金玉米吉(かねまさ・よねきち)
1892年~1963年。大阪府生れ。小学校卒後、九州の炭鉱を転々としながら釜たき夫として働いたのち、大阪に出た。日本人造肥料で働いていた17年に友愛会大阪連合会に加入。21年総同盟大阪連合会の常任書記に就任。以後、因島争議をはじめ幾多の争議を指導。26年、大阪連合会財政部長、総同盟第3次分裂後に会長となる。戦時下の総同盟解散の弾圧にも最後まで抵抗し、敗戦まで役職につかなかった。戦後、西尾末広、大矢省三らとともに労働組合再建に取り組み、46年総同盟大阪連合会会長、全繊同盟の結成で副会長などに就任。48年国家公安委員に任命され、63年までつとめた。51年の総評結成にともなう総同盟解散に反対、大阪を拠点に総同盟の再建に奔走した。52年、総同盟会長に選ばれ、55年、生産性向上運動を支持、8原則をもって参加、56年、日本生産性本部副会長に就任した。58年の警職法反対闘争の高まりのなかで、総同盟会長と国家公安委員の兼職が問題とされ、翌年総同盟会長を辞任したが、大阪連合会会長は死去時まで在任した。徹底した反共主義者として知られ、気性のつよい人がらが話題となった。