ものがたり戦後労働運動史・

宮本顕治(みやもと・けんじ)

 1908年~。山口県出身。31年東大経済学部卒。在学中に芥川龍之介を論じた『「敗北」の文学』が雑誌の懸賞論文に入選して名を知られた。卒業直後に共産党入党。プロレタリア作家同盟で活動、32年中条百合子と結婚。33年党中央委員。同年末、治安維持法などで検挙され、終身刑の判決をうけた。45年に釈放。12年間の非転向をつらぬいた。党政治局員、統制委議長、理論誌『前衛』主幹などをつとめたが、徳田球一らの主流派からは疎外された。50年のコミンフォルムの日本共産党批判による党分裂のさいは、徳田らの所感派にたいし国際派と呼ばれた。55年の6全協で指導部に復帰、58年の大会で極左冒険主義の51年綱領を廃棄、書記長に就任し、以降、30年余にわたる宮本指導体制を確立した。70年中央委員会幹部会委員長、82年中央委員会議長に就任し、不破現委員長らを育成した。77年~89年参議院議員。その路線は、外国の共産党にたいする「自主独立」と、国内での「議会主義」「自由と民主主義」などへの転換によって特徴づけられる。現在は共産党中央委員会名誉議長。