岩波新書
定価:800円+税
2009年11月
昨年秋の政権交代以来、日本の大きな社会の枠組みが少しずつ音を立てて変っていくのを感じている。それは生き辛い社会から希望の持てる社会への変化に対するかすかな期待をはらんでいる。これから新しい日本の国家ビジョンが示されていく過程においても、非常に大きなウェイトを占めるであろう社会保障政策に対し、希望の持てる社会を実現するための有益な政策提起となる本書を紹介したい。
本書は、これまでの社会保障制度などの問題点と、グローバル経済の進展を背景とした社会情勢の中で、日本の諸制度が結果として生み出してしまった格差や不平等を指摘し、連帯のない分断された現在の日本社会のありように警鐘を鳴らしている。
21世紀の日本社会はどこに向かうべきか?その大きな課題に対して、「働くこと」を通して社会に参加し、つながり得る“排除しない社会”を掲げ、社会保障と雇用の連携による「生活保障」のあり方を提起している。「生活保障」政策の改革によって、閉塞感のある日本社会の未来が変りうる可能性を示している。
日本社会の姿とこれまでの社会保障制度
本書でまず述べられるのが、現在の貧困問題が拡がる日本社会、そしてさまざまな亀裂によって社会的な断層が形成された分断社会の姿である。正規労働者とパートや派遣労働などの不安定な雇用形態にある非正規労働者との間の亀裂、男女間の社会的役割や、人種や民族間に走る亀裂が社会の中で複雑に絡まり、それによって作り出される社会の断層から、格差や不平等が生まれていると説く。この結果、今や先進工業国の中でアメリカに次いで2番目に相対的貧困率が高くなったのが現在の日本なのだ。
こうした社会で現れる不平等を修復するものとしての社会保障制度は、日本では排除を固定化するものとして働いていると筆者は主張する。その要因として、これまでの日本の社会保障制度が、男性稼ぎ主が安定した雇用に就いていることや、誰もが家族や何らかのコミュニティに帰属していることを前提に組み立てられているということが挙げられ、それが結果として女性や外国人の排除につながっている。
これら現代の日本の状況を生み出す要因ともなった、社会保障制度や雇用のあり方が、各国の制度との比較の中で述べられ、いかに日本社会が解体に向かってきたのかが解説される。ここでは単に制度の問題点を述べるに留まらず、それによって人々のつながりが希薄化している現状や地域コミュニティの変容にも言及されている。そのうえで、EUの社会政策で最も基軸的なコンセプトである「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」というキーワードから、日本社会のつながりを再構築する必要性が説かれている。
スウェーデンの生活保障システム
次に、これからのあるべき社会像、社会保障と雇用を連関させた「生活保障システム」を創造していくために参考となる欧米各国の状況をデータとともに分析するとともに、多くの示唆を含んだ政策を紹介する。特に福祉先進国である北欧諸国、中でもスウェーデンの経験が詳細に取り上げられている。スウェーデンの社会政策と聞くと「高福祉高負担」をイメージする人が多いと思うが、知られざる側面として「皆が働くべき」という強い規範に支えられた社会であることが、スウェーデンがこれまで作りあげてきた生活保障のシステムから描き出される。政府が雇用保障と社会保障を通して、人々が失業や病気などを乗越えて就労する条件を提供し、人々は働くことによって納税者として福祉国家を支える。スウェーデンの就労原則は、人々が労働市場の外で知識や技能を身につける機会を提供するものでもあり、また高負担をする人々がその負担に見合った社会保障給付を得ているという実感、公正感を確保することにもつながる。さらにはそれが人々の相互信頼と行政や政治への信頼に直結するものとなっている。
これら本書の中で紹介されるスウェーデンの積極的労働市場政策を中心とした雇用保障の仕組みは、スウェーデン労働組合総連合(LO)の2人のエコノミストの構想に基づくものであり、この構想が報告された1951年当時、これは労働組合運動の大きな発想転換をせまるものであったという。しかし、国際経済のなかで生き残る方法として次第に受容されていったという経過はスウェーデンにおける労働組合運動の位置づけを知るうえでも非常に興味深い。
スウェーデンモデルについては、保守・中道政権下の現状までの変化と労働組合など対応にもていねいにふれられており、情報としての位置も高い。
新しい「生活保障」とアクティベーション
こうした論議のうえで日本社会にあった生活保障がいかにあるべきかということが、「アクティベーション(活性化)」というキーワードとともに論じられる。ここでは、所得や就労状況などにかかわりなく、すべての国民を対象として定額給付を行う「ベーシックインカム」の可能性についても検討されている。そのうえで雇用と社会保障を連携させた新しいモデルを具体的に解説している。特に、労働市場を中心とした4つの政策領域が提案されている。4つの政策領域とは「参加支援」「働く見返り強化」「持続可能な雇用創出」「雇用労働の時間短縮・一時休職」である。そのそれぞれについて「働くこと」と生活保障の視点から展開される政策提起は非常に納得性が高い。さらに雇用創出の新しい動向として、社会的企業を含め、日本の地方自治体や諸外国で実施される雇用政策も紹介されており、具体的な情報として非常に参考になる。
最後に、本書が訴える「排除しない社会」の姿が、具体的かつ詳細な政策として解説される。それは労働市場を中心とした社会への「参加支援」のあり方を提起している。教育の場から労働市場へ、そして失業や転職、疾病や障害、育児や介護などのさまざまな理由で労働市場から一旦離れた人たちを再び労働市場とつないでいく支援のあり方は、一方通行ではない、「交差点型」の社会を展望するものだ。労働市場(社会)とのつながりによって地域や人との絆をも紡ぎだす「排除しない社会」の実現が望まれる。
社会に存在するさまざまな課題が、生活保障のシステムによって「働くこと」を中心に連関していく様は、さながらばらばらになっていたパズルのピースがつながりあい、一つの絵が完成するかのように社会を形作る。人々が「働くこと」を通して社会とかかわり、参加することが生きていく希望につながっていく。まさに連合がめざす「労働を中心とした福祉型社会」の一つの姿がここに示されている。むろん、このような社会を実現するための負担のあり方や、労働組合の役割などについて、より深く検討すべき論点もあるが、このようなことを考えながら、ぜひ多くの方にご一読いただきたい。
(松井 千穂) |