小熊英二
『社会を変えるには』

講談社現代新書
定価1300円+税
2012年8月

評者:内藤直人(連合総研研究員)

 本書は、リーマン・ショックや東日本大震災を経て様々な課題に直面しながらも、有効な解決策が見いだせずに閉塞感に覆われているわれわれにとって、「社会を変える」とはどういうことか、どうすればいいのかを考えさせてくれるだろう。その意味では、労働組合役員をはじめ労働運動を担う方々にぜひとも読んでいただきたい一冊である。ただし、もの足りなさを感じるのは、労働運動への言及がほとんどされていないことである。この点を批判的に読み、労働組合からの視点を付け加えるのは労働組合関係者の責務であるともいえる。

著者は歴史社会学を専門とする社会学者であり、これまでも「1968」や「〈民主〉と〈愛国〉」などの著著で政治思想やその歴史を論じ、骨太な問題提起を行ってきたことで知られる。本書は、中央公論新社主催で全国有力書店の新書に造詣の深い書店員や各社新書の編集長らの投票により選ばれる「新書大賞2013」の大賞に選ばれている。その感想をみると「現在の日本に暮らしている私たちを取り巻く息苦しい状況。この閉塞感を打破するため、自分が動くことでちょっと社会の風通しをよくするための実践的指南書です」「普通の人が、身近で切実な社会問題をどうしたらいいか、何かをしたい、社会を変えたいと思ったときに答えをくれる一冊」(「中央公論」2013年3月号)とある。著者は「『正しい答え』が書いてある『教科書』としてではなく、思考や討論のたたき台になる文例集、『テキストブック』として本書を使ってもらえればいい」と述べている。

本書の内容は、大きく三つに分かれる。まず、日本社会の現状をつかむとともに社会運動の変遷をふまえる(第1章~第3章)。次に、日本社会からいったん離れ、そもそも論である、民主主義とは何か、代表を選ぶことはどういうことなのか、それがどう行き詰まっているのかを、過去の思想を紹介しながら考えていく。それは、古くは古代ギリシャ思想から近代政治哲学、現代思想まで、歴史的にも深く分野も広範囲に及ぶ(第4章~第6章)。そして最後は実践編である。社会運動の理論や事例を紹介しながら、現代日本で「社会を変えるには」を考える(第7章)。本書が提示する視点は非常に多岐にわたっており、とてもその全てを紹介することはできない。ここでは、評者が重要だと思うキーワード、「ポスト工業化」、「再帰性の増大」の二つを紹介したい。

「ポスト工業化」の概念は、日本社会の現状を把握するための重要な概念である。著者の説明は次のとおりである。1990年代半ばまでの日本は、ベルトコンベア式の大工場での大量生産にみられるような「工業化社会」と位置づけられる。この社会の特徴は「安定」である。大量の労働者が雇用されて、高賃金を受けとる。大量生産された工業製品は、高い賃金に支えられた購買力によって売れていき、安定した雇用を約束する。政治も安定する。農民や自営業者や企業主は保守政党、労働組合は労働政党を支持し、二大政党制ができる。マイナス面としては「画一的」なことである。商品が画一的になる。働き方も画一的であり、ピラミッド組織型の大きな会社で長期雇用される。こうした「工業化社会」から「ポスト工業化社会」に日本社会が移行したのは、90年代半ば以降である。この社会の特徴は「自由」である。まず情報技術が進歩してグローバル化が進むと、国内の賃金が高い先進国の製造業は海外に移転する。国内に自社工場を持つにしても、コンピュータ制御の自動機械があれば熟練工はあまり必要なくなり、現場の単純業務は短期雇用の非正規労働者に切りかわる。事務職も同様で、ピラミッド型の会社組織も必要なくなり、随時に集まって随時に契約解除する、ネットワーク型に変化していく。

かつての日本社会では、会社、官庁、商店会、農協、町内会、学校、労組、家族など、多くの人は「どこか」に所属していた。そして規制と保護と補助金のシステムをはりめぐらせ、その見返りとして政党への支持を集めてきた仕組みだったのが、経済が悪くなり、規制や保護をはずし、公共事業や補助金を削らざるをえなくなると、システム全体にガタがきて、そこから漏れて「自由」になる人が大量に出てきた。そのため、企業家や農民らに支持されていた保守政党が弱くなり、既存政党による政治が安定を失って、行き場を失った浮動票が増えていく。これが今の日本社会である。

こうした現代の政治の危機への対応を思想的に考えるにあたり、著者が紹介するのが、イギリスの思想家アンソニー・ギデンズの「再帰性の増大」という考え方である。ギデンズの考えでは、近代化には「単純な近代化」と「再帰的近代化」がある。「単純な近代化」とは、個体論的な合理主義が成りたっていた時代の近代化のことである。たとえば労働者階級は一つの個体である。だからこういう政策をやれば満足するはずだ。同じように失業者は、母子家庭は、高齢者は、それぞれ一つの集団として把握できる。だからこういう福祉政策を施してやればよい。こういう前提が成りたっていた時代は、代議制民主主義も、経済政策や福祉政策も、機能した。要するに、「こうすればこうなるだろう」という予測が立ちやすかった。

ところが、「ポスト工業化社会」ではそうした予測が成りたたなくなっている。どうしてこうなったのか。著者はいう。人びとが「自由」になって、選択が増大したからだ。自由で合理的な主体が増えれば、世の中の見渡しがよくなり、予測可能性が高まって本来の展望が立てやすくなるはずだが、そうなってはいない。その理由は、相手のほうも「自由」になり、選択可能性が増大したからである。男女や家族の関係も、企業間の関係も、政治家と有権者の関係も、どこの国に住むのかも、グローバルなレベルで選択可能性は増えているが、相手から選択される可能性も高くなっている。これが再帰性である。再帰性のもとでは、主体も相手もどんどん変化してしまう。このため予測が立たなくなり、不安が増している。

ではどうしたらいいのか。ギデンズは、再帰性を止めようとするのではなく、再帰性には再帰的に対処しなければならない、と提案する。この世に現れてしまった矛盾を、もとに戻すのは不可能であり、内在的に変わるしかない。具体的には、対話の促進である。もう「村」や「労働者」といった従来の「われわれ」に、そのままのかたちで頼ることはできない。ならば対話を通してお互いが変化し、新しい「われわれ」をつくるしかない。こうして作られる関係を、ギデンズは「能動的信頼」と呼ぶ。こうしたギデンズの理論を実践化するために、著者は、少数でもいいから、つながりをつくって人と人との関係や地域を変えていく新しいタイプの運動が必要だと主張する。

このように著者と、人と人との関係の新しい展開を踏まえて、新しい人々の運動のあり方を提案する。現時点で運動の新しい理念を議論することが重要だという点で、著者の見解は十分に吟味するに値する。ただその主張がすべて納得的なものであるとはいえない。たとえば、「固体」をもとにした労働運動があたかも過去のものになってしまったかのような印象を与える点は、明らかに問題である。この点は集団的な労使関係と個別的な労働契約の雲形を考慮するだけでもわかることである。こうしたことを含めて、著者の論議が真剣に議論されること期待したい。

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