小酒部さやか
『マタハラ問題』

マタハラ問題

ちくま新書
800円+税
2016年1月

評者:前田藍(連合総研研究員)

 働く女性が妊娠・出産・育児を理由に退職を迫られたり、嫌がらせを受けたりすることを「マタニティハラスメント」という。近年、「マタハラ」という言葉の浸透とともに、その実態が多くのメディアで取り上げられ、ハラスメントの一類型として認知されるようになった。

 その契機を作った一人である著者が社会にはびこるマタハラ問題とは何か、実態に即して総括するために書き下ろしたのが本作「マタハラ問題」である。本書では実際に筆者が経験したマタハラ被害に対するたたかいの記録(第1章)から始まり、同様の被害にあう女性の声をもとにマタハラを類型化してまとめている(第2章)。そして、連合調査に先駆けて行われた日本で初めてのマタハラ被害実態調査をもとに加害の実像へと切り込み(第3章)、マタハラが発生しやすい職場や働き方の構造分析へと続いている(第4章・第5章)。
 本書にまとめられたマタハラ被害の告発は、多くの女性の共感を呼ぶことになる。著者はこの功績を称えられ、2015年にアメリカ国務省が主催する「世界の勇気ある女性賞」を日本人で初めて受賞している。これは「マタハラ」という言葉が指し示した概念がハラスメントの一類型に留まらず、「産みづらい・育てづらい日本社会」の姿を的確に捉えていたからにほかならない。「マタハラ」という言葉に託した著者の、失望、悲しみ、怒り、そして、それを乗り越えていこうとする力強さが伝わってくる一冊となっている。
  現在、「輝く女性」や「総活躍」といったスローガンが指し示すとおり、女性だけでなく誰しもが働きながら、それぞれの人生を描いていくことは時代の要請とも言える。しかし、実際には女性が定年まで働き続けるには乗り越えなければならない多くの壁が依然としてあり、本書が指摘するマタハラ問題は、今を生きる女性が直面する壁のひとつといえるであろう。
 とはいえ、多くの人にとってマタハラは女性が抱える課題、あるいは妊婦がいる職場の課題として完結してはいないだろうか。ハラスメント全般について言えることだが、実際に自分自身にハラスメント事例が降りかからないと、どこかで他人事、あるいは鈍感になってしまう節がある。連合が2013年に行ったインターネット調査においても、「マタニティハラスメントという言葉も意味も知っている」と答えた人は6.1%であったのに比べ、「言葉も意味も知らない」と答えた人は79.5%に上っている。一方で同調査においては、4人に1人が「マタハラに該当する被害を受けたことがある」と回答している。著者らの運動により「マタハラ」という言葉が流行語となったのが2014年であることを考えれば、調査時点よりは、言葉の浸透とともにマタハラに対する認知も深まっていることが推察されるが、実態についても同様に改善はかられているのかという疑問が沸く。本書では「通達により労働局の対応が改善した」との記述に留まっており続報が待たれる。

 共働き世帯が専業主婦世帯を上回った90年代以降、女性の結婚退職や出産退職は現実的な選択肢ではなくなった。むしろ働き続けなければ、結婚も出産もできない可能性を高めるだけでなく、生きる上でのリスクが高まるという焦燥感が根底にあるように思う。働き続ける必要がある女性にとって、妊娠が今でも覚悟のいる決断であることは変わりない。一時的とはいえ、キャリア形成期に仕事を離れることへの不安や、仕事と育児の両立が能力的にも体力的にも務まるのか、自信をもってワーキングマザーへと踏み出していく女性は多くはないだろう。
 とくに時間拘束の強い育児期の働き方を職場の仲間は受け入れてくれるだろうかという不安は、働き方が多様化しているからこそ、複雑な心情をもって受け取られることもある。本書においては、「マタハラは働き方の違いに対するハラスメント」と指摘しているが、長時間労働を前提とする職場の場合、育児のために短時間勤務で働く労働者に対する視線は厳しいものになる。そうではない職場においても、出産後の女性が集まる部署が固定化しているなどのマミートラックがあれば、女性の働き方の可能性を狭めるだけでなく、職場内で両立支援に向けた理解も深まることはない。著者は「マタハラを考えることは働き方を考えること」と指摘するが、より広く浸透させるためにはマタハラという概念に埋没せず、「働きやすさ」や「働き続けること」を阻害する要因について、労働者自らが主体となって横断的な議論を行っていくことが不可欠であり、労働組合の積極的な関与が必要となる。

 本書を読んで最も強い憤りを感じたのは、マタハラ被害を受けた女性が相談できる窓口がほとんどないということである。著者はマタハラ被害を受けた際、自力で労働局に相談したり、弁護士の力を借りて労働審判を行ったりしている。子どもと仕事を失った女性が負うには辛い過程であったと思う。マタハラ被害にあう女性の近くに労働組合があったなら、どれだけ多くのサポートができただろう。多くの可能性に思いはめぐるが、まず労働組合側が心に留めるべきは、自身の経験や価値観だけを尺度に、良し悪しを押し付けないということだ。子育てを経験してきた人には、それぞれの生活に根ざした困難の乗り越え方がある。その苦労や工夫の仕方は誰もが雄弁に語れる経験であろうが、残念ながらその経験を全ての人に当てはめることはできない。多くの人が自分の経験やイメージを持ち合わせているからこそ、お仕着せの考え方に相談者がさらに傷つくこともある。
 労働組合のとるべき姿勢は、法に照らし合わせて課題を明確にした上で、抜け落ちている点があるなら底上げをはかることである。そして、わたしたちの足元である職場に目を向けて、ハラスメントが発生した構造要因を解明し改善にむけて働きかけていくことである。さらには、相談を待っているだけではなく、日ごろから職場内における働きやすさを追求し、風通しのよい環境に目を配っていくことは、妊娠・出産期の女性をターゲッティングした取り組みでなくても、結果的に彼女たちの就労継続を支えていくことにつながる。
 振り返ってみると、働く女性を取り巻く課題は時代とともに変容を重ねてきた。結婚退職が正当な解雇要件のひとつとされていた昭和40年代、男女別定年制が一般的であり、女性の定年は30歳であった。その後、この壁を壊すたたかいはイデオロギーを超えた共闘運動へと発展し、男女雇用機会均等法、育児休業法の制定と、女性が働き続けられる環境整備がはかられていった。マタハラに限らず、働きにくさ、産みにくさの根源に関わる働き方の問題は、やはり当事者の結集なくしては解決できないだろう。連合総研では、現在、「戦後労働運動の女性たち」と銘打った調査研究を行っている。ここでは、戦後の労働運動のなかで、女性たちがどのような運動を担ってきたのか聞き取り調査とともに通史としてまとめることを目指している。先達の運動の軌跡を振り返りつつ、マタハラをはじめ残された課題に立ち向かう材料として本研究会にもご注目いただきたい。


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