正村公宏
『日本の危機-私たちは何をしなければならないのか』

東洋経済新報社
1800円+税
2012年12月

評者:麻生裕子(連合総研主任研究員)

 著者は1960年代当時から労働組合と所縁が深く、数多くの政府の審議会にも参加した著名な経済学者である。長年にわたり日本社会を鋭く批判し、改革の必要性を説きつづけた著者は、「日本の危機は多くの日本人が考えているよりはるかに深刻」であると警鐘をならす。
「20世紀後半の日本の経済と政治と社会を観察してきた人間のひとりとして、満80歳を超えたいま、21世紀を生きる日本人に向けて、どうしても自分の思いを伝えたい」。「自分の観察と考察を書き残して日本を危機に追い込んだ人々の責任の追及を後世の歴史家に頼みたい」。本書の冒頭で述べられる著者のこうした思いが、本書を書く直接的なきっかけになったという。次世代の人々へのメッセージが多分に込められた一冊といえよう。

本書は、日本の危機の原因と本質を根源までさかのぼり検討し、中長期の展望のなかでわれわれが何をしなければならないかを明らかにすることをねらいとしている。
第1章「日本の危機の深さを直視する」では、どのような問題を注視しなければならないかを明らかにし、その問題の深刻さと変革の方向性を示す。具体的には、民主制の機能不全と政治の迷走、国家財政の再建と社会保障改革、少子高齢化と子育て支援、学校教育と社会の指導的人材育成、農村と都市の構造などの課題について、日本の危機は幅広くかつ根深く進行していることを示している。
つづく第2章「誰が危機を招き寄せたのか」では、「歴史を具体的に調べなおし、現状の動きを具体的に調べなおし、未来への選択を具体的な政策の問題として考え抜かなければならない」とし、戦後史の検証をおこなう。たとえば1970年前後には、成長優先型経済が台頭する一方、「くたばれGNP」という新聞社のキャンペーンがそれを批判し、経済成長をめぐる議論が活発になった。当時、著者は一貫してどちらの立場もとらず、社会政策の大幅拡充により安定成長が可能になると主張した。さらにこの章では、現在にいたるまで危機を進行させたのは政府与党だけではなく、野党、労働組合、マスメディアにもその責任の一端があることも示唆する。
第3章「民主制を機能させて信頼できる政府をつくる」では、戦後、民主制が機能しなくなった根本的な要因の一つは、多くの国民や政治家が日本国憲法の自由民主主義と社会民主主義の思想を理解していないことにあると著者は述べる。民主制が機能しないもう一つの要因は選挙制度にあるとし、ドイツ型の小選挙区比例代表「併用制」の利点を説く。
最後に、第4章「日本の『知』の構造を根底からつくりかえる」では、現実の動きを注意深く分析しようとしない学者、適応能力ばかりが蓄積され、創造能力が蓄積されない日本人の習性など「知」の構造の問題性を浮き彫りにし、その変革の必要性を主張する。そのためには、自分の意見をはっきり発言でき、同時に他の人間の話に耳を傾けることができる人材が育つ社会をつくることが重要であり、「資本主義か社会主義か」「大きな政府か小さな政府か」といった二者択一ではなく、自由民主主義と社会民主主義を組み合わせた複合型の体制、多次元的な社会が求められていると強調する。

本書全体をつうじて特徴的なのは、戦後史をふりかえりながら、著者みずからの過去の発言や記述を「自己点検」している箇所が随所にみられることである。これまで国会や審議会などで専門家としての意見を求められる立場にあった著者は、たとえオブザーバーあるいはバイスタンダーであっても「過去の自分の発言には相応の責任を負わなければならない」と考えているからである。
当時の自民党政権や労働組合がとる政策・方針について、著者は「その場しのぎ」や「いい加減」という言葉で評価する。それらは結果として、著者の主張とは反対の方向に進み、悪循環に陥っていった。
とりわけ印象的なエピソードをひとつあげると、1970年代以後の中成長時代、労働力は供給過剰になり労働時間短縮の動きが止まった。著者は労働組合にたいして「労働時間を短縮すれば労働の需給関係が労働者側に有利になり、残業手当が減っても賃金の総額は上昇する可能性がある」というアドバイスをしたにもかかわらず、日本の労働組合は労働基準法改正の統一行動を組織しなかった。
著者が保守勢力だけでなく革新勢力にたいしても強く批判をするのは、革新勢力が保守化の傾向にあることにも理由はあるが、今後の日本を考えたときに革新勢力の役割がきわめて重要であると認識しているからにほかならない。
結論として著者が最も強調したかったことは、本書のなかでたびたび登場する「ラディカル(根源的・根底的)に思考してリアル(現実主義的)な改革を進める」という言葉に端的にあらわれている。社会のあり方を改革する者は、歴史と現状を具体的に調べ抜き、今後の政策の問題として考え抜かなければならない。
ただ1つだけいえば、歴史的にみても適切な著者の提言が受け入れられず、結果として危機を深めてしまったのはなぜか、提言する側にも問題はなかったのか、という点も問われるべきではないだろうか。
過去の労働組合リーダーたちは、著者の厳しい評価をどう受け止めるだろうか。また現在の労働組合リーダーたちは、著者のいう、ラディカルに思考しリアルに改革を進める人材を今後どう育成していくのだろうか。こうした人材が育つ環境づくりが改革の第一歩になることを期待したい。


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