竹信三恵子
『ルポ賃金差別』

筑摩書房
760円+税
2012年4月

評者:西野ゆかり(連合連帯活動局次長)

 「身分差別」と聞くと、アメリカの人種差別、南アフリカのアパルトヘイト、はたまたインドのカースト制度など、海の向こうの話かと思うかもしれないが、実はわが国の話である。そう聞くと、江戸時代の士農工商のことか、あるいは明治の華族制度のことか…などと思うかもしれないが、それも違う。これは今の日本に起きていることなのである。
 正社員と非正規、定期採用者と中途採用者、全国採用と地域採用、派遣社員と派遣先の社員…ほぼ同じ仕事を担っていながら、仕事の中身には無関係な"差"によって大幅に賃金の差がつく。仕事は同じなのに、雇われ方で名称が変えられ、その分類に入った人たちには「低賃金でもかまわない人たち」のレッテルが貼られる。これは「身分差別」の何ものでもない。
 こうして「低賃金でもかまわない」人たちの群れは膨らみ続け、気がつくと、会社が利益をあげても、働き手にはお金が回らない社会になっている。だが、このような状況に日本が陥っていることを一体どのくらいの人々が気づいているのだろうか。
 本書は、こうした現代日本におきている労働問題である「身分差別」を「賃金」というものさしにスポットをあて「賃金差別」として考察し、警鐘を鳴らしている。

 身分差別の対象となる人々には、当初は、若者や女性など「家族を養わなくてもいい人たち」と分類された層がはめこまれていたが、いまや出身地、性別、採用形態、雇用形態と、さまざまな線引きによって自在に賃金に差をつけられる私たちの社会は、女性ばかりか、男性にとっても、「賃金差別大国」となりつつある。本書は、制度や法律からは見えにくい、こうした状況を賃金差別をめぐる訴訟や労使交渉に踏み切った当事者への聞き歩きで、浮かびあがらせている。

  • ○第1章「賃金差別がつれてきた世界」では、「家計補助的」とされた労働は、低賃金でも不安定でも仕方ないとした京大の時間職員訴訟の判決をもとに、日本社会が賃金差別と正面から向き合おうとせず、賃金差別が当たり前になってしまったことに根本的な疑問を投げかけている。
  • ○第2章「かけ替えられた看板」では、均等法以前に社会問題となっていた男女別賃金が均等法後にどのように見えなくなっていったのか、なぜ均等法では解決しなかったのかをたどっている。
  • ○第3章「『能力』と『成果』の罠」では、採用形態や性別による賃金決定への批判にこたえて生まれたはずの能力給や成果主義賃金が、実は、上司の覚えに左右されやすく、新しい不公正を生み出したものだったことを明らかにしている。
  • ○第4章「労働と『ボランティア』の狭間で」では、夫の扶養下にあるから、老後は年金があるから、としてボランティア的な賃金に落とし込まれていく、パートや再雇用社員の現状を検討している。
  • ○第5章「『派遣』という名の排除」では、派遣・請負労働などの会社の外の労働者をつくりだすことで、社員の賃金との差をつくっていく手法について、派遣社員や原発の下請け社員の体験から問い直している。
  • ○第6章「最悪の賃下げ装置」では、様々な差による偏見を利用し、時にはつくりだして、一部の働き手を架空のカテゴリーに押し込め、恣意的な評価で働き手を無力化する装置としての「賃金」制度を「最悪の賃下げ装置」と規定し、これらの賃金差別からの脱却の必要性、克服へ向けた試みを紹介する。

・「同一価値労働同一賃金」なくして解決の道はない!しかし労働組合は・・・
 もう幾度も唱えられ、それでも日本においてどうしても実現されない「同一価値労働同一賃金」について、筆者もあらためてその必要性を訴えている。さらに、差別を規制する法律はあっても、何をもって差別とするのかの「ものさし」が明確ではなく、その定義を決める政府の審議会や国会などに、差別を受ける側の働き手の代表はほとんど参加していないとの指摘も忘れていない。
 しかし私が最も印象に残ったのは、労働組合の態度に正面切って疑問を投げかけている点である。「女性たちの要求をねじふせて会社に同調し、賃金差別の実態を調べるための賃金表の開示まで拒んだ労組の男性たちは、なぜあそこまでかたくなだったのか。あのような行為で、彼らはどれほどの得をしたのか。(略)なぜ、彼らは差別について黙りつづけてきたのか」とのくだりである。「同一価値労働同一賃金」について、労働組合が本腰を入れて取り組まなければ、労働の買いたたきを止めることはできない。グローバル化と少子化が進む中で、性別や出身地、国籍にかかわらず、あらゆる働き手を生かせる職場づくりに迫られていることを経営者以上に労働組合が本気で考えなければならない。

・もう一歩深める
 本書を読み終えた時、今は「正規」と呼ばれるカテゴリーに身を置く自分自身の心の根っこをさぐってみた。私は均等法前に企業に就職したので、賃金に限らず公私共にあらゆる場面で男女の違いについての痛みを感じてきた。そのため差別問題にはかなり敏感なはずである。しかし本書でいう非正規の人たちの「賃金差別」に関わる本当の痛みが果たしてわかっているのだろうか。無意識のうちに私自身もいつのまにか"こちら側"にいて"あちら側"を静観していることに気づかされた。本書はそんな自分を我に返してくれた。人は生きていくために働かなくてはならない。どんな働き方の人にも労働権は同様に保障されなければならない。本書は労働運動の原点ともいうべきこの課題を労働運動の担い手に思い起こさせる。
 むろん本書にいくつかのの疑問点もある。1つは、著者がそうだといいきれるわけではないが、一部の論者にあるように、同一価値労働同一賃金を単純なジョブ型賃金と同視して、たとえば職務給にしてしまえば、すべての差別が解消されるといった論議につながる可能性である。どのような賃金のあり方を求めるべきなのか。2つは、働く女性自身のビヘイビアである。差別の対象となる彼女たちの多くが、なぜ組合に参加し、発言し、行動しないのか。むろんこうした点は、私たち自身の課題である。


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