横山源之助
『日本の下層社会』

岩波文庫
1,020円+税
1949年5月

評者:高木郁朗(日本女子大学名誉教授)

 働く人びとを労働者というなら、日本でもさまざまなかたちで古い時代から存在した。雇われて働くというあり方に限定しても、江戸時代には広範に存在していた。しかし、近代的な雇用関係が社会の中心を占めるようになるのは、明治維新後、とりわけ1890年代の産業革命以降のことである。産業革命期に、各種の職業で働き、暮らしをたてていた労働者たちは、現代の働くものの直接の先輩である。新聞記者であった横山源之助が描いた『日本の下層社会』は、まさにこの時期、すなわち1890年代の後期から1900年代はじめにかけての先輩労働者たちの赤裸々な姿を描き出している。ここに描かれている姿には、昔はこんなに惨めな状態だったと回顧するための素材ではなく、日本の雇用社会の根底に今日にまで引き継がれている内容がある。そうであるからこそ、第二次大戦後に岩波文庫に収録されてからでも今日にいたるまでに数十刷を重ねたいわば隠れたロングセラーとなって読み続けられている。若い世代の人びとにも本書を読みついでほしいと心から願う。

 本書の構成はとても興味深い。「第5編・小作人生活事情」を除くと、「第1編・東京の貧民」、「第2編・職人社会」「第3編・手工業の現状」「第4編・機械工場の労働者」となっている。つまり、日雇い労働者から、はてはこそ泥にいたるまでの都市雑業層とも細民ともいってよい都市の貧しい人びとにはじまり、腕に覚えのある職人層、伝統的なものではあるが、機械を取り入れた機織りなどで働く人びとをなかにおき、最後に綿紡績工場と鉄工場の、いってみれば産業革命が進展するなかでの機械制の大工場の労働者たち、という順序で組み立てられている。おなじ貧しい人びとといっても、古い時代に起源をもつものから、新しいタイプの働く人びとの実態へと、みごとな構成上の展開をみせている。

 この展開のなかで共通することは、貧しさを社会問題としてとらえる意識である。横山は、都市細民の状態を描いたあと、「読者よ」と呼びかける。「貧民をみて一に懶惰のためとのみいうべからず」。貧困は怠けのせいではないという。いったん貧民の列に加わってしまうと、一生懸命働いても、なんらかの事情で高利貸しの餌食となり、やけになって酒に溺れ、「一生平和の境遇に出ずることをえざるなり」。
 このような本書の特徴は、さまざまな統計も引用されているが、基本的には、仕事と暮らしの2つの場面で、現場に横山自身が赴き、対象となるべき人びとの声や姿を、自分の目と耳、場合によってはさらに鼻でとらえたという点である。すべての種類の人びとの収入と支出の状況が記され、細民の長屋では、住民のあいだの口げんかまで活写されている。この点では読み物としてもとても面白い。
 機械工場では、すでにこの時期、昇給制度ができつつあることが示されているが、「深く各工場に入りてその実情を探れば・・・今日の実際にては昇給の標準あるなく、もし強いてこれを求めば、上長に媚を捧ぐること巧みなる者、多く昇給」していると書き、今日、査定とか人事考課とよばれるものの原型を見いだしている。
 横山だけではなかった。横山自身も参加しているが、当時の農商務省が行なって刊行した『職工事情』という名の報告書(これも岩波文庫に収録されている)も、生々しく現場の状況を伝えている。いまでは、統計などが完備して実態が明らかにされているようにみえるが、自分自身の反省も含めていえば、労働者の生きざまをほんとうに労働と生活の現場で足で稼いで、記録するという作業は、官庁はむろんのこと、研究者やジャーナリストでも、さらにいえば労働者の側にたつはずの研究機関でも、まれになっている。残念なことである。
 横山らに示される現場主義は、したがってまたその産物である『日本の下層社会』や『職工事情』は、日本の社会をなんとかしなくてはならない、という情熱に支えられていたことがわかる。
 横山は、貧困を軸に日本の社会問題の所在を示した。しかし、横山はそうした日本の実情に絶望しているわけでは絶対になかった。本書には付録として『日本の社会運動』がつけられて、創生期の日本の労働運動の状況が紹介されている。絶望しない理由は、この付録の最後で述べているように、「偏頗なる社会、不公平なる社会、黄金は万能の精力を有して横梁跋扈する社会」では、労働運動を軸とする社会運動が発展するからにほかならない。職人の項で横山はいう。「各種工業者諸君、団結は勢力なりと知らずや」。ますます、「黄金」が跋扈する現代、横山のこの言葉の意味をかみしめてみようではないか。

※なお、本稿は「ひろばユニオン」2014年8月号に掲載されたものに加筆・修正している。


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