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アンソニー・ギデンズ/渡辺聰子共著 |
ダイヤモンド社 新しい社会民主主義の模索 2009年夏、日本ではじめて選挙による本格的な政権交代が実現した。これは日本においても政権交代が当たり前となる時代の幕開けかもしれない一方で、時の政権がとる政策によって国民が翻弄されかねない危険性をはらんでいる。民主党政権に対する評価にはなお時間を要するが、かつての小泉構造改革による弊害を強く意識するあまり、単純に真逆の政策がとられ、とても適切とは思えない政策的判断も見られるなど、政権交代による負の側面も出始めている。 英国のブレア政権が進めた「第三の道」改革を政策ブレーンとして支えたギデンズらによる本書は、「自由市場主義」と「福祉国家主義」の間で揺れ動いてきた欧米各国の成功と失敗の歴史から学び、日本の国民に同じ道を歩ませないための政策提言であり、まさに時宜にかなったものといえる。これまで相対立するものとして捉えられがちであった「自由市場主義」と「福祉国家主義」を高い次元で統合し、社会の安定を保ちながら経済を活性化するという「第三の道」改革を、日本で実現させることを目的としている。 第1章では、ポスト工業社会に続く新しい社会段階は環境・グリーン産業に牽引される「低炭素産業社会」であるとしたうえで、そこでは「第三の道」改革、すなわち「効率」と「平等」の両立が求められるとする。そのためには「市場主義改革」と「福祉改革」の同時推進が必要であり、前者では、一律的な導入は避けつつも競争原理の導入を躊躇すべきではないこと、後者では、福祉を既得権益化させず、リスクを引き受けてチャレンジする者を支援する「ポジティブ・ウェルフェア」として整備すべきであることを提言する。また、経済発展の鍵となる「創造する力」を備えた人材、成熟した市民社会を支える社会的責任意識の高い市民の育成・教育の大切さを強調する。 第2章では、グローバル化は不可避であるとしたうえで、それがもたらすリスク(とくに雇用と地球環境)にどう対処すべきかという観点から「新しいグローバル・ガバナンス」の必要性を訴える。具体的には、資本主義の非合理性を地球レベルにおいても制御する仕組み、とくに国際組織(G8、G20、WTO、IMFなど)によるルールづくりの重要性を説く。また、グローバル企業には「グローバル企業市民」として社会的責任を果たすことを求めている。 第3章では、グローバル時代に適合した「新しい社会民主主義」とは何かを問いかけ、古典的な社会民主主義がもたらした「非効率」「活力低下」「財政危機」といった問題を克服し、市場機能を補完し高めることの重要性を説く。なぜなら「効率」と「平等」は密接な相互関係にあり、そのバランスを保つことは資本主義を安定的に維持していくために不可欠であるからとする。日本には、「第三の道」改革を進めるうえでの独自の課題があるが(自由競争を制限するシステム、企業依存の福祉、脆弱なセーフティネット、政府機関の非効率など)、かつて徹底した市場改革も政府主導による福祉改革も経験したことのない日本こそ、後発国の利点を生かし、欧米各国の経験から多くのことを学ぶべきであると提言する。 第4章では、新しい「欧州社会モデル」について、一つの福祉国家モデルに収斂させるのではなく、理念型としての枠組みを展望する。とくに「第三の道」改革の中心的な政策の一つとなる「ポジティブ・ウェルフェア」の促進に向けては、権利にともなう「義務」や「責任」、利益に対する「インセンティブ」の意義を強調する。たとえば、健康な失業者が国から援助を受けた場合、仕事を探す義務を課し、またそれを履行しなければ制裁を受けるようにするといった「積極的労働市場政策」の導入を提言する。 第5章では、21世紀の新しい社会モデルである「低炭素産業社会」においては、これまでの価値観は大きな変革を余儀なくされると指摘する。具体的には、20世紀後半に大きな影響力をもった「獲得型個人主義」や「権利主張主義」といった、個人の利益を共同体の利益に優先させる価値観や倫理観は、地球環境問題さらには米国サブプライムローン問題に端を発した世界同時不況などを前に改変が迫られるとする。このように、新しい社会モデルにおいては、市民は、社会や共同体から利益を得るだけでなく、社会や共同体に積極的に「貢献」することが求められると指摘する。 いずれも日本の新しい社会モデルを考えるうえで示唆に富む内容であり、日本社会の現状に照らすと課題が浮き彫りになってくる。「第三の道」は「自由市場主義」と「福祉国家主義」を高い次元で統合するという考え方であり、たんに足して二で割る、中間をとるものではない。それでは「高い次元での統合」とは何か。その中心的な概念は「インクルージョン」すなわち「包摂・参加」であろうが、日本社会には「労働への参加」が十分でないという問題がある。失業や生活保護の問題だけでなく、差別的待遇を受けている多くのパート・有期契約労働者や第3号被保険者(いわゆる専業主婦)の問題も「労働からの排除」ととらえることができ、これらは日本社会の大きな停滞要因および国家財政へのマイナス要因にもなっている。「ポジティブ・ウェルフェア社会」とは「すべての人々に労働市場への門戸が開かれ、一人ひとりが自立して生活できる社会」であり、日本においてもその実現が強く求められている。 それでは、「労働への参加」の前提となる雇用機会をどのように増やすべきか。今後の成長が見込まれる産業への戦略的な誘導、企業家・起業家に対する支援、公正な競争政策など、政府が果たすべき役割は大きい。多くの不安定雇用を生んだ小泉構造改革への反発から、規制改革をはじめとする市場主義改革へのアレルギーには大きなものがあるが、たとえば日本社会の競争制限的な側面が経済・社会の活力や雇用機会を奪っている部分があるのなら、市場原理主義は明確に否定しても、個別の市場主義改革の意義は再認識すべきではないか。ただし、その場合には、市場が暴走せず、すべての人々に公正と機会が保障されるようなルールが必要である。「市場主義改革が日本社会を格差社会にしている」といった感情的な議論、「市場主義改革そのものが悪である」といった偏見からではなく、新しい社会ビジョンを打ち立てるための議論を行うべき時である。 6月に新総理に就任した菅氏が「第三の道」を提唱している。菅氏の主張はギデンズらとはやや異なるが、「労働への参加」や「雇用の創出」を政策のベースに置いているなど共通する部分も多い。いずれにしても、一つの政策やイデオロギーで多くの課題が解決できると考えられた時代は終わり、「政策の統合」が必須の時代に入っている。今後、政府の方針とも相まって「第三の道」をめぐる議論が盛り上がり、これからの日本社会のあり方・基本原理に関する有益な議論へとつながることを期待したい。 (鈴木祥司) |