石原 崇弘
「労働組合の存在意義が問われている」。
組合員比率が働く人の5人に1人程度まで低下し、労働組合が身近でない存在になりつつある中、「賃上げ交渉くらいしかしてくれない」と組合への期待がしぼむ声も聞かれます。しかし一方で、正社員とパートの垣根が低くなり転職も当たり前になるなど働き方は多様化し、若者の就職難やメンタル不調者の増加など新たな問題も噴出しています。
こうした変化の中、労働組合は単に労働条件を「まもる」だけでなく、働く一人ひとりのキャリアや成長を「そだてる」支援へと役割を広げるべきではないか?私はその問いに挑みました。
流動性が高く離職も起こりやすい飲食業界で働く仲間のため、現場では店長クラスの管理職が長時間労働と責任の重圧に追われ、将来のキャリアを描く余裕もなく孤立しがちでした。実際、「日々の業務に追われ自分のキャリアを考える時間が持てず、一人で不安を抱え込んでいた」という声が店長たちから上がっていました。そんな現状を目の当たりにした組合は、「どうすれば安心して将来を考えられる環境を現場に整えられるか?」と模索を始めたのです。
飲食業界の店長たちは、長時間労働や人手不足のなかで責任を一身に背負い、キャリアを描く余裕すら持てない現状にあります。その孤立は若手の定着率低下や、職場の心理的安全性の低下を招き、さらなる離職と悪循環を生んでいました。
そうした課題に対し、「守る」から「育てる」への転換を図り、独自のキャリア支援制度「フォー・ユーキャリア」を立ち上げました。キャリアコンサルタント資格を持つ組合役員が中心となり、厚生労働省の「ジョブ・カード」を活用したセルフ・キャリアドックを導入。キャリア形成・リスキリング支援センターと連携し、定期的な研修・面談体制を整備しました。
研修では、参加者が自らの経験を振り返り、5年後・10年後のキャリアビジョンを言語化。「新店舗の立ち上げに関わりたい」「専門資格に挑戦したい」といった前向きな目標が次々と生まれました。組合主導だからこそ語れた本音が、行動へとつながりました。
この取り組みにより、店舗内には「キャリアを語り合い応援し合う文化」が生まれ、店長同士の横のつながりも強化。「孤立していたが、他の店長も同じ悩みを持っていると知って安心した」という声も上がりました。研修でのグループワークをきっかけに、店長同士がLINEグループを作ってお互いに相談し合うようになった事例もありました。
さらに、組合を通じて経営側に現場の課題が伝わり、人材育成制度の見直しも進みました。「部下とのキャリア面談の時間が十分に取れていない」「管理職向けの教育が不足している」といった声は、これまで埋もれていた現場のリアルです。組合が信頼される窓口として機能したことで、経営と現場の接点が増え、具体的な制度改善にもつながったのです。
フォー・ユーキャリアは、若手従業員向けのキャリアワークショップや、パート・非正規社員への研修機会の提供へと裾野を広げています。サービス業ではアルバイト・パートタイマーなど非正規で働く人も多く、そうした仲間にもキャリア形成の支援を届けることが喫緊の課題です。労働組合には本来、正社員だけでなく非正規労働者を含めて幅広く組織化する責務があります。
UAゼンセンなどの産業別組織ではパート社員の組合加入を推進し、待遇改善とキャリアアップ支援に力を入れています。「人材の流動化が進む今、企業に依存しない自律的なキャリア形成が重要」であるという考え方は、企業だけでなく組合にも求められる視点になりつつあります。経営側も、従業員のキャリア支援については労働組合との連携強化を意識し始めており、「組合の力を借りて若手の定着率を上げたい」との声も聞かれるようになりました。
また、組合は新人や若手への“伴走者”としての役割も果たし始めています。社会人になりたての若者にとって、自分の強みや適性を客観視するのは容易ではありません。そんなとき、組合の先輩メンバーがキャリア支援担当として寄り添い、メンターのように相