早川書房
定価2300円+税
2010年5月
評者:鈴木祥司(生保労連局長)
<ベストセラーの背景>
本書はハーバード大学で史上空前の聴講生を集めているサンデルが「正義の哲学」を語ったものであり、日本でもベストセラーとなっている。哲学の本がいまなぜ、かくも読まれているのか。その背景には、多くの人々が「正義」に飢えていることや、身近な問題の解決に哲学が深くかかわっているとの理解が広がっていることがあるのではないか。現代社会は職場でもどこでも不条理に溢れている。価値観も大きく揺らぎ、いつの間にかこれまでの常識が通用しなくなっていたりする。こうした中で、わたしたち現代人は、そもそも何が正義なのか、意識しているしていないに関わらず、その答えを日々探し続けており、そこに本書がメスを入れたのではないか。
<「正義」をめぐる思想的立場>
サンデルは本書において、多くの事例を引き合いに出しながら「正義とは何か」を問いかけている。切り口は、(1)幸福の最大化、(2)自由の尊重、(3)美徳(=善)の涵養の3つである。次の事例には、(1)~(3)に対応した思想的立場が反映している。
インドでは商業的な「代理出産」が合法化されている。代理母にとっては他の仕事より多くの収入を得ることができ、欧米の顧客にとっては格安で子どもを授かることができる。「幸福の最大化」を重視する功利主義者はこれを特段問題視しないだろうし、「自由の尊重」を重視するリバタリアン(市場も含め、個人の自由な選択を絶対視する立場)も、みずからが望むいかなる行動も許されるとしてこれに同調するだろう。一方、同じ自由を重視する立場でも、公正や平等に重きを置くリベラリストは、自由な意思にもとづく契約であっても当事者間には多くの格差があるため、公平な取引とはいい難いとしてこれに反対するだろう。
ここでサンデルは問う-「効用を最大化したり、(仮にそれが公平な取引であっても)選択の自由を保証したりするだけでよいのか」「代理出産は女性の身体と生殖能力を道具扱いすることによって女性を貶めているという、道徳的に重要なことが見失われていないだろうか」と。
<自由で公平な競争とは何か>
この事例には2つの対立する問題がある。一つは「自由と平等」をめぐる問題、もう一つは「善」をめぐる問題である。
「自由の尊重」を重視するリバタリアニズムとリベラリズムは、「自由と平等」をめぐっては大きく見解を異にする。たとえば高額な報酬について、リバタリアンは、自分で獲得したものは自分で所有する権利があるとして、所得の再分配をはじめとする政府の規制に反対する。一方、リベラリズムの代表的論客であるロールズは、生まれ持った才能や才能を開花させるための努力さえ、自分の力だけで勝ち取ったものとはいえず、自由で公平な競争の結果とはいい難いとして、再分配する必要があるとの立場に立つ。
<コミュニタリアニズムとは何か>
もう一つの「善」すなわち道徳的価値観をめぐっては、ロールズは、特定の考え方を支持することは自由の入り込む余地がないばかりか、それを押しつけるおそれがあるとして、すべての考え方に中立でなければならないとする。これに対し、アリストテレスの思想的流れを汲むサンデルは、リベラリズムのこうした価値中立的な考え方や、人間同士のつながりを重視しない姿勢が、現代米国の利己主義や極端な個人主義を招いたとして、コミュニティ共通の目的、すなわち「共通善」をつくり出す必要があると主張する。
公正な分配や格差・貧富の是正がなぜ必要かをめぐっても、功利主義者は「全体の効用」の重要性を、リベラリストは「合意」の重要性をそれぞれ主張するが、サンデルは、格差や貧富の拡大を懸念する理由にはもう一つあると指摘する。貧富の差があまり大きいと市民生活が必要とする連帯が損なわれ、コミュニティの崩壊につながるという点である。すなわち、格差や貧富の問題はたんなる効用や分配をめぐる問題ではなく、「共通善」にかかわる問題でもあるとする。個人は、個々バラバラの存在ではなく、歴史性をもったコミュニティの一員であるという考え方がその背後にある。
このように、サンデルは本書において、コミュニタリアニズム(日本では一般的に「共同体主義」と訳される)の立場から、功利主義を批判するとともに、ロールズの「自由と選択にもとづく正義論」の限界を指摘し、「共通善にもとづく正義」を主張している。
<労働組合として学びとる視点>
そこで、労働組合としては、本書からどのような点を学びとることができるだろうか。
第一に、日本では非正規労働者が雇用労働者の3人に1人にまで達しているが、非正規労働者はみずから自由な意思で労働契約を交わしているといえるのかという点である。いえるとするのが、功利主義者やリバタリアンである。しかし実際は、進んで非正規を選択している人もいるだろうが、他に選択肢がなく、やむを得ずそうしているケースが多い。ロールズの正義論・平等論にしたがえば、能力形成における格差や就労環境の悪化をはじめ、とても自由で公平な契約が交わされているとはいい難い。このことは逆に非正規労働者の待遇改善を積極的にはかる有力な根拠といえる。
第二に、非正規労働者の増加は、自由や公平の問題にとどまらず、日本社会に大きな歪みをもたらしているという点である。非正規労働者に対する差別が放置され、職場コミュニティの一層の崩壊につながりかねない現在のような状況が、社会全体のあり方としてゆゆしき問題であることはいうまでもなく、その是正に向けた努力が労働組合にも求められている。サンデルの正義論にしたがえば、このような努力こそが「共通善」ということになろう。
それ以外にも、労働組合の役員枠を女性組合員に割り当てること(アファーマティブ・アクション)は「正義」であるか、組合費をつかって非組合員の待遇改善をはかることは「正義」であるかなど、労働組合が直面している現実の悩みや課題に、本書は有効な示唆を与えてくれる。
<コミュニタリアニズムと日本社会>
今日の日本社会における利己主義の蔓延や道徳的荒廃は、「連帯」を忘れた社会の在り方に責任があるのかもしれない。サンデルのいう「道徳性豊かな政治」や「共通善にもとづく政治」は、こうした日本社会の現状を打開する可能性がある。一方で、サンデル自身が危惧するように、「正義」や「善」という言葉が独善的に使われるとさまざまな問題が生じ得る。コミュニティの中で参加者同士の対立が発生するおそれがあるし、それぞれの民族や集団における「正義」を大義とした対立や戦争が起こるおそれもある。サンデルの示唆は、こうしたリスクを意識しつつも、対立をおそれることなく、コミュニティの再建に向けて議論をたたかわせることが重要であるということであろう。
いずれにしても、本書は知的刺激に富むと同時に、コミュニティの役割や日本社会の今後のあり方を考えるうえで、多くの示唆が得られるものとなっている。「正義」に疑問を感じている人、「正義」についてより深く考えてみたい人に一読を勧めたい。
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