諸富徹
「私たちはなぜ税金を納めるのか」

新潮選書
1400円+税
2013年5月

評者:山根正幸(連合秘書室次長)

 本書では、財政学者である筆者が、近現代の欧米における税制改革の変遷と、その背景となった租税思想の流れを紹介し、そこから、「税は取られるもの」という見方とは異なる租税観の存在を提示する。その上で、国家・法人・市民社会の三者関係を租税の観点から考察し、経済のグローバル化や環境問題など地球規模の課題に対して、どのような形で市民社会の側からコントロールが可能か、世界規模での税制改革について意欲的な問題提起を行っている。労働運動の側からも税の問題にどのようにアプローチするかを議論するうえで重要な提起を含んでいる。

納税は「権利」-近代イギリスの租税思想
 まず筆者はイギリスについて、市民革命以前から19世紀の所得税誕生までの税財政の変遷と、それに影響を及ぼした社会・経済思想を紹介する(第一章)。市民革命による国王権力の制限や租税協賛権の確立を通じて、近代国家から現代に至る「税」のあり方の原型が整う。筆者は、それに正当性を与えたホッブズやロックの社会契約論が、社会を形成する出発点を個人に置いて国家との関係を明らかにしたことで、租税とはあくまで個人が議会を通じて同意し、国家に対して支払うものであるという「自主的納税倫理」、つまり納税は「権利」であるとの見方の基礎を作ったと指摘する。

「義務」としての納税観-19世紀ドイツ
 次に筆者は、イギリスとは対照的な歩みをたどったドイツを見る(第二章)。ドイツでは、市民社会と国家は生命体のように一体であるとの有機的国家論が展開されたことで、納税は義務であるとの租税倫理を持つに至った。筆者は、ヘーゲルの思想、シュタインの「社会改良」論、ワーグナーの「社会政策課税」論をたどり、国家主導による資本主義の発展と租税思想の展開を追う。
 筆者は、ドイツ財政学の功罪について、国家・市民社会・個人の三項関係、租税を政策手段として用いるというプラクティカルな考え方を打ち出した反面、国家の役割を強調し過ぎた負の側面を指摘する。

富の不平等とたたかう「史上最強の政策課税」の成立-アメリカ
 筆者が次に注目したのはアメリカである。国家による便益の対価として権利の側面を強調するイギリス、国家が強制的に徴収する義務の側面を強調するドイツ。対して筆者は、アメリカでは公平な課税を求める社会運動を端緒に、選挙と議会・政党の論争を通じて「下からの税制改革」が実現された点、そして経済・社会政策目的を実現する手段として税制を利用した点に着目する。
 第三章では、南北戦争から第一次大戦期までの税制改革の歴史を振り返り、所得税が、導入から違憲判決、憲法改正を経て累進課税へと進化する過程を、政党間の駆け引を中心に描く。
 第四章では、大恐慌の後、時の大統領ルーズベルトが取り組んだニューディール期の税制改革を、その背景となったケインズらの経済思想と合わせて取り上げる。筆者は、この時期に実施された所得税の累進性強化、相続税の最高税率引き上げ、法人税の累進税率、法人間受取配当への課税等の「史上最強の政策課税」は、大恐慌の原因を独占・寡占に見出し、それを規制し所得分配の不平等を是正する政策目的のためであったとした上で、現代的税制の基盤を作った点を評価する。

国家・法人・市民の三者関係から、租税を位置づけ直す
 その一方で筆者は、政策課税の問題点について、主目的である財源調達、代替手段、経済の中立性との関係とともに、課税権力と民主主義の関係、すなわち課税権力をもつ政府に対しては、市民社会の代表である議会が拮抗・監視しなければならないとする点を指摘する。そこから筆者は、国家・法人・市民の三者関係の中で租税を位置づけ直そうと試みる。法人の私的な最適性は、必ずしも社会全体の最適性と合致しない。その場合に市民はどう行動すべきか。筆者は、消費者としての直接行動と、国家(=法人課税)を通じた働きかけの二通りを提示した上で、「市民社会が租税を自らの道具として使いこなして経済をコントロールする」租税観を提起する。

経済のグローバル化と金融取引税
 第五章では、EUで導入が決まった金融取引税の淵源を探りつつ、変遷する経済システムに対する租税の対応を追う。第二次大戦後のブレトン=ウッズ体制は、アメリカでは進歩的な官僚と実業家、そして労働組合からなる「ケインズ連合」によって支持され、金融の役割は実物経済の発展を下支えすることにあるとの共通了解があったと指摘する。しかし、ニクソンショック以降、変動相場制への移行が金融派生商品を生み、金融のグローバル化・自由化が経済の金融化をもたらした。つまり金融が実物経済の媒介手段から実物経済を支配する実態にかわってしまう。
 筆者は、株式市場の大衆化と不確実性・短期志向化に対して提起されたトービンによる国際通貨取引税の構想を紹介し、これまで非現実的とされてきたトービンの構想がリーマンショックを契機に一気に現実化する経過と曲折を追う。この中ではイギリスTUCが金融取引税について歓迎の立場であることが紹介されている。筆者は、一連の議論を通じて、金融に限らず国境を超える課題に対して、租税システム、課税権力はどうあるべきかと問題提起する。

「グローバルタックス」の構想
 第六章では、経済のグローバル化・金融化と並行して進んだ所得税のフラット化、法人税率引き下げ、国際的な租税回避の高度化など、税の水平的公平と垂直的公平が切り崩される問題点とその背景を指摘する。筆者は、これらの解決は一国の税制改革や二国間の租税条約の積み上げでは限界があり、「非連続的な飛躍」が必要であると主張する。そこで筆者が提起するのが「グローバルタックス」、すなわち世界共通課税の枠組みである。それは国境を超えた経済活動を課税対象とし、税収の全部または一部は地球環境など国際公共財の維持に充て、課税主体は複数の国家で構成される協同組織や超国家機関であるとする。
 筆者は、フランスを嚆矢とする航空券課税、EUの金融取引税の動向を見つつ、グローバルタックスの構想から、その管理のための国際的な統治機構の変革まで視野に入れて論じる。グローバルタックスの構想は、多国籍企業やそれを支持基盤とする政治勢力の動向など、一筋縄では行かないと思われる。しかし、世界が極を失い、従来の国際機関の枠を越えた多様な主体の協働による問題解決が求められる時代に入ったとも言われている中、興味深い提起である。

 終章では、これまでの議論をまとめつつ、法人・国家・市民社会の三者において、法人のグローバル化、国際的な共通課税権力が確立するならば、グローバルな租税協賛権も必要になると主張する。その上で、グローバルな舞台で、多国籍企業に対し超国家機関を通じて租税によって「下から」コントロールする姿を構想する。筆者はその萌芽をEUの統治機構に見出す。

 本書を通じて、私たちが教科書的に学んできた税制の基本機能(財源調達機能、所得再分配機能、景気安定機能)の背景を深掘りできる。翻って我が国では、諸外国のように(労働運動などによるいくつかの提起はあるものの)国民が自ら税制の全体像を構想し獲得する経験を持たないまま、累次の政策減税で税制の基本機能が歪められてきた。そこには「とられたくない」意識のみが肥大化して、一般市民レベルでまじめな税にかかわる論議が発展しないという状況もあり、この点は労働運動にも一定の責任がある。成熟社会に移行し、格差拡大、社会保障の持続可能性などの課題を抱える中、本書は私たちが今後税制をどのように使いこなしていくべきかを考える契機になるだろう。


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