神野直彦『「分かち合い」の経済学』

岩波新書
定価:720円+税
2010年4月

 本書は、スウェーデン語の「社会サービス」を意味する「オムソーリ(omsorg)」の原義「悲しみの分かち合い」を手がかりに、税制を中心に、日本社会全体が進むべき方向性を、対抗する思想との対比を通して、説いている。
本書冒頭の言葉を引用しよう。
「本書は単なる希望の書ではない。むしろ失望の書である。幸福は『分かち合う』ものである。『分かち合う』べき幸福を『奪い合う』ものだとされている日本社会への失望である。現在の危機は『分かち合い』を『奪い合い』とされていることから生じている。『奪い合い』を『分かち合い』に。そうした行動を求める能動的希望の書が、本書である。」
「分かち合い」の経済には2つの側面があると筆者は言う。1つは、貨幣を使用しない「分かち合い」の経済で、家族やコミュニティなどが含まれる。もう1つは、貨幣を使用する「分かち合い」の経済で、それは財政である。財政は、無償労働ではなく有償労働で営まれ、無償で必要に応じて財・サービスを分配する。その分配は、社会の構成員の共同意思で決定しているのである(財政民主主義)。そのため、財政は市場社会の「経済」「政治」「社会(家族・コミュニティなど)」という三つのサブシステムを結び付ける結節点で、重要な役割を果たすものとして捉えている。
ところで、そもそもなぜ今、「分かち合い」が必要なのだろうか。なぜ日本には「分かち合い」がなくなってしまったのであろうか。「人間は他人を信頼しているか」などの対人信頼感の国際比較をみると、日本の信頼感は非常に低く、人間の絆という人的環境が破壊されていることが明らかになっている(p10)。
その背景に、筆者は、新自由主義の影響があると主張する。新自由主義は、個人の怠惰が貧困をもたらしていると考えるため、貧困や格差は、勤勉をもたらすインセンティブになると積極的に意義付けられ、「分かち合い」ではなく「奪い合い」を促進するのである。
日本では、特に80年代以降、こうした新自由主義の考え方に沿って社会が形成されてきたとする。筆者は、歴史的事実や国際比較などを交えながら、新自由主義の誤りを論証し、新自由主義路線ではなく「分かち合い」を重視する社会構築を提言する。
例えば、日本では「小さな政府」が目指されているが、そもそも、日本が大きな政府(福祉国家)を形成したかは疑わしいという。国際的にみると、一貫して小さな政府だったのである。日本が「小さな政府」にとどまったのは、日本では労働組合として組織され、大きな発言力を持つ「大きな労働者」の形成が未成熟だったからである。「大きな労働者」は、労働市場において賃金や労働条件の決定に強い発言力を行使するだけでなく、政治的にも発言力を強め、労働市場への規制や社会保障制度を充実させる「大きな政府」を実現させる原動力になる。
1995年段階で、アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデンと比較すると、財政が介入する前のジニ係数が最も小さいのが日本(市場による所得分配が平等)だが、所得再分配後は中程度となっており、再分配によるジニ係数の変化率は最も小さい。つまり、日本では、財政の所得再分配機能が最も小さく、「小さな政府」であることを裏付けている。
日本では「小さな政府」で「小さな労働者」であったにもかかわらず、格差や貧困という社会問題を深刻化させることなく、経済成長を謳歌出来たのは、なぜだろうか?その答えは、企業と家族という疑似共同体の存在にあるという。「大きな企業」が雇用保障機能や生活保障機能を担えば、「小さな政府」でうまくいったし、家族という共同体そのものの機能が大きいことも「小さな政府」を可能にした。
経済成長が停滞した日本では、「大きな企業」が雇用保障機能も生活保障機能も支えられなくなってきた。そうした中、経済成長を推し進めるという名目で、新自由主義は、労働者の発言力を弱め、労働者が少ないながら獲得してきた労働市場での権利や社会保障による生活保障の権限をさらに奪い、「大きな企業」の権限をより大きくすることを目指している。
新自由主義のもう1つの間違った考えの例として、通常、貧困者に限定した現金給付を手厚くすれば、貧困者は減ると考えられている。しかし、実は国際比較をすると、貧困者に限定した現金給付を手厚くすればするほど、その社会は格差が激しくなり、貧困があふれ出るという再分配のパラドックスという現象が生じる(日本は例外で、社会的扶助支出のウェイトは低いけれど、ジニ係数も貧困率も高い国である)。
この再分配のパラドックスがはたらく秘密は「分かち合い」にあるという。貧困者に限定して現金を給付することを「垂直的再分配」と呼び、育児や養老などの福祉サービスや医療サービスを社会的支出として、所得の多寡にかかわりなく提供していくことを「水平的再分配」とすると、水平的再分配つまりサービス給付が「分かち合い」で広汎に実施されていれば、垂直的再分配はわずかで済む。貧しくても豊かでも、医療サービスが無料で提供されていれば、生活保護の受給者が病にあるからといって給付額は増加しない。また、現金給付には「擬態」効果が生じる(お金のないふり)が、サービス給付は、ふりをするという擬態効果は生じない。
したがって、福祉国家のもとでの中央集権的な現金給付による垂直的再分配から、より「分かち合い」の原理に基づいたサービス給付による水平的再分配へシフトさせる必要があると指摘する。この点から考えて、日本の福祉国家は、小さいだけでなく、その内実にも特徴がある。日本の特徴は、年金や疾病という社会保障に特化しており、育児・養老サービスなどの現物給付が立ち遅れている。サービス給付による「分かち合い」が重要なのである。
今、日本では、まさに社会の進むべき方向性が問われている。政権交代を果たしたけれども、どのような社会を創っていくのか、帰路に立たされている。今こそ、労働組合員は「大きな労働者」となって、労働市場への規制への発言や政治的発言力を強めることを通して、「分かち合い」社会の実現の原動力となることを自覚しなければならない。
このように本書は日本の社会のあり方に関心をもつすべての人びとにとって必読の書であるが、記述のすべてが適切であるかどうかには問題がある。一例をあげれば、正規・非正規の均等待遇について、職務給が実現すれば、最低賃金制度など不必要、という記述がある(162ぺージ)。これは逆で、職種を含めて、多段階の最低賃金を制度化することこそが均等待遇への道であろう。全体についてもそうであるが、こうした個別の論点についても多くの人びとの議論への参加が期待される。
多くの人がこの本を手に取り、じっくりと社会の方向性について考えてみてはどうであろうか。

(金井 郁)


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