『私の提言』

ILEC30周年記念・組合特別賞

声を届けるだけでは、もう足りない
──指定管理者制度と現場からの提言──

橋本 英幸

第1章 はじめに

 近年、日本の公共サービスの分野では「効率化」や「民間活力の活用」といった名のもとに、指定管理者制度や業務委託、アウトソーシングの導入が加速している。財政の健全化、行政運営の柔軟化、サービスの質の向上──こうした言葉が並ぶ中で、現場で働く職員たちの声が、どれほど政策に反映されているだろうか。
 私が所属する自治体でも、市民病院を巡って指定管理者制度の導入が進められ、多くの職員が「整理退職」となる事態に直面した。制度の是非そのもの以前に、移行にあたっての説明不足、処遇の不透明さ、将来への不安が渦巻く現場において、「働くことを軸とする安心社会」という言葉は、あまりに遠い理想のように感じられた。
 労働組合の立場から現場を見つめてきた私は、このような制度導入が、決して「人」を置き去りにしたものであってはならないと痛感している。民間活用による効率化と、働く人の尊厳ややりがいの維持──この二つの価値を両立させる制度設計こそ、今、求められているのではないだろうか。
 本稿では、指定管理者制度導入に伴う現場の混乱と、その中で職員が直面した課題を整理しつつ、組合として取り組んできた実践と課題を振り返る。そして、公共サービスの持続可能性と「安心して働ける社会」を両立させるための提言を行いたい。現場に根ざした声を、より良い制度と社会づくりのための一助として届けたい──それが、本稿を執筆する動機である。

第2章 制度導入の背景と現状

指定管理者制度は、2003年の地方自治法の改正により導入された仕組みである。従来、公の施設の管理は直営または「管理委託制度」による運営に限られており、委託先も公共的団体などに限定されていたが、法改正により、民間事業者やNPO法人など幅広い団体が管理者として指定されることが可能となった。導入の主な目的は、「民間のノウハウを活用し、効率的かつ柔軟な運営を実現すること」とされている。
 当初は文化施設やスポーツ施設など比較的影響の小さい分野からの導入が進んだが、近年では医療や福祉など、高度な専門性と公共性が求められる分野にも広がりを見せている。自治体にとっては、財政負担の軽減や人件費の削減を見込める一方で、制度導入に際しての「説明責任」「サービス水準の維持」「職員の処遇移行」などが課題として浮上している。
 私が勤務する自治体でも、近年、市民病院の経営改善や再編が議論される中で、「指定管理者制度の導入」が具体的に検討されるようになった。背景には、少子高齢化に伴う医療需要の変化や、地域医療構想による病床機能の再編、さらには財政健全化を求める行政改革の波がある。市民病院は、地域の中核医療機関として重要な役割を果たしてきたが、経営の安定化や人材確保の難しさといった課題も抱えていた。
 行政当局は「制度導入によって経営基盤の安定化と医療サービスの維持が図れる」と説明するが、その過程で現場職員への説明が後手に回り、混乱が生じた。特に大きな問題となったのは、「現職職員の扱い」だった。制度導入に伴い、市直営の雇用から、指定管理者である民間法人(本市の場合は社会福祉法人)への雇用転換が求められ、多くの職員が「整理退職」という選択を迫られた。
 これは事実上の「全員解雇・再雇用」であり、雇用条件の変化、退職金制度の有無、将来的な身分保障などについて不安の声が噴出した。また、一部の職員には制度や処遇の違いが伝わらないまま進行したケースもあり、「納得のいく制度移行」とは程遠い状況だった。これらの問題は、単なる制度の移行ではなく、「働く人の人生設計」に直結する重大なテーマであり、慎重かつ丁寧な対応が本来必要だったはずである。
 制度そのものを否定するつもりはない。しかし、「公共性」と「効率性」の間にある本質的な緊張関係に目を向けず、表面的な経営論理だけで推し進めたときに、そのひずみは、現場の職員だけでなく、医療を必要とする地域の人々にも重くのしかかる。本章ではそのことを、あらためて指摘しておきたい。

