PHP研究所
1300円+税
2011年1月
評者:遠藤和佳子(教育文化協会ディレクター)
本書は、孤独死、児童虐待、DV、離婚、貧困などが社会現象となり、そうした現象が、人と人との絆がなくなっていくという意味での「無縁社会」の到来と深くかかわっていると位置づけ、また、こうした孤独な人びとの貧困問題が特に深刻であると指摘したうえで、それに対する新たな対策について論じている。内容的には十分に論議がつくされていない点もあるが、現代の大きな問題をとらえているだけでなく、労働組合の活動のあり方にも深くかかわっているので、ぜひ一読してほしい。
高齢者をとりまく状況の変化
著者はまず、高齢者の孤独死の増加とその背景にある単身者の増加についてデータを示している。単身高齢者が増加している理由として、[1]産業構造の変化による地域間労働移動、[2]年金制度の発展により老親が経済的に独立できる体制がある程度整ったこと、[3]自由主義、個人主義の発展により、核家族を日本人が望むようになったこと、[4]「共同体」意識の希薄化、[5]国民の所得水準が高くなったことで、家計を独立して運営できるようになったこと、[6]平均寿命の伸び、によって三世代同居が減っていることが挙げられている。そのような状況のなか、実際に単身で暮らす高齢者は、孤独死や年金、医療費、介護費用の不安や孤独を感じているという。孤独な高齢者の貧困問題を解決するには、生活保護制度に依存するのではなく、最低保障年金のような年金制度の改革が重要であるとしている。
家族の変化
続いて、若者が結婚しない・できない理由を紹介するとともに、子どもを持とうとしない人が増加していることも指摘している。そのうえで、出生率の上昇に方向転換できるであろう重要な点として[1]子育て費用や教育費の負担軽減、[2]働く女性の子育て支援、[3]男性の意識改革、[4]子どもを安全に育てられる環境づくり、やや過激な政策であるものの、[5]妊娠中絶数の低下、[6]結婚によらない出生を社会で容認すること、をあげている。
また、一度家族を形成した人が離婚や家庭内暴力で単身者に戻るケースが増えていることや離婚に対する意識の変化を示し、子育てにおいては育児放棄や児童虐待といった問題が生じている、としている。これらの問題の増加は、社会的・経済的な背景や意識の変化などが要因として考えられ、対応策として[1]他人への依存心を弱めて、ある程度の自立心を強固にする、[2]現在家族単位となっている社会保険制度を個人単位とする、の2点があげられている。
「有縁社会」から「無縁社会」へ
「無縁社会」になる前の日本は、血縁、地縁、社縁で結びついている「共同体主義」が特徴であったという。共同体主義とは、共通の特性を有する人々の間での助け合いを尊重する思想と言い換えられる。
血縁とは、親族関係を重視する言葉であるが、家族という言葉に置き換えることも可能である。戦前までに見られた「大家族制」「家父長制度」とも取れる。しかし、すでに述べたように、家族の変化により血縁は弱まっている。
地縁とは、同じ地域に住む近隣の家をまとめた最小単位の社会組織であり、その始まりは奈良時代までさかのぼるという。現在では町内会がそれにあたるが、現在の町内会は各家庭の中まで入り込むものではなく、メンバーのなかで不幸があれば助け合うということは期待されていないという。
社縁について、著者は、企業や役所といった組織に属する人の仲間意識という意味で用いている。社縁意識は、終身雇用や企業福祉によって高められ、企業にとっても優秀な人材を確保できるというメリットがあったが、日本経済が長期の停滞期に入ることで、社縁が崩壊に向かったとしている。
期待される政策
では、「無縁社会」で不幸な人生を送らざるをえない人々に対して、どういった対策が求められるのか。著者は、血縁・地縁・社縁がうまく機能しない以上、最後に期待できるのは自立か政府であるとしている。もちろん、ある程度の自立は必要であるが、国民がそれなりの負担をしたうえで、社会保障制度を量的に拡大し、民生委員の役割強化などによるきめ細かい対応が必要であると述べている。
著者は最後にNPO組織の重要性に触れている。公共部門には限界があるので、NPOの果たす役割が大きいと述べている。公共部門には、NPOへの監視・指導に加えて、運営方法へのアドバイスや補助金支払い、国民への情報提供などの貢献が求められるとしている。
より深い研究と論議を
人と人とのかかわりは、国際的にもソーシャルキャピタル論として、近年急速に注目を集めている。この問題を正面から取り扱おうとした本書は先駆的な業績として評価できる。
しかし不満も残る。著者は、血縁、地縁、社縁を羅列しているが、そのあいだの関係と原因-たとえばすべての面にわたる競争主義-については分析していない。また、この3つが崩壊するのは歴史的な方向をもっていて、それにかわる新しい人と人とのつながりが樹立できない理由、たとえば「男性は仕事、女性は家事」といった性別役割分業が崩壊していく反面、長時間労働の解消や社会的な保育など男性も女性も仕事と家庭・地域との両立を可能にする制度的な仕組みが整っていないことなどについて、手厚い言及がおこなわれているわけではない。全体のスジ書きと矛盾するように思われるところもある。「草食系男子と肉食系女子のミスマッチ」の部分がそれで、男性は人と人の連帯の気持ちより「闘争心や競争心」を持った方がいい、と受け取れる。こうした考え方では無縁社会を克服することにはつながらないのではないか。さらに、新しい有縁を築くためのライフサポートセンターのような活動がまったくとりあげられていないことも気にかかる。
こうしたことを含め、本書がソーシャルキャピタルにかかわるより深い研究と論議のきっかけとなることを期待したい。
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