朝日新聞出版
定価1600円+税
2010年6月
評者:麻生裕子(連合総研主任研究員)
2000年代以降、新自由主義的政策の進展を背景に、「自己責任」という言葉が世の中に浸透した。そのため、「自己責任」論を主張する人びとが多くなったように思われる。
本書のキーワードはまさに「自己責任」である。そのキーワードをもとに、資本主義社会のあり方がどのように変化してきたかを追究し、どのような社会を再構築したらよいかを提起することが本書のねらいである。
本書は、まず思想的背景を歴史的に追いながら、「自己責任」という用語の意味を明らかにしている。1970年代後半から80年代にかけて台頭した新自由主義(ネオ・リベラリズム)は、自由な個人を基礎とする原理に立って、社会の責任を最大限に切りつめ、また労働運動などの民主主義を排除し、自由な資本主義経済を回復させようとした。19世紀にも、個人の自由を基本原理とする古典的な自由主義は登場したが、今日の新自由主義との大きな違いは、すべての個人の生存を前提としている点である。これに対して新自由主義は、生存のための保障システムをつぎつぎと解体していった。つまり、「自己責任」はたんに個人の心構えや倫理の問題ではなく、社会のあり方、経済や社会保障に関連する問題に深く関係していると著者は述べる。
アメリカにおける資本主義社会の歴史をみても、自由と平等についての考え方が分かれる。所有の保障、経済活動の自由をそのまま認めるべきか、それとも必要な規制や公的なコントロールを与えるべきか、が争点となる。ケインズ主義でいけば、社会や政府が自由と平等の理念を実現するような制度・政策を実行することが必要であり、すなわち大きな政府となるのは必至である。
つぎに、その場合の「政府」の役割とはなにか、「公共」や「社会」とはなにか、という問題を著者は明らかにしている。アダム・スミスは、社会全体の一般的利益にかんすることについては社会全体の拠出によって公共的事業をおこなうのが「政府」の役割であるとしている。これにくわえて、著者は、福祉国家の成立には、政府と民衆との近い距離、市民間の非競争的、共同的、連帯的な意識が必要であるという。
またジョン・ロックによれば、「公共」は社会を構成する人びとの集まりそのものをさし、「社会」はそのようなすべての人びとの合意によって、その人びとの幸福、自由、生存を確実なものにするためにつくられるものとしている。一方、「市場」では、お金がなければモノやサービスを購入することはできず、排除の原理が働き、「市場」のみが存在しても生活を保障することはできない。つまり「市場」は「社会」の一部分にすぎないのである。
再び「自己責任」という用語の意味に戻ると、責任の根拠となる「自由」が現実のものとして存在することが不可欠であるが、実際には強いられた決定、選択になってしまっていると著者は指摘する。「自己責任」は、教育、雇用および社会保障などを公共政策として実行するのではなく、個人の所得でまかなうということを意味する。この二つの選択肢をふまえて、現実の経済社会のあり方をどう変えていくかが、いま考えなくてはならない問題であると著者は強調する。
著者が提起するあるべき「社会」の条件は、第一に自由の前提に最低生活保障が確立していること、第二に、社会における個人の存在の意味を与えるという意味で働くことに重きをおくこと、第三に政府はすべての個人を平等にあつかうということである。著者は、こうした社会のあり方を、資本主義の「人間化」、あるいは「社会的資本主義」とも表現している。つまり、利己心ではなく、共同や連帯が軸になっている社会、人間の労働や生活を守ることを目的とする社会的制度・規範が広くかつ深く成立している社会をさしている。さらには、一国レベルではなく、世界規模での人間的な資本主義、グローバルな公共的社会をつくる必要性を説いている。
本書での議論をふまえて、今後どういう「社会」につくりなおすかという大きな課題を検討するうえで、論点をいくつか示しておくこととする。ひとつは、本書で議論してきた問題は、いわば公助・共助・自助による福祉ミックスの議論にもつながるということである。近年、公助や共助の仕組みが崩れつつあり、自助によらざるをえない領域が大きくなってきた。「社会」をつくりかえるには、どういう政策分野において、どこまでを公助でおこない、どこまでを共助でおこなうのか、しかもどういう仕組みで機能させていくのかといった具体的な構想、戦略を組み立てなければならない。著者は「“絆”や“友愛”、“共生”が叫ばれている」が、「現実の経済社会のあり方を変えないかぎり、あるいはそれらの標語が精神主義的な理念に止まるかぎり、それらは無力である」という。理念にもとづき、具体的な構想、戦略へと掘り下げていく必要があるだろう。
もうひとつは、そうした「社会」を誰がどのようにして実現するかということである。著者は本書のなかではそこまで踏み込んでいないが、その原動力となるのが「民主主義」、すなわち労働運動、市民運動ということであろう。著者は「今日の日本にはまだ民主主義の観念が欠如しているように思える」と述べている。
2010年12月に連合は「働くことを軸とする安心社会」として、わが国がめざすべき社会像についての提言を確認した。この提言を具現化するためにも、自己責任論を原理レベルまでさかのぼって、それと対置する考え方を示した本書はきわめて有益である。
(著者の田端博邦氏は、長いあいだ東京大学社会科学研究所で労使関係の国際比較などの研究をおこない、現在は東京大学名誉教授。前著『グローバリゼーションと労働世界の変容』も好著。) |