大瀧雅之
『平成不況の本質-雇用と金融から考える』

岩波新書
定価700円+税
2011年12月

評者:平井滋(連合総研主任研究員)


 著者の大瀧教授は、マクロ経済理論の専門家であるが、本書は単に経済理論やマクロ政策の枠を超え、構造改革も含めた昨今の思潮への批判を含んだ警世の書である。

本書の概要は以下の通り。
第一章ではいわゆる「デフレ」悪玉説を批判する。日本経済に起こっている物価の低迷について、物価がマイナスとなるという意味でのデフレではなく、単に物価上昇率が低下するという意味のディスインフレに過ぎず、いわゆる「リフレ政策」によって無理に克服しようとすることは一部富裕層の利益となるだけである、として厳しく批判している。逆に、有効需要の創出を通じ、雇用増、賃金増を経て、結果として物価は上昇していくべきものであると説く。
第二章において、物価低迷の原因ともなっている中長期的な有効需要の低迷の原因を「海外直接投資」の増加による国内投資の減少に求める。短期的視野に基づく株主主権という誤ったドグマのもとで、企業が「海外直接投資」を増加させたことが、日本企業の特色である企業と労働者の有機的な生産関係を衰えさせて、生産性低下、賃金低下、国内需要低下という悪循環を作りだしているというのである。
第三章では、企業の価値の源泉を労働者と企業組織の有機的な(「相互規定的」な)結びつきに求め、こうした結びつきの価値に十分な考慮を払わない株主主権論による企業経営や政策を批判する。特に、労使の力関係が使用者側に強すぎる状態になっているため、派遣法規制緩和などにみられる過剰に使用者側に有利であり、中長期的にはマクロ経済を低迷させることになる施策が採られたとしている。
第四章では、市場型間接金融、投機の奨励、郵貯民営化、官から民へ、中銀の独立性といった構造改革下で推し進められた各種の施策や政策ターゲットを批判している。特に銀行によるスコアリング融資や銀行の投信販売などによって、銀行による情報生産機能が損なわれ、金融や経済の不安定化を招いているとしており、その対応策として、銀行を、旧来の与信や受信などの古典的な業務に限定するという意味で「ナローバンク化」するべきであるとしている。
終章において、IT革命、教育の規格化、構造改革による教育の私有化を嘆き、コミュニティの再生も含めて公教育を見直していくべきとしている。また、その際の重要要素として、時間をかけて「待つこと」、そうして生徒・学生のもつ生来の(innate)能力を発現させることの重要性を唱えている。雇用創出のためには、世代間格差を煽るのではなく、需要の創出が重要であるとし、被災地に立地した企業が思い切った税制優遇を受けることが出来る恒久的「経済特区」の立ち上げによる、有効需要の喚起を唱えている。最後に、復興財源は一般の労働者に求めるよりも先に富裕層向けの課税強化が先であり、税による所得再分配機能の強化を唱えている。具体的には、所得税の累進性の再強化、相続税・贈与税の税率引き上げ、証券優遇税制の実質廃止を挙げている。

評者にとっては、なかなか普段気付かない指摘も多く、非常に興味深い論点を多数見つけることができた。その上で、下記のような点について感想を抱いた。
第一に、「デフレ」認識についてである。筆者は、物価低迷は需要不足の結果であり、その逆(原因)ではないとしている。ただ、90年代後半以降長期の物価低迷が続く中で、物価上昇がないことによって、例えば労使交渉の中で賃金を抑制された面もあり、物価低迷が更なる物価低迷を生むというプロセスは全くないと否定することは難しいのでないか。また、筆者はデフレ下の経済成長はありうると述べているが、インフレとデフレのどちらが経済にとって良いのか、それとも無差別なのかという論点は非常に典型的な論点であるものの、こうした議論についても筆者の考えをもう少し聞いてみたかったと感じた。
第二に、企業の海外進出に対する見解である。筆者は、需要や雇用が海外に流出し、ひいては国内企業内にある有用な生産関係が失われてしまうという点から、企業の海外進出を厳しく批判している。ただ、仮に筆者の言うとおり、企業の海外進出を厳しく規制した後、国内企業によって生産されたものはこれまでどおり輸出するのだろうか。また、この種の規制は相互主義が原則となるだろうが、海外からの対内直接投資は受け入れるのだろうか。企業買収や証券投資など、通常の資本移動との一貫性はどのように考えるのだろうか。このような視点からは、誰がこの規制の実施主体になるのか、はたしてそれには実現可能性があるのかということも大問題となろう。実際、リーマンショック後、経済活動への積極的な公的介入を是とする「国家資本主義」的な思潮が世界的にも広がっている。こうした議論についてはどのように考えるのだろうか。
第三に、デフレにせよ、対外直接投資(企業の海外進出)にせよ、企業内の無形の生産関係にせよ、これらの実態や因果関係についての膨大な実証研究が筆者の議論の裏側にあると思われる。わが国の実証研究については一部紹介されていたが、外国の研究も含め、更に実証研究を記すことで、筆者の主張は更に厚みを増すことができたのではないだろうか。特に有効需要や賃金の低迷がさらなる需要不足を招くというプロセスについては、近年賃金の伸び悩みに直面する労働界にとっても重要な論点であり、こうした実証研究があれば、ぜひとも参考にしたいところではなかろうか。
評者に少々気にかかったのは、一部の用語法である。特に、GDPの四半期速報について「高頻度データ」(通常high frequency dataとは金融市場における毎秒毎分オーダーでの取引記録などを指す)、企業の海外進出や生産移転を「対外直接投資」(対外直接投資は国外企業の支配権を得ることを目的とする投資という意味で、単なる企業の生産拠点の移動より広い概念である)、古典的な銀行業への回帰を「ナローバンク」(90年代頃にしばしば言及された「ナローバンク」は融資機能を持たず業務を受信と決済機能に限定した金融機関)と表現するのは、通常の用語法と少し異なるように感じた。新書という評者のような一般の人向けの書物である以上、用語法はオーソドックスにした方が読みやすいのではないかという印象を受けた。

おそらく誤解も含んでいると思うが、思いつくまま様々なことを述べてきた。筆者が終章で力強く主張する再分配機能の見直し、被災地復興のための思い切った税制優遇措置を含む経済特区の創設、公教育の強化などについては、評者も同感するところが多かった。確かに筆者が挙げた具体的施策については、異論もあり、財政事情が厳しい折での費用負担の問題や不人気な政策を実施する主体に誰がなるべきかという各種課題があることは確かである。ただ、こうした政策的な議論について旗印を明確にしない経済学者が多い中、理論経済学者である筆者がこういう思い切った内容の書物を世に問うたことに強い感銘を受けたことを記して本稿を終わりにしたい。


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