第3章 労働現場の実態と課題

 制度の変更は紙の上で完結しても、その影響は現場で働く一人ひとりの職員の生活と心に直接及ぶ。指定管理者制度の導入が決定されて以降、私たち組合には多くの職員から不安や困惑の声が寄せられた。
 「私はもう20年以上、この病院で働いてきたんです。民間法人に転籍となれば、退職金はどうなるんでしょう」「私のキャリアや資格は、そのまま認められるんでしょうか」「子どもが高校に進学する年なのに、収入や雇用がどうなるか分からない」──。これらはすべて実際に寄せられた声である。もちろん、制度導入に際して行政から一定の説明はあった。しかし、個別の状況や背景に応じたきめ細かな対応はなされず、多くの職員が「理解しないまま受け入れる」か「抗うすべもなく辞めざるを得ない」という二択を迫られた感覚を持っていた。
 特に看護師やコメディカルスタッフ(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、臨床検査技師、診療放射線技師、臨床工学技士、薬剤師など)といった専門職として長年地域医療を支えてきた職員ほど、自身の専門性が軽視されているのではないかという危機感を抱いていた。公立病院という場は、単なる「医療の提供場所」ではない。地域住民の命と健康を守る最後の砦であり、働く者にとっても「使命感」と「誇り」を持てる職場であったはずである。だが、その環境が制度の移行によって根底から揺らぎ始めた。また、「指定管理者のもとでも職場は続くのだから、大きな変化はない」という趣旨の説明が行政からなされることもあったが、それはあくまで制度設計上の理屈に過ぎない。実際には、雇用形態の変更により昇給制度や福利厚生が見直され、ボーナスの算定基準も変わる。
 人事評価の透明性や公平性についても、職員の間に強い不安があった。
 加えて、制度導入までのスケジュールが極めてタイトであったことも、現場を混乱させた一因である。関係各所との協議が十分に行われないまま説明会が開かれ、今後の雇用や勤務条件に関する十分な情報がない中で、職員は自らの進路について考えざるを得ない状況に置かれた。職員にとっては、「納得の時間」ではなく、「諦めの時間」が流れていたのが実情だ。このような現場の空気に、私は組合の執行委員長として強い危機感を抱いた。「制度の方向性を決めること」と、「それを現場に根づかせること」は、まったく別次元の問題である。後者においては、職員一人ひとりの尊厳、人生設計、働きがいがかかっている。その重みを受け止めたうえでの制度設計や導入プロセスが不可欠であるにもかかわらず、今回の移行ではそれが著しく欠けていた。
 もちろん、全ての職員が制度導入に反対していたわけではない。中には、「これを機に病院経営が安定すればよい」と前向きに捉える声もあった。しかし、制度の「意義」に納得していたとしても、その「導入のしかた」に疑問を持つ職員が多かったことは、組合として強く実感している。
 制度導入にあたって最も欠けていたのは、「当事者参加」の視点である。現場の職員が単なる“制度の対象”として扱われるのではなく、“制度づくりの一員”として尊重されていたならば、ここまでの混乱や不信感は生まれなかったはずである。

第4章 組合の取り組みと意義

 制度導入が正式に決定される以前から、組合としては一貫して「現場職員の声を政策に反映させること」を目的に、さまざまな対応を行ってきた。組合員からの不安や疑問を拾い上げ、必要な情報を収集・整理し、行政との交渉や意見表明の場をつくる──それは容易な道ではなかったが、「声なき声」が取り残されないよう尽力したつもりである。
 最初に行ったのは、現場職員へのヒアリングとアンケート調査である。「制度が導入されたら、何が一番不安か」「どのような説明が不足していると感じているか」──そうした声を可視化することで、個々人のモヤモヤが“政策課題”として浮かび上がってきた。特に多かったのは、「雇用条件の将来性への不安」「退職金制度への不透明感」「民間法人での労務管理体制への懸念」である。
 その結果をもとに、私たちは行政側との話し合いの場を何度も求めた。当初は制度の大枠がすでに決定された後だったこともあり、「方針は変えられない」との壁にぶつかる場面も多かったが、それでも粘り強く交渉を重ねた。単に“反対”するのではなく、「少しでも安心材料となる施策を追加できないか」「移行支援の手当や制度設計に現場の知見を取り入れられないか」と具体的な提案を行った。
 また、制度移行に関わる説明会の内容や文書についても、組合が積極的にチェックを行い、職員にとって不利益となりかねない文言については修正を求めた。たとえば「整理退職後、原則として新法人に雇用される予定」といった曖昧な表現に対し、「“原則”とは何か」「例外はどんなケースか」などを明確にするよう求め、最終的に一部の文書では修正がなされた。
 さらに、組合単独での交渉に限界を感じた段階で、上部団体である自治労三重県本部とも連携を強化し、さらに他の自治体労組や関係団体、議員との協力も進めた。
 市議会においては、制度導入の進め方や職員処遇への懸念を取り上げてくれる議員と連携し、本会議における一般質問や委員会での質疑を通じて「公の場」で問題提起をしてもらうことができた。こうした“外からの圧力”と“内からの声”の相乗効果は、一定の効果を生んだと感じている。
 もちろん、すべてが思い通りに進んでいるわけではない。制度導入のスケジュール自体が非常にタイトであったため、現場の意見が十分に反映されないまま進行してしまった場面もあった。組合としても、「本当にすべてを守り切ることができるのか」という葛藤を抱えながらの対応が続いているのが実情である。
 中には、「一体何のための組合なのか」と厳しい声を寄せる職員もいた。しかし、そうした声も私たちは真摯に受け止め、今後の活動に確実に活かしていきたいと考えている。  それでもなお、最後まで職員の立場を貫いて粘り強く交渉を重ねた結果、制度や文言の一部に加え、処遇面でも一定の見直しを実現できたことは、組合の存在意義を確かに示すものだと受け止めている。加えて、これまで組合活動にあまり関心を示さなかった職員が、自らの問題として関わり始めるという変化も生まれている。組合活動が“日常”の中に再び根づき始めた――その実感を、私は久しぶりに強く抱いている。
 制度改革という大きな波に直面している今こそ、組合の役割は「声を届ける窓口」にとどまらず、「持続可能な公共サービスをともに考えるパートナー」へと進化すべき時なのではないか。私たちが現場での経験をもとに制度の課題を提起することは、決して“内輪の保身”ではなく、むしろ「より良い公共とは何か」を社会に問い直す行為に他ならないと、私は信じている。

