とは、各種の経済主体間の「調整」(=レギュラシオン)を重視して経済分析を進める立場をとっている。
 日本の体制派の支配的な見解では、1990年代初頭からの日本経済の衰退は、グローバリゼーションやイノベーションがもたらす新しい環境に適応できなくなったことに起因するとし、そのために新自由主義的改革を唯一最善の道と捉える。
 しかし、本書はそうした支配的見解を覆す。1980年代初頭から断続的に実行された新自由主義的改革の結果として、企業の多様性の増大、賃金不平等、格差拡大をもたらしたと本書は強調する。つまり、新自由主義的改革は、危機への対処策ではなく、そもそも危機を生み出した原因であることを意味する。このような現状を打開するためには新たな「調整」が必要だと主張する。
 日本の資本主義社会の将来を展望するうえで、時宜を得た有意義な研究といえる。多少難解な表現もあるかもしれないが、労働組合関係者に一読いただきたい一冊である。

 分析の枠組みについてみると、まず対象としている時代は、日本で新自由主義的政策が実行された1980年代初頭から2000年代末の世界経済危機までである。ただし、その間、新自由主義的政策が一貫して実行されていたわけではなく、1980年代の中曽根首相の時期が改革の準備期間であり、1996年から2006年までの橋本・小渕・小泉首相の時期が新自由主義的変遷を遂げた時期と著者は大別している。
 ここで使用されている方法論もきわめて特徴的で興味深い。日本の資本主義はたんなる文化論的解釈では説明できないし、その特殊性に集中しすぎると類型論に陥る懸念もある。そこで、レギュラシオン理論にもとづき、歴史と制度的補完性を重視し、ミクロ経済分析と政治経済学の視座の接合を試みている。そこで使われる主要な概念は「調整」である。本書では計量分析が省略されているものの、上述の対象期間に諸制度やアクターがどのような漸進的変化をしているのかを丁寧に分析している。こうした方法論の近似性から、フランスの経済学者の著書を日本の政治学者が翻訳しているというのも納得できる。

 本書のアプローチの独自性は、日本資本主義のどのような側面を分析するかという点にもあらわれる。著者は、ミクロレベルの組織形態、メゾとマクロレベルでの多様な「調整」様式、社会的和解の3つの領域での分析を試みている。
 第一のミクロレベルの組織形態というのは企業間の多様性をさしている。新自由主義的改革の主導者たちは日本の企業モデルをアングロサクソンモデルに収斂させようとしたが、反対にそれらの政策が日本企業の組織編制やパフォーマンスの多様性を増大する要因となったことを分析している。
 第二の「調整」様式については、具体的に、系列構造、下請け、春闘、官僚多元主義、産業政策の5つの分野においてどのような「調整」がなされたかを検証している。新自由主義的政策は従来の「調整」様式を衰退させたが、これに代わり、効率的かつすべてのアクターが共有するような市場を通じた「調整」を促すことはなかった。これは企業間の多様性に対して「調整」が欠如していたことを意味する。簡潔にいえば、自由な市場を実現するには規制緩和ではなく、より多くの規制が必要になることが主導者たちに理解されていなかった。
 第三の社会的和解は、いいかえれば社会の不平等の側面を示すものである。日本で不平等、格差はなぜ拡大したのか。本書のなかでも中核をなす仮説が展開される。それが「労働市場の再断片化」仮説である。日本の労働市場は2つ以上のセグメント(断片)に分かれており、セグメント間の流動性が低い。そうした状態に加え、第一、第二の領域でみたように、「調整」様式の欠如およびそれによる企業の多様性の増大が引き起こされ、労働市場はさらに断片化されていく。従来からいわれているような日本経済の二重構造論ではなく、こうした別の亀裂にそった不平等の増大があらわれており、これらの不平等と闘うには従来の「調整」様式では不十分だと著者は述べる。
 社会的和解の本質にかかわるもう一つの点は、家族といった賃労働関係以外の非競争的な部分である。これらについても自民党レジームではない新たな福祉国家の構築の必要性を説いている。
 このほか著者は、教育システム、イノベーションシステム、グローバリゼーションの領域にも新自由主義的改革の影響があらわれ、日本の社会経済がかえって劣化していることを明らかにしている。
 全体を通じて、新たな「調整」メカニズムの欠如が経済成長の鈍化、格差の拡大にみられるような社会問題の深刻化を生み出したというのが著者の見解である。レギュラシオン学派の場合、この「調整」メカニズムの主役の一つは労働組合とされている。本書では、日本資本主義の、いわばマイナスの再編成の要因を主として自民党政権の政策に求めており、それはそれで説得的であるが、「調整」メカニズムの主役として、労働組合が十分な役割を果たしていないという思いを著者は持っているのではないかと思われる。

 最後に本書から示唆される論点を示しておこう。
 第一は、不平等、格差を縮小するための「調整」メカニズムである。本書では、2012年からの第二次安倍政権を分析対象としていないものの、著者は直近の問題にも若干触れている。そのなかで、アベノミクスは失敗に終わるであろうと予想する。その最大の理由は、日本資本主義の現段階に照応した新しい社会的和解を明らかにしていないことにあるとしている。たしかに著者の指摘するとおり、新たな福祉システムの構築が不平等増大への解決策の一つとして考えられる。もう一つ、「労働市場の再断片化」を原因とする不平等の増大に対抗するために従来の「調整」様式では不十分というならば、どのような「調整」が有効なのか。それは春闘のような労使交渉や最低賃金制度を見直し、機能強化するということをさすのだろうか。いずれにしても、労働組合自身が制度をつくり動かすアクターとしての役割を深く認識しなければならない。
 第二は、日本資本主義の将来、ビジョンにかかわる点である。著者は、日本資本主義の将来は、成長モデル、脱産業化、グローバリゼーション、福祉レジームといった4つの問題への対応にかかっていると主張するが、このうち「成長モデル」をどのように捉えるかという問題がある。その一例として、福祉や環境の積極的な充実により、不平等を縮小させると同時に、経済成長を促すという選択肢が想定できる。しかし、経済成長を目標とするか否かは議論が分かれるところでもある。もちろん、成長に依存しないモデルという選択肢もありうるだろうが、本書は成長を前提としてとり入れている。

 労働組合としての運動論を構築するには、この書評でとりあげなかった消費に関する論点も含め、以上のような著者の日本経済社会の分析が大いに参考とされるべきである。


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