川喜多喬
『組織改革論集・労働組合編』

「私」の悲劇 「公」の底力-市場主義の限界から見えてくる民主主義の新たな可能性 表紙

新翠舎
1,200円+税
2014年8月

評者:麻生裕子(連合総研主任研究員)

 かつてユニオン・アイデンティティ(UI)の議論が流行したが、現在ではほとんど聞かれなくなった。本書は、1980年代後半から1990年代にかけて、UIの論者の一人である著者が労働組合や行政などの機関誌に執筆したり、講演をしたりした内容をまとめた記録集である。その内容は、UIをめぐる議論が中心であり、重複感は否めない。同時に、労働組合論を展開するうえで前提となる経済環境が20、30年前と現在では大きく異なる。
 そうした問題はあるものの、著者独特の率直な表現によって、現在でもつうじる労働組合の問題点を浮かびあがらせている。何十年経っても、なぜ労働組合は変われないのか。本書を読み終え、そうした感想がまず浮かんだのは、評者だけではないだろう。本書をつうじて現代におけるUIを再考する意味はある。

 本書は4部構成となっている。第1部「問題提起と提言」では、「『労働組合らしくない』をめざそう!」「ユニオン・アイデンティティの勧め」など複数の短編の寄稿を掲載している。第2部「講演記録 組合も起業家精神を」では、「労働組合も起業家精神を:ユニオンアイデンティティ十年の教訓」と題した長い講演録が掲載されている。第3部「講演記録集」では、「ユニオン・アイデンティティを考える」「これがユニオン・アイデンティティだ」などのさまざまな組織で講演した記録を掲載している。第4部「論考編 世紀末労使関係の転換」では、ある研究雑誌への連載をまとめている。

 これらのタイトルからもわかるように、本書の中心的テーマはUIである。1980年後半から90年代という時代も、現在と同じく、労働組合組織率の低下や組合員の組合離れが問題視された。当時流行していたコーポレート・アイデンティティ(CI)に倣って登場したのがユニオン・アイデンティティ論であった。そのまま直訳すれば、労働組合の存在意義ということになる。著者はそのアイデンティティを「個性づくり」と位置づけ、画一化された企業別組合の組織、運動のあり方を変革することを提唱する。本質部分をすぐに変えるのは難しいので、旗やゼッケン、歌など「できることから何でもすればよい」というのが著者の主張である。現状の問題点をみんなで総点検し、変える必要がなければ変えないのも個性であるという。

 それでは具体的に労働組合という組織をどう変えるのか。著者はさまざまなアイデアを提起している。
 第一に、組合員として加入してくる若者は労働組合の経験が浅い、いわば素人であるが、そうした素人の意見こそ大切にせよ、と著者は述べる。これまで積極的に参加する場が与えられなかった組織の各層を参加させることの意義は大きいと捉える。すなわち現場の声をよく聴け、ということにつながる。若い組合員たちは諦めきっていて執行部批判の気力すらないのが現状である。自分たちの組織にある問題を率直に言える組合こそが望ましいあり方だという。
 第二に、他の組織から改革の事例を学ぶこともいいが、他の労働組合では「同質閉鎖社会内の偏見の再生産」というリスクがあるため、同様に組織の淀みを防ぎ、活力を取り戻すために苦心している企業またはそのリーダーに学ぶのがよい、と著者は強調する。とくに、人材確保で苦労をしている中小企業から学ぶことが一番多いのではないかという。
 第三に、組合員の区別についてである。組合員すべてが同じ程度に参加する必要はないというのが著者の主張である。労働組合が強制加入である場合は、画一的な義務、権利をできるだけ低レベルにし、それ以上の多様なサービスは自由選択にしてはどうか、たとえばゴールド会員、シルバー会員、一般会員などの区別があってもいいのではないかと述べる。この論点をめぐってはさまざまな意見があると思われる。

 運動スタイルの変革、要求のあり方についても、著者は重要な指摘をしている。毎年の春闘の準備、実施、後始末に追われて、他のことができなくなっているのではないか、労働者の職業生活の質的な向上、たとえば、ゆとり、仕事のしやすさ、情報の流れぐあい、公平な扱いなどを確保するという、数字に表しにくい要求をもっと重視すべきではないか、数字に表れない労働条件の変化を大切に追いかけるべきではないかという。
 さらに、人材育成については、著者は、労働組合はもっと広い世間に開かれた人脈を育てるべきだとし、組合活動のなかにもっと広い世間のことを勉強するような研修があっていいと述べる。組合で自分が一回り大きくなったと実感できるような活動が求められており、もちろん座学だけではなく、組合の生涯学習機関で一生続けていろいろな勉強をしていくことが必要だと主張する。

 UIをめぐる著者のさまざまな提起は、現代にもつうじる労働組合の問題点を浮き彫りにしているという意味では賛同できる。たとえば、一人ひとりの組合員の意見は意思決定の場に反映されているのだろうか。こうした組織内民主主義の問題は、誰もが気づきながらも直接的に触れられてはこなかった。自分の意見を率直に言えるような組合のあり方が望ましいという著者の主張はそのとおりである。
 しかしその一方で、著者のUI論に企業別組合の限界を感じる。現在もますます低下する労働組合組織率や組合離れを背景に、連合やその構成組織では未組織、非正規労働者の組織化を進めているが、実際問題としてすべての労働者を組織化できるわけではない。残された未組織労働者にも相談事業や政策的方法などによって手を伸ばすことが求められている。すなわち、労働組合は従来の共益組織であると同時に、今後は公益組織にもならないといけないということを意味している。これは企業別組合であっても同様である。著者のUI論では労働組合が対象とする労働者の範囲が狭いのではないだろうか。

 数年前、連合は、若者たちにもっと労働組合に関心をもってもらえるように、マスコットキャラクターを作った。これも一種のUI運動だといえよう。ただし、これはとっかかりにすぎない。これで満足してはいけない。大切なのは、その次の段階として労働組合の組織のあり方、運動スタイルをどう変えるかをしっかり議論することだと思われる。


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