片山潜
『日本の労働運動』

日本の労働運動 表紙

岩波文庫
1,020円+税
1952年3月

評者:高木郁朗(日本女子大学名誉教授)

 日本の労働組合のルーツは1897年に結成された労働組合期成会である。期成会は、1900年に成立した治安警察法による政府の弾圧が主要な原因となって、短い生命しか保つことができなかった。本書は、高野房太郎とともに期成会の結成と展開に大きな役割を果たした片山潜が、西川光次郎とともに、治安警察法成立直後の1901年に書いたものであり、期成会と鉄工組合、(日鉄)矯正会、活版工組合について、成立の経緯と活動内容が詳述されるとともに、期成会以前の日本のさまざまな労働運動にもくわしい検証が行なわれている。草創期の日本の労働運動を理解するうえでの欠くことのできない基本的な文献である。

 岩波文庫に片山潜著『日本の労働運動』として収録されている文献は、片山・西川光次郎共著の『日本の労働運動』と片山の単著である『日本における労働運動』の2部で構成されている。前者は片山が社会改良主義の立場にたっていた時期の作品であり、後者は、1911年の東京市電争議を指導したという理由で刑務所に送られ、出獄後、折しも大逆事件後の「冬の時代」にあって日本での生活が困難となり、渡米したあとの1918年に英文で書かれたものである。1918年といえば、ロシア革命の翌年であり、片山はしだいに共産主義者となっていた時期である。このため、両著のあいだには、構成や日本の初期労働運動についての評価に違いがある。後者の方がよく整理をされているともいえるが、内容上は、前者の方がはるかに興味深く、また資料的な価値も高い。なお、岩波版の後者の翻訳者は山辺健太郎である。山辺はまた2つの著作につき、校訂、注解を行い、解説も書いている。これらの注解、解説は、それが書かれた時期(1951年)の制約とイデオロギー上の立場から、大きな偏りがあるので、本文を謙虚に読んだ方がよい。

 1901年に書かれた『日本の労働運動』の構成は、第1編 労働運動、第2編 各労働団体の組織、第3編 労働者教育の機関、第4編 経済的労働団体、第5編 結論の5編構成で、そのあとに企業による福利厚生の実態などを示した興味深い付録がつけられている。
 このうち、第1編では、第1章で、期成会にさきだつ各種の労働運動がとりあげられる。興味深いことに、片山・西川は、労働運動の源流を自由民権運動に求めており、本書の出だしは「自由党員の労働運動」となっている。この点について、山辺は注釈で、片山の思想的未熟を批判しているが、むしろ労働運動の展開を民主主義運動の正当な後継者とした当時の片山の方が卓見を示しているといえるのではないか。ただ、源流の部分に、高島炭鉱の暴動についての言及はあるが、製糸労働者の初期の自然発生的なストライキなどへの言及は見当たらない。これは、労働運動を一定の組織的な動きとして把握する片山らの方法論のためであると考えられる。
 組織的な動きといえば、1880年代の後半の鉄工(機械工)の組織化の動きのエピソードは面白い。せっかくの会合に出席した機械工たちが遊廓に集団でおしかけて居続けてしまい、その後の会合に機械工の妻たちがださないようにしてしまったという。とはいえ、この動きはのちの鉄工組合の前身ともなった。本書にはこんななまのエピソードが随所にこめられている。
 こうした前史に続いて第2章以下で、期成会と鉄工組合、(日鉄)矯正会、活版工組合の4つの組織の成立の経緯と活動、それにそれぞれの組織の性格が詳述される。鉄工組合にみられるように、会社側からの弾圧にたいして将来を期して闘いを継続し、まがりなりにも働くうえでのルールをつくっていく様子が示されている。また、期成会の活動の前史となる職工義友会の印刷物「職工諸君に寄す」は全文がかかげられており、ジェンダー問題を含めて、当時の時代的制約がありつつも、今日にいたる労働運動の基本的なあり方を示す貴重な資料である。これだけ独立してでも熟読してほしい文章である。
 資料といえば、本書には、さまざまな貴重な資料がこれもなまのままで掲載されている。たとえば、期成会が行った工場法の推進活動の項では、結局、立法化されないままで終った最初の農商務省案と、それに対する期成会側の修正提案が収録されている。これは、労働組合による政策・制度闘争の原型となるものである。政治との関係では、「労働運動最終の目的は、政治に関するにあらずんば達せられざるべし」として、最初の普通選挙期成同盟会の請願文書も収録している。ただし、片山の政治重視の立場と、高野房太郎の経済行動重視の立場とは、のちに対立に発展したことも記憶しておく必要がある。
 この項では労働運動の動きを伝える新聞についての論評もある。たとえば、日鉄(現在のJR東日本)の機関士、助士がおこなったストライキについては、『日々(現在の毎日新聞)』がスト非難をおこなったのに対して「コヲ(こう)も曲がつた論の立つ者かと思はしむる程」と論評し、『朝日』に対しては「例によりて可もなき不可もなき調和策を唱へ」ていると批評している。100年以上も変わらぬマスメディアのあり方に笑ってしまうほどである。それでも近年のように、労働組合の動きを伝えないメディアよりはましだったかもしれない。

 第2編では、各労働団体の組織が扱われる。前半の部分は、期成会成立以前の同業者組合が網羅されている。実に多様な同業者組合が存在していたことがわかる。第3編では労働者教育の活動がとりあげられるが、労働運動の先駆者たちが、労働組合の意義を伝えるために、懸命の努力をおこなっている姿がよく示されている。
 「経済的労働団体」というタイトルがつけられた第4編は、いってみれば、「共助」の団体をあつかったものである。ここでもそれぞれ貴重な資料を添えて記述されている。対象とされているのは、現代風にいえば、労働者の自主管理事業、「共働店」という名の消費協同組合の元祖、労働金庫や全労済の遠い先祖となる預金・融資・共済の活動、低家賃住宅の建設などである。労働組合の活動領域として、こうした「共助」を重視する姿勢もまた、片山の卓見ということができよう。
 結論にあたる第5編では、労働組合が永遠の存在であることが強調されている。労働運動の発展のためには労働者教育が重要であるとし「一人の労働者虐待さるれば全体が虐待されし如く感じ、一人の受けし恥辱は全体の恥辱と感ずるに至りて、労働運動は始めて天下敵なしとなるべし」と結論づけている。

 現在の若い人びとにとっては、そのまま受け入れがたい部分があることはたしかであろう。また、文章も、俗語も使われていて当時の労働運動の状況がよくわかるとはいえ、全体としては文語調でけっして読みやすいとはいえない。しかし、熟読すればむろんのこと、ざっと目をとおすだけでも、源流としての労働運動がどのようなものであったかを読みとることはできるし、現在の労働運動への教訓も少なからず含まれている。
 一度、ぜひ直接本文を読んでいただきたい、といいたい。


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