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和田肇 |
日本評論社 評者:末永太(国際労働財団調査・広報グループリーダー) 安倍政権のとる政策は、「競争力強化」や「経済成長」に最大の価値を置き、労働法的規制は少なければ少ないほどよいという新自由主義的な「哲学」に貫かれている。そういったなかで、労働法の改革は、解雇は適切に制限されるべきであるという原則、直接雇用の原則など、労働法の基本事項たるものにまで踏み込んだかたちになっている。労働者の雇用の保護をどんどん無くして 企業の自由度を高めようとする要求には際限がなく、労働法がどこまで掘り崩されていくのか見通せない状況にある。 本書は、序論をはじめ5つの章から構成(著者は「起承転結」であるとしている)されている。序論は全体を通してのまとめといった位置づけで、今日の「雇用破壊」の原因たる規制緩和と規制懈怠(労働市場の変化に対応して必要となる規制を行わない。たとえば非正規雇用が急増したにもかかわらず、ヨーロッパで取られていたような均等処遇規制や正規化政策を長らく講じてこなかったこと)について指摘し、「標準的労働モデル」に基づく持続可能な雇用社会の再構築の必要性を説いている。 著者が「三つの危機」の最後に掲げているのは、アベノミクスと雇用改革である。第2章では、その全体像や基本的哲学を検討した後に、雇用の二極化について、一方の局にある正社員の労働時間の政策を、そして他方で非正規雇用の代表例である労働者派遣の法政策について検討している。これらを通じてアベノミクスの雇用改革がなぜ危機なのかについて明らかにしている。 第1章、第2章で著者は日本の雇用社会を襲った「3つの危機」について分析したが、ここでとどまっていられないのが著者であり、第3章「ディーセント・ワークの実現に向けて」では、危機に瀕した雇用社会の立て直しの処方箋について明らかにしている。それは、すなわち「労働法の復権」であり、この著書の核心である。 第4章は「労働組合の未来」であり、雇用社会の現状とあり方を検討する際にしばしば無視されがちな労働組合の役割について再考している。著者は、労働組合の組織強制といった課題について大内教授らのユニオンショップ協定無効説を疑問視する立場をとっているが、逆に競合組合を封殺するような形で行使するべきではないとする。また、協約適用排除条項の利用など、労働組合の新しいあり方についても模索しており、労働者代表制に対しても、労働者代表制は労働組合の代替にはなれないとしつつ、レジティマシーという視点からすれば過半数代表者より少数組合を優先するシステムの方が憲法適合的であるとする。一方で、労働組合は基本的には組合員のための利益を代表して活動すべきであるが、同時に社会的存在であることも忘れてはいけないとしている。 終章である第5章「良質な労働と持続可能な雇用社会」では、以上を踏まえて、改めて働くことの意味について検討するとともに、ILOやG20等が主張するように「ディーセント・ワーク」、「持続可能性」、「質の高い雇用の創出」、「厚い中間層の形成」といったコンセプトでのパラダイム転換が求められているとしている。 著者は、常識やバランス感覚に依拠した利益衡量論を批判し、人権、公平、正義といった基本的な価値に基づく労働法の蘇生を提言する。「学者は、社会的責任について敏感でなければならない。とくに立法政策に直接携わる場合には、より強くその責任を自覚しなければならない」と語る。安倍政権の雇用改革を、労働をめぐる社会状況の変化に対する「規制の現代化」と評価する研究者もいる。しかし、その一方で、過重労働で疲弊する労働者、不安定な雇用と低い労働条件の下にある非正規労働者、明るい未来を描けない若年労働者、育児や介護との両立に苦しみ離職する労働者、ブラック企業問題に直面する労働者や学生たちが大勢いる。 市場万能主義的な労働法改革に批判的な労働法学者のあいだでも、たとえば、少数派組合優先とか、従業員代表制度の否定とかの個々の論点では異論があることはたしかであるが、ともかく本書を読んでほしい。そして、「アベノミクス」、「競争力強化」、「経済成長」の名のもとにどのような事態が進行しようとしているのか知って危機感をもってほしい。そのうえで、それをどのように判断し、どのように行動するかは、まさに労働者・労働組合自身の問題であり、労働に関心をもつ人びとの問題である。 |