河上肇
『貧乏物語』

貧乏物語

岩波文庫
660円+税
1947年9月

評者:前田藍(連合総研研究員)

 今から100年前、第一次世界大戦の戦争景気に沸いている当時において、「貧乏」を社会から一掃しようと試みた人がいた。本書の著者である河上肇その人である。河上は、1913年から2年間にわたりヨーロッパを歴訪するなかで、先進国である当時の西洋において「いくら働いても貧乏から逃れることができない、『絶望的な貧乏』」におかれた人々を目撃している。帰国後もその衝撃が消えることはなく大学教授という恵まれた職にありながらも、貧しい人々に心を寄せ続け、経済学者として人類社会から貧乏を退治することを願うようになる。その思いは、「大阪朝日新聞」における「貧乏物語」の連載へとつながっていく。新聞という媒体を使い庶民に貧乏根絶を訴えたこの連載は大きな反響を呼び、その後「貧乏物語」として一冊の本にまとめられた。

 本書は意識的に新聞連載当時とほぼ変わらないかたちでまとめられているため、細かい章立ては省略され3つのパートで構成されている。上編では社会に蔓延する貧乏という病について明らかにし、中編では貧乏を引き起こす根本原因の解明に主題を置いている。下編ではこれまでの議論を踏まえて、貧乏退治の根本策へと考察を踏み出している。私の手元にある文庫は76版を数えているので、まさに世紀を超えて読み継がれてきた一冊といえる。
 本書では「無味乾燥な統計」の代わりとして、論語やマルサス、アダム・スミス、マルクスの論考が織り交ぜられている。さらには生物学から西洋における最新の社会保障制度に至るまで幅広い事例を引き合いに、社会に蔓延する貧乏の正体を一般市民である読者に伝えようと腐心している。全編を通じてきわめて平素な文章で、ユーモラスな文章も織り込みながら、リズミカルでありどんどん読み進めることができる。多くの人が「貧乏物語」を手に取ったのは、貧乏という生活に密着したテーマへの関心もさることながら、同時に河上の幅広い教養に好奇心をくすぐられたことも一因ではないだろうか。
 本書で河上は、貧乏をはかるものとして「貧乏線」という基準を用いている。これは、食費や住居費など、一人の人間の生活に必要な最低限の費用を足し合わせて、その基準より下にいる最低限の生活費さえ得られていない人々を貧乏人と定義している。
 興味深いのは、河上が心を寄せたのは、貧乏人と定義した貧乏線以下の人々だけでなく、貧乏線の真上にのっているギリギリの生活費で暮らす人々も同様に貧乏人であるとし、底上げの対象としていることである。社会保障の世界では、公的福祉の対象を定めることから始まることが多い。河上の設定した貧乏線が今日の生活保護基準に置き換えられるとすれば、生活保護基準ギリギリで生活している人への対処も貧乏退治には必要と指摘した河上の先見性に驚かされる。日本においては昨年、生活困窮者自立支援が始まり、生活保護に陥らないものの、さまざまな理由により困窮状態におかれる人たちへの支援が始まった。他にも貧乏が子どもの成長に与える影響について、イギリスにおける貧困家庭への学校給食無償化の事例をもとに考察するなど、100年前に現在ようやく動き出した政策に通じる指摘がなされていたことには舌を巻く。

 人類社会から貧乏退治を試みた「貧乏物語」が世に出てから100年。上梓当時は戦争景気により富が財閥の元に集まった一方で、庶民の元へは物価上昇にみあった賃金は入らず、生活は苦しさを増す一方であったという。その後、世界はいくどもの戦争を経て、皆が貧乏な社会から皆が豊かな社会へ変わろうと心を一にして歩んできた。その間に、共産主義体制の多くは滅び、資本主義体制はより残忍なものへと変わっていく。そして今、私たちは「貧乏物語」が描き出した時代と全く同じ課題に直面している。格差と貧困、1%の富裕層に富が集中する一方で、働いても食べることに事欠くようなワーキングプアという層が出現している現状は、100年前に河上が描いた社会と恐ろしいほど重なる。
 河上は貧乏を「二十世紀の大病」と信じ、その根絶のため貧乏の原因を探求しようと試みている。残念ながらその病は世紀を超えて蔓延し、今や世界中にパンデミックを起こしてしまっている。現代においても貧困に効く特効薬の発見は世界でもっとも高い関心事項であるが、本書において河上は、貧乏退治の第一策として金持ちの贅沢廃止を掲げている。これは、貧乏を生み出す根源として「裕福な人が、お金にまかせて、むやみにぜいたく品を買っては消費」しているからであり、その根源を断ち切れば貧乏は生み出されないと考えたからである。第二策は所得再配分による格差の是正、そして第三策は産業を国有化することで経済上の国家主義を提唱している。このうち第二策については、現在にも通じる現実的な政策であるが、河上が最も力点を置いたのは第一策の贅沢廃止論であった。現代から「貧乏物語」を読み返してみれば、第一策で示されたような道徳的抑制をもって貧困が撲滅されるわけはなく、深められるべきは富の再分配を成し遂げる第二策であり、河上の洞察がそれを避けてしまったことは大変惜しまれる。
 「貧乏物語」の上梓後、河上はマルクス経済学に傾倒し、当時非合法であった共産党の地下活動にも参加している。「貧乏物語」を含むいくつかの著書を自ら絶版に付したかと思えば、共産党活動により収監されている間に共産党活動に対する敗北を宣言し転向を発表するなど、河上の思想は常に揺れ動いてきた。「貧乏物語」において河上は、貧乏という病巣をはじめて白日の下にさらしたが、その治療法まではたどり着くことができず、現在へとつながっていることになる。

 この本を手にとったとき、最初は「貧乏物語」というタイトルが意外でならなかった。貧乏な生活の隅々を語るわけでもなく、貧乏の構造分析を行う本であるのに、物語という文言は個人的すぎるのではないかという印象をもったからだ。読後、その印象は大きく変わった。河上が本書にこめたメッセージは、貧困という病巣を根絶するためには、体制の変革だけに希望を託したり、よりよい制度政策を訴えたりするよりも、社会を構成する最も小さな単位である個人の紡ぐ物語を共にすることが先決であり、そのために河上のように他者へのまなざしを持ち続けることが貧乏根絶の最初の一歩なのだと私は受け取った。


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