熊沢誠
『労働組合運動とはなにか -絆のある働き方をもとめて-』

岩波書店
2100円+税
2013年1月

評者:西原浩一郎(金属労協議長)特別寄稿

 非正規雇用の増大等に伴い顕在化した格差社会、働く貧困層の拡大、過労死、仲間同士の連帯が弱体化し追いつめられる労働者。筆者は、日本の社会・労働を取り巻く今日の深刻な事態を招いた労働組合運動の後退と存在の希薄化を指摘し、連合や金属労協など、いわゆる「主流派労働組合」に対し徹底的な批判を展開する。特に日本の労働組合の主軸を成す企業別組合の運動思想とその限界性に対し辛辣な評価を加える。本書は、労働組合の思想・基本的機能・組織形態の原点に関わる整理を起点に、欧米の労働運動の軌跡をたどり、日本の労働者と労働運動の歩みを振り返り、労使関係と労働組合に対する批判的な考察を展開するとともに新しい組合運動の可能性を模索する。このように本書は日本の労働運動に警鐘を与え、いくつかの重大な問題を提起するが、これまで30年近く、その実践の場に身を置いた者としては、多くの点で筆者と見解を異にする。

・企業別労働組合の認識について
 まず第一に、筆者の日本の労働運動の歴史や企業別組合への認識と評価には大いに疑問がある。戦後労働運動の歩みの中で、何故に階級闘争主義的な労働運動から民主的労働運動へと大きな方向転換がなされたのかという点について、その考察がバランスを欠いている。筆者は、総資本の圧力に抗しきれなかった労働運動の敗北、経営側による職場の組合規制の奪還といった観点等で整理している。しかし実際には、雇用確保と生活の安定・向上を求め、組合員の理解・共感を得ながら路線転換が図られてきたのである。こうした労働運動の歴史についての洞察が不十分と言わざるをえない。
 また筆者は、欧米との比較において、日本の労働運動の歴史を否定的にとらえすぎている。当然、各国毎の労働運動の歴史には、それぞれの社会・経済・文化的背景が大きく影響している。本書でもその背景への考察が述べられてはいるが、階級的連帯によるソーシャルユニオニズムが根付く欧州等との比較において、日本の労働運動の後退を強調することには、強い違和感を覚える。少なくとも組合員の雇用維持の成果については日本の企業別労働組合のもってきた役割は誇りに足るものがあり、経済停滞下の今日、それが浸食されているとはいえ、一定の社会的規範となってきたという意味で、ソーシャルな意義をもったことも否定してはいけない。
 日本の労働運動が、職場の支持の下で歩んできたこれまでの道筋を辿る際には、「組合員の雇用確保・生活向上・働き甲斐向上」と「企業の健全で永続的な発展」を不可分なものとして整理し、その一体的な実現を目指した「生産性向上運動」に対する評価が重要である。生産性向上運動は、単なる効率化を目的としていない。「人間尊重」を基本として[1]雇用の維持・拡大[2]労使の協力・労使協議[3]成果の公正配分の3つの原則による取り組みは、長年にわたり民間部門を中心に多くの労働組合の運動のバックボーンとなってきたし、この運動の広がりと定着が、民主的労働運動への収れんを果たし、経済発展と国民生活向上の土台を築いてきた。歴史を振り返る際、このことへの言及が、ほとんど見られないのは理解できない。一方で、現在、経営者の生産性向上運動への認識が希薄化し、公正配分を中心に三原則が軽視されつつあることは、今日的な問題である。

・多様化の時代の「普通の労働者」
 第二に筆者は企業別組合は、生産性向上や企業の支払い能力への配慮といった経営者の理論に対抗できない、または外在的であり得ないという理由でその意義を否定する。特に「普通の労働者」にとっての意義に疑問を呈し、能力主義の受容により階級的連帯が喪失するなど、企業別組合は個人の受難にも寄り添えない存在であると主張する。しかし企業別組合が、経営に対するカウンターパワーとして環境変化に対応し、雇用・労働条件を守り高めるために、労使のコミュニケーションラインを維持しつつ、一定の成果をあげてきた事実を否定することは正当でない。
 日本の企業別組合は、組合員の価値観が多様化する中、様々な意見・要望を集約し、利害調整を図りながら合意形成に努め、労使関係の当事者として代表性を維持し、企業・職場に関する圧倒的な情報量を武器に活動を展開してきた。
 環境変化が常態化する中で、組合員の雇用と労働条件を持続的に確保していくためには、企業の組織文化に熟知し、精度の高い企業情報と職場実態の把握に基づき活動する企業別組合の存在は重要である。少なくとも組合員個人の受難に向きあうことなく、「普通の労働者」に寄り添わない企業別組合は、そもそも労働組合たりえない。この意味では、筆者のいう「普通の労働者」は、多様化時代の今日では、実際の労働者というよりは、概念としての存在かもしれない。

・非正規労働者については企業別労働組合にも弱点
 ただし非正規労働に関わる課題への対応に関し、企業別組合が組織化努力を含め社会運動的感覚の弱さからも、後手に回ったことは事実である。この点では企業の枠を超えた労働組合の社会性があらためて問われていることは認めるところである。
 したがって内向きの発想と過度の既得権擁護を脱しつつ、企業別組合の強みは強みとしてこれを維持し、克服すべき課題の認識の共有化を図りながら、連合・産業別組織・企業別組合が役割・責任分担を図りながら、連合が目指す「働くことを軸とする安心社会」の構築に向け行動することで、筆者の警鐘・問題提起への答えを示していかなければならない。

 筆者にも、企業別労働組合への外在的批判に終始するのではなく、労働運動の中心部のリーダー・活動家との交流をつうじて、企業別組合の積極的な側面についてもより深い検討をしていただくことを期待したい。
 

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