明石書店
4,200円+税
2010年6月
評者:金井郁(埼玉大学准教授)
本書は、雇用も家族も安定性を欠いている現在の日本社会の社会環境に適した社会政策を構想し、構築することを目指し、社会政策学会に集う学徒を中心に明石書店から刊行された『講座・現代の社会政策』6巻のうちの1巻である。女性、男性による、若い世代から高齢世代まで生き抜いていくプロセスで遭遇することになる「働くこと」「生活すること」「他者をケアすること」「みずからケアされること」等の人間としての営みが、社会政策とどのように絡み合っているのかをジェンダーの視角から検討し、問題点を明らかにしようとしている。その際の本書の基本的な立場は、社会の側にあるジェンダー規範と社会政策の相互関係におかれていることを立証し、社会政策としてのジェンダー関係施策がいかにあるべきかをあきらかにしようとしていることにあり、またそのためには、男性対女性という視点だけでなく、男女の集団それぞれのなかでの違いも考察しなければならない、という点にある(序章・木本喜美子)。
本書は序章のほかに以下の9章から構成されている。第1章「労働政策におけるジェンダー」(大森真紀)、第2章「若年就労支援政策におけるジェンダー」(筒井美紀)、第3章「「両立支援」政策におけるジェンダー」(萩原久美子)、第4章「児童手当政策におけるジェンダー」(北明美)、第5章「ひとり親世帯をめぐる社会階層とジェンダー」(藤原千沙)、第6章「社会保険・税制におけるジェンダー」(大石亜希子)、第7章「介護政策におけるジェンダー」(森川美絵)、第8章「高齢期の貧困とジェンダー」(室住眞麻子)、第9章「住宅とジェンダー」(阪東美智子)となっている。
ここでは紙面の制約から「働くこと」に焦点を当て、社会政策とジェンダーがどのように絡み合っているのか本書の知見を概観したい。
「働くこと」に関しては、正規と非正規という雇用形態の区分にジェンダー規範に基づく固定的な性別役割分業が組み込まれ、それらが相互に連結されているという労働市場の構造に対して、労働政策はこれを維持・強化してきたことを明らかにしている。特に、男女雇用機会均等法に際して改正された女子保護規定の廃止がもつ意味は、男性の長時間労働に歯止めをかける措置を講じることなく、女性に男性並みの働き方を求めた労働政策の大きな問題として提示している(1章)。
また、一見ジェンダー公平の理念と相反するものではないと思われる「両立支援」政策の動きや制度もジェンダー視角から改めて批判的に再検討される。90年代以降、「両立支援」政策は「女性の産む」行為を軸に、もっぱら家族生活における性分業への着眼を基調として展開してきた。しかし、職業生活と家族生活の調整という点で、職業生活におけるジェンダー公平への国家介入意思は弱く、その政策アプローチは暗黙裡にカップル世帯内部の男女の性分業による相補性に依拠したものであった。その結果、職業生活でのジェンダー関係の一つの結果である女性の就業上の地位や雇用形態というフィルターを通して、女性内部の階層化や既存のジェンダー秩序の再生産の要素をはらんでいる。「両立支援」政策はジェンダー公平に一様に作用しているのではなく、むしろ個々の政策の内部連関とそこから派生した複合的な矛盾によってジェンダー間、女性内部で異なる効果、作用を及ぼす。具体的には女性正社員、とりわけ高学歴、大企業勤務として労働市場に参入している場合は支援対象として比較的優位な立場にあり、ジェンダー関係への流動化へと導かれる可能性もでてくる。一方で、非正規労働者として労働市場に参入している場合は、家族生活を基点に女性の職業生活のあり方を捉える政策が引き続けば、職業生活と家族生活両面で既存のジェンダー関係是正の方向には動きにくい。なぜなら、家事・育児を担っていることを前提に、その職業生活の地位や処遇は「両立」を希望する女性全体の選択の結果であり、夫の就業上の地位に依拠して自立的世帯を形成しているという理解から抜け出せなくなるためである。(3章)。ただし、日本の高学歴女性の就業率は、OECD諸国と比べて低く、さらに教育年数がより短い女性と高学歴女性の就業率に大差がないことが特徴となっている。一方で、高学歴女性の希望や理想においては、他の学歴階層と比べて「自身の選好と機会の見通しに基づいて労働供給を決定している」(イエスタ・エスピン=アンデルセン、大沢真理監訳『平等と効率の福祉革命―新しい女性の役割』岩波書店、2011)。これらのことを考えてみると、日本では女性が就業継続できるよう企業の人事管理のあり方に社会政策がより踏み込んでいく必要があるといえる。
上述した女性の生き方の多様性を前に、政府が推進してきた若年就労支援策としての女性に対する「キャリア教育」は、既存社会への適応に専念し、強く賢く生きたいと渇望する一方で、そういう賢明な自分とは異なる「努力が足りない者」や「将来を考えようとしない者」は「罰」を受けて当然だといった新自由主義市民の生み出しに加担しかねないことが指摘される(2章)。また、ワークライフバランス政策を前に、女性は個人としてのバランスの取れた生き方という理想を求めて、更なる自己反省と自己規律化をより一層求められているというのが現段階であるとも指摘される(4章)。そこで、こうした女性の内面的な問題に関しては、自尊感情を根底に据えた自立を支えるエンパワーメント教育と学年や発達段階を十分に踏まえた「ジェンダー平等教育」の必要性を主張している(2章)。
本書の重要な指摘は、日本における「働くこと」に関する社会政策は、「選択」によって生じるジェンダー間の不平等は個人の合理的選択の結果として個人の帰され、無償労働と有償労働をめぐる権力関係とその構造的なジェンダー不平等は不問に付されていることを明らかにしたことであろう。本書では、職業生活における実質的なジェンダー公平に強い国家介入がまずもって求められていることが指摘されている。
翻って、「働くこと」に関する社会政策の形成に労働者代表として参加し、また政策推進の担い手でもある労働組合も本書の様々な指摘は、内省されなければならない。本書で指摘されたような政策全体の枠組みとして、女性はその家族生活を基点に、男性はその職業生活を基点に、職業生活と家庭生活との相互連関を読み解いていくジェンダー非対称なアプローチを労働組合の政策自体に埋め込まれていないのかどうか、またそうした政策の影響が職場内でのジェンダー公平にいかに影響を与えているのか、もう一度批判的に検討しなおす必要がある。 |