河西宏祐
『路面電車を守った労働組合――私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』

平原社
定価:2000円+税
2009年5月

 広島電鉄といえば、鉄道に詳しい人の間では、多くの都市が路面電車を廃止・縮小してきた中にあって、現在でもそのネットワークを維持していることで知られている。労働問題に関わる人であれば、私鉄中国地方労働組合・広島電鉄支部(以下、広電支部)による契約社員の組織化・正規雇用化の実現がまず頭に浮かぶだろう。路面電車ネットワークの維持と非正規労働者の組織化・処遇改善という、一見無関係に見える2つの事柄、実は、労働組合のたゆまぬ努力という共通の背景でつながっている。――― 本書は、労働社会学者である筆者が、四半世紀以上にわたるインタビュー調査を通じて、広電支部の黎明期から分裂・少数派転落、そして多数派の回復・再統一と新たな課題への挑戦を、長年広電支部の運動を牽引してきた小原保行をはじめとする組合リーダー達の姿を軸に描いている。

 広島電鉄は、規制緩和や合理化の流れの中で2001年に契約社員制度を導入したが、広電支部は、その当初から契約社員を含めたユニオン・ショップ協定の締結を要求し、実現している。その後も広電支部は、正社員登用や賃金・労働条件改善の取り組みを粘り強く続け、2004年には「勤続3年経過後の正社員化」を勝ち取る。しかし、この正社員化は、新たに「正社員Ⅱ」という区分を設け、従来の正社員との間に労働条件格差を残すという、組合要求から見れば不十分な内容であった。そこで広電支部は賃金体系統一に向けた要求を積み重ね、ついに2009年に賃金体系統一を実現する。
広電支部の取り組みについては、ベテラン正社員の賃金原資の一部を契約社員の賃上げに配分した点を指して、世間では「正規と非正規が痛みを分かち合う」といった点ばかりが取り上げられがちである。しかし、本書を読めばわかるように、広電支部は同時に65歳までの雇用延長も勝ち取るなど、単なる労働者間の痛み分けだけではなく、中長期的な視点で闘ったことを見逃すべきではない。さらに言うならば、長年にわたる運動の中で培われてきた「差別を許さず、職場にいる全ての労働者のために取り組む」土壌、そして後述する「位(くらい)取(ど)り」の発想があったからこそ、要求の実現につながったのだろうと思う。

 もっとも、契約社員の処遇改善の取り組みは、本書では補論的な記載である。むしろ本書が全体を通して描こうとしているのは、現在の運動に連なる過去の様々な取り組みであり、それらの運動を戦略的に取り組んだ、小原保行をはじめとする組合リーダー達の姿である。
その最も重要な取り組みとして描かれているのが、「路面電車を守る闘い」である。契約社員をめぐる取り組みから遡ること約40年前の1960年代後半、路面電車廃止の布石を打ち始めた会社に対して、小原委員長率いる当時の広電支部は、単なる合理化反対闘争でなく、電車の機能とサービスを向上させることで雇用と公共交通を守る取り組みを展開する。労働強化につながるという組合員を説得し、約15年にわたる企業、行政に対する働きかけ、そして組合員自ら取り組んだサービス向上により、ついに路面電車部門の黒字転換を実現していく。そしてこの取り組みは、組合分裂によって少数派になっていた広電支部が労使関係の主導権を取り戻す最大の転機となった。
ここで筆者は、一連の闘争を通じて小原が身に付けた「位取り」の発想に注目している。利潤を追求する会社と、労働者の雇用と家族の生活を守る労働組合、両者の目的は一致しない。だからこそ労働組合は、経営と対等に渡り合う「位負けしない力」を付ける。そして、会社に頼らず自立した労働者集団として、自ら職場と雇用、家族の生活を支え合う活動に取り組む、というものである。
「路面電車を守る闘い」以前にも、小原らは、バスの配車基準をはじめとした職場における差別・不合理に対して、様々な闘争を仕掛けており、これらの取り組みを通じて職場の労働者の共感を獲得し、組織拡大につなげている。このなかで、筆者は小原独特の「差別論」に注目している。それは「敵は最小に、見方は最大に」という言葉に集約されているように、差別の中にこそ組織拡大の機会があるという発想である。職場における属性に関わらず、労働者の差別そのものを問題視し、全ての労働者を対象とした差別撤廃運動を通じて、組織化に結びつけていくというものである。小原が遺した「差別そのものは怖くないが、差別されたことに対して団結の働きかけをしないことがいちばん怖い」という言葉は、現在の労働運動が直面している非正規労働者の組織化、格差是正の課題を前に、強いメッセージとして響いてくる。

 ところで、なぜ、広電支部には小原保行という戦略家が現れ、次代のリーダー達が育てられてきたのか。この点について本書だけで多くを得ることは容易ではない。労働組合の内部でどのように人材が発掘・育成されていくのか、そうした側面からの調査・分析の必要性を感じるところである。ただ、少なくとも筆者は、登場人物を傑出した才能の持ち主として捉えることはしていないように感じる。巡り合わせの中で偶然同じ職場に集った人々が、労働組合の旗の下で学び、不条理や差別に怒り、闘ってきた事実の積み上げを通じて、筆者は、どの職場にも同じような環境はあるはずだというメッセージを込めているようにも思える。
もう一点、短期的には収入減となる組合員が出た契約社員の正規化、あるいは組合員に労働強化を求める「路面電車を守る闘い」を進めるにあたって、組合員の反対や不満が示されたことは想像に難くないが、これに対して執行部はどのように説得したのだろうか。この点について、本書では必ずしも多くのページが割かれている訳ではない。現在、非正規労働者の組織化・処遇改善の取り組みは労働運動の大きな課題であり、ほとんどの組合リーダーはその必要性を理解している。しかし、その実践に際して、対象となる非正規労働者、さらには既存組合員の理解を得ることへの躊躇の声が少なくないのも、また実情である。あるいは、インターネットの発達による組合内コミュニケーションのバーチャル化についても、その功罪について様々な意見がある。
職場において労働組合として労働者とどのように向き合うべきか。時代によって変わる部分はあるにせよ、現場に赴き対話を重ねる姿勢を最後まで貫いた記述など、小原らの具体的な行動の中に、組合内コミュニケーションのあり方を見つめ直すヒントが隠されているような気がする。

 小原や広電支部の運動が守ったのは、路面電車だけではない。差別と闘い、全ての労働者のために活動する労働組合の姿である――本書のタイトルには、そうしたメッセージが含まれていると思うのは考えすぎかもしれない。しかし、労働組合組織率の低下、社会の格差拡大が指摘される中、「現場に目を向けよう。当たり前のことを当たり前に取り組もう。今が全ての労働者のために労働組合が頑張るときだ」という筆者の呼びかけが聞こえてくるような気がする。本書の内容について、とくに具体的な場面での記述や評価には賛否がとうぜんあろうが、非正規労働者の処遇改善・組織化に取り組む労働組合リーダーに、問題提起の本としてぜひ一読して頂きたい一冊である。

(山根正幸)


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