第5章 提言 ─ 制度設計と働き方への視点転換

 公共サービスにおける指定管理者制度の導入は、今後ますます拡大するだろう。財政的制約の中で、自治体が民間活力を活用しようとするのは、ある意味で時代の要請とも言える。しかし、制度導入が現場職員の尊厳や生活の安定を犠牲にして進められるならば、その制度は「持続可能な公共サービス」とは呼べない。ここでは、私たちが経験した問題を踏まえ、今後の制度設計や運用において必要な視点を3つの柱で提言したい。
 第一に、「合意形成のプロセスを制度化すること」である。指定管理者制度の導入にあたっては、当事者である職員や関係団体との協議が不可欠であり、説明会や意見交換の場が一定程度設けられていたとしても、それだけでは不十分である。制度設計の初期段階から現場の声を反映させ、意思決定プロセスに実質的に参加できる仕組みが必要だ。具体的には、労使双方が対等に議論できる協議の場や、制度導入を検討するための委員会の設置、さらに第三者を交えた対話の場などを、制度としてあらかじめ組み込んでおくべきである。こうした仕組みの整備によってこそ、透明性と合意形成が担保され、納得と共感に基づいた制度導入が可能になると考える。
 第二に、「処遇の移行に関する法的・制度的ガイドラインの整備」が急務である。現在の指定管理者制度には、雇用移行に際してのルールが整備されておらず、各自治体や指定管理者側の裁量に大きく左右されている。その結果、処遇の格差や混乱が各地で起きている。少なくとも、公務職として長年勤務してきた職員が、制度の変更を理由に一方的に不利益を被ることがないよう、退職金の引き継ぎ、昇給制度の整合性、勤続年数の継続性などについて、国や都道府県レベルで一定のガイドラインを設けるべきである。
 第三に、「働きがいのある職場づくりを制度の中核に据えること」である。制度設計は財政や効率の観点から語られがちだが、最も重要なのは、現場で働く人々が「誇り」と「やりがい」をもって働き続けられる環境を守ることである。医療や福祉、教育といった領域では、職員のモチベーションがそのままサービスの質に直結する。だからこそ、指定管理者制度の中にも、「働きがい評価指標」や「職場環境チェック機能」などを導入し、単なる数値目標だけではない“人を大切にする視点”を組み込むべきである。
 加えて、制度導入後の検証・評価も重要だ。導入して終わりではなく、1年後、3年後、5年後といった節目で「制度が何をもたらしたのか」を多角的に検証する必要がある。サービス水準、職員満足度、市民の声などを総合的に評価し、必要に応じて制度の見直しを行う──そうした柔軟性と自己修正機能を制度の中に組み込むことが、持続可能な公共サービスには不可欠である。
 これらの提言はいずれも、今回の病院指定管理者制度導入の経験を通じて、私自身が強く痛感したことばかりである。現場を知らないまま進められる制度ほど、恐ろしいものはない。一度損なわれた信頼は、制度の成否とは無関係に、職場の空気や人間関係に長く影を落とす。だからこそ、制度の“内容”と同じくらい、“プロセス”が重要なのだ。

第6章 おわりに

 指定管理者制度の導入は、単なる制度変更にとどまらず、「働くことの意味」や「公共サービスの本質」を問い直す契機となった。効率や財政合理性といった言葉の裏で、現場で働く人々が感じた不安や孤立、やりきれなさは、決して数字には表れないが、決して軽視してはならないものである。
 私たちが求めてきたのは、「制度の反対」ではない。「働く人の声がきちんと届く制度」であり、「安心して暮らせる社会の仕組み」である。公的なサービスが人々の命と生活を支えるのであれば、そこで働く人の安心もまた、制度の根幹に据えられるべきだ。現場の声を拾い、制度の運用に活かす──それが組合の本来の役割であり、今回の取り組みを通じて、私はその使命の重みをあらためて実感した。
 制度は一度つくられて終わりではなく、時代や現場に応じて変化し、磨かれていくべきものである。だからこそ、今後の社会においても、制度設計の段階から当事者の声が反映される仕組みづくりが求められる。そして私たち労働組合は、その橋渡し役として、現場と制度、働く人と社会とをつなぎ続けなければならない。
 本稿が、これから同様の制度導入を検討する自治体や組織、あるいは悩みながら現場で働く多くの人たちにとって、ささやかながらも参考となり、対話のきっかけになれば幸いである。そして何より、すべての“働く人”が尊厳と誇りをもって、安心して働ける社会が実現されることを、私は心から願ってやまない。


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