児美川考一郎
『若者はなぜ「就職」できなくなったのか?生き抜くために知っておくべきこと』

日本図書センター
1500円+税
2011年2月

評者:山根正幸(連合非正規労働センター部長)


 本書で著者は、現職の大学教員としての経験と視点から、1990年代以降に若者が学校から仕事へと移行する過程に起こった変化とその影響、背景を整理した上で、非正規雇用の処遇改善の必要性と、現行のキャリア教育さらには教育課程の改革を主張している。

 第1章では、グローバル化が進む中で、即戦力を求める経済界の意を酌んだ行政が学校教育を通じた「エンプロイアビリティ」獲得・強化に向けて取り組みを強化する方向にあり、教育機関も、それにそって、いわゆる「キャリア教育」を強化している姿を追っている。その上で、現在のいわゆる「キャリア教育」が、インターンシップや体験学習への偏重、教員の負担増などで、かえって現場の混乱と疲弊を生み出していること、若者にとっても真の人間形成につながっていないといった問題を指摘している。

 では、なぜ、現行のキャリア教育は「いびつ」になっているのか。筆者は第2章で、日本の政治、経済、社会、労働の世界が大きく変容し、若年労働市場にインパクトを与え、学校から仕事への移行の仕組みが大きく変化したにも関わらず、現在の教育制度が対応しきれていないと指摘する。
90年代以降、バブル経済の崩壊やグローバル化で、「雇用ポートフォリオ論」に象徴されるように、企業の雇用戦略が変化した。これにより非正規雇用が増加し、初職から非正規を選ばざるを得ず、しかもそれが固定化する時代、つまり、すべての学生が正社員になれない時代になった。
こうした中で、「就職したいのであれば、雇用されるだけの能力を備えているべきだ」という、いわゆる「エンプロイアビリティ」論の大合唱が起きたが、教育界は、それに対する明確な論理を持たないまま、学校間の生き残りをかけた競争に没頭するなかで、就職支援に傾斜し、あるべき姿とはかけ離れたキャリア教育になっているという。その原因として筆者は、日本の学校教育において、教育内容と職業の関連性(レリバンス)の低さを挙げる。

 教育内容と職業の関連性が、なぜ低いのか。第3章で筆者は、日本的雇用と新卒一括採用の慣習が、教育内容と職業の関連についての意識を薄くさせてきたとする。新卒一括採用は、その年の卒業者という基本的に限られた枠内での競争で良かった訳であり、高校においては、加えて「一人一社主義」「校内選抜」による、学校による時間をかけたマッチングが行われてきた。
こうした新卒一括採用を可能にしてきた重要な要素として筆者は「入職時に職業的能力・機能が求めない」ことを挙げる。終身雇用と企業における教育訓練によって一人前の職業人として育て上げればよく、採用にあたっては、その労働者がどれだけ訓練によって一人前になりうるかが関心事となる。その尺度として使われてきたのが学歴であり、学校間競争も学歴の視点を重視して進められた。そのことが学習の空洞化、職業と学校教育のレリバンスを低めてきたというわけである。
しかし、経済構造の変化、そして大学全入時代への移行によって、こうしたしくみが変容し、日本的雇用システムに参入できない若者が無防備なまま社会の荒波に押し出され、正社員をつかんだ若者にとっても、その先には過重労働が待っていると筆者は指摘する。
筆者は、いまのキャリア教育は、問題を抱えているいまの労働市場・職場に若者を適応させることに終始し、若者にどのように専門的・職業的能力をつけさせるのかという視点が弱いこと、内容がインターンシップなどに偏っており、教育課程の改革を伴っていないと指摘している。同時に筆者は、「終身雇用」「年功賃金」「企業内組合」といった日本的雇用システムが適用されるのは一部の企業であり、中小零細企業や女性は、このしくみから排除されていることの指摘も忘れていない。

 こうした問題指摘を踏まえて、第4章で筆者は、その解決の処方箋を示している。筆者はまず、正社員でない働き方でも、まともに暮らしていける選択肢が必要として、同一価値労働同一賃金の確立、雇用保険、社会保険の拡充、新卒主義の緩和、企業内外を通じた訓練機会の提供と充実、企業横断的な能力・専門性の評価を提案するとともに、労働者の権利や働くルールについての教育実践について、その重要性を指摘している。
筆者はまた、そして学校制度の改革についても提起している。小中学校では、各教科の内容がもつ職業的レリバンスを意識した教育課程とすること、高校では、全員が、普通科教育だけでなく職業教育機会も提供できるよう、総合制と職業高校への改編、大学の学部については、教育内容と職業的レリバンスの強化を挙げている。

 本書は、若年労働問題と教育政策の関係を概観することや、学生が自己のおかれている状況を確認する上で参考になる視点を提示している。ただし、教育政策に関わる主張以外は、筆者自身が言うように、様々な文献を再整理して提示する形をとっていることもあり、それぞれの文献資料の主張については、もう少し筆者の分析なり見解があってもよいのではないかと思われる。例えば、「日本の労働法制においては、正社員を解雇することには、さまざまな制約が課されています。国際的にも、日本は解雇がしにくい国であると言われています。」(88ページ)とあるが、OECDのデータでは必ずしも日本の労働法制が国際的に見て雇用保護が強すぎるとは言えないし、むしろ実態は、法を無視した解雇や労働実態が横行している。なぜ解雇法理が展開されてきたのか、正規雇用の雇用保護を緩めて非正規雇用が減る保障はあるのか、そうした議論が捨象されたままだと、雇用保護イコール悪という誤解につながりかねない。

 さらにもう1つの根本的な問題点であるが、1980年代以降、教育行政は専門教育重視の方針をとってきたのであり、たとえば大学においては、人間の生きる基礎的な力を養成するリベラルアーツ(一般教養)の地位を大きく低下させてきた。このことが市民としての常識が欠如した職業人を育ててきたという側面がわすれられてはならない。本書における教育と職業のレリバンスの強化の視点がこれと同一であるとは思わないが、すぐれた職業人たるためにも、市民としての人間の育成を強化するという視点をより強調すべきではないかとも考えられる。

 次代を担うべき若者を、いかに有為な市民として育て、職業生活を全うできるようにするか。当然、教育機関だけで完結することではなく、社会的責任として企業にも求められる。この間企業は、即戦力養成・雇用される能力づくりを教育現場に求める一方、雇用をセグメント化し、職業訓練機会を雇用形態ごとに区別してきた。個別企業にとっては合理的な行動が、合成の誤謬として社会に与えている影響を認識すべきではないか。労働組合としても、働くことを通じた人間形成の視点で、職場での能力開発のしくみを点検することが求められているように感じる。
いずれにしても、教育政策の立場から書かれた本書ではあるが、非正規労働者の正規化と処遇改善、職場における職業訓練機会の確保・充実、生涯にわたる労働者の権利教育など、労働運動の取り組み課題を再認識する上でも参考になると言える。


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