坂野潤治
『日本近代史』

筑摩書房
1100円+税
2012年3月

評者:麻生裕子(連合総研主任研究員)

 著者は、明治維新から日中全面戦争突入までの近代の歴史を、改革期→革命期→建設期→運用期→再編期→危機期→崩壊期の段階にわけて考察している。この時代区分は、公武合体→尊王倒幕→殖産興業→明治立憲制→大正デモクラシー→昭和ファシズム→日中戦争→敗戦といった、各時代の特徴をあらわす固有の言葉でいいかえることもできる。著者の問題意識は、現代日本の危機的状況をどのように理解し、それを打開するかという点におかれている。すなわち、こうした一連の政治プロセスが終戦直後の戦後改革からの現代史にもみいだせるのではないかと示唆する。しかし、プロセスの最終地点が必然的に危機や崩壊であるとはかぎらない。方法によっては回避できたかもしれないのである。それを発見しようというのが、著者が時代区分して分析した意味である。

 著者は、時代区分のうち再編期について、その内容を「政治参加の『平等』を意味する普通選挙制と、政権選択の『自由』を意味する二大政党制のセットである」と定義する。本来ならば、再編期のこの2つの課題が1920年代なかばに実現した時点で大正デモクラシーが完成し、ひいては日本政治の近代化のプロセスが完成するはずであった。しかしそうはならず、その後、昭和ファシズムというべき危機そして戦争と崩壊の時代へ突入していった原因のひとつを二大政党制のあり方に求める。著者はつぎのように分析する。

 「政友会と憲政会(民政党)が内政と外交において一長一短であった一九二〇年代前半の方が、政治の安定と進歩に役立ったように思われる。両党のどちらが勝っても、『平和』か『民主化』の一つは担保されるからである。反対に、憲政会(民政党)が勝てば『平和と民主主義』が、政友会が勝てば『侵略と天皇主義』が強調されるという一九二五年から三二年にかけての二大政党制は、政党政治だけでなく、日本国家そのものを『危機の時代』に導いた一因だったように思われる。」

 いいかえれば、二大政党の政策的対立点が明確になればなるほど、政権交代のたびに政策が大きく揺れ動くということを意味する。ましてその政策的対立が、政権の維持または奪還という政党の利益にもとづいて組み立てられるとするならば、国民の選択は大きな理想とか将来への構想とかではなく、ごく限定された論点でのみ行わざるをえないことになる。反対に、対立点があいまいであると、その政策が誰にとっての利害となるのかがわかりづらくなる。さらに利害を超えて、その時代に必要不可欠な改革を国民的に論議していく視点が失われてしまう。

 政権交代が可能で、なおかつ国民に平和と民主主義を保障する社会をいかにつくるかという論点はきわめて難題であるが、右傾化する現在の日本にとって避けてとおることができない課題である。少し深読みをすれば、あるいはまたその方法論としては二大政党制とは別の道筋でありうるかもしれないことが、本書では示唆されているといえる。
 近代日本を危機に導いたもうひとつの原因は、政治指導者の資質にあると思われる。著者は明治維新と昭和維新の相違は指導者の質にあると分析する。具体的には、幕末の藩士・西郷隆盛のような欧米認識や幅広い人脈が、日露戦争後の右翼指導者・北一輝にはなかったという。

 「おわりに」のなかでも著者は意味深い言葉を残している。「東北地方の復旧、復興は日本国民の一致した願いである。しかし、それを導くべき政治指導者たちは、ちょうど昭和10年代初頭のように、四分五裂化して小物化している。」
 すなわち、指導者の質そのものがその国の政治社会のありように決定的ともいうべき影響を与えているのである。指導者層がまとまらず、しかもその一人ひとりが小物であれば、政治は混迷し、社会は危機に陥ってしまう。まさに現在の日本政治の状況をあらわしている。

 著者も指摘するように、たとえば革命期の指導者の資質と建設期のそれとは別のものであるが、すくなくとも幅広い見識や人脈は指導者の資質として必要不可欠なものと考えられる。これは政界にかぎらず、労働運動、社会運動の指導者もおなじであろう。現在よりもさらに小物化していかないように、次世代指導者の育成に注力することが、歴史の教訓としてえられた喫緊の課題ではないだろうか。

 本書は、上述の2点にかぎらず、1857年から1937年までの日本近代政治史を丹念に通観した好書である。混迷する政治情勢のなかで今後の日本社会のあり方を考察するためには、歴史分析は不可欠である。まさに時宜をえた一冊であるといえよう。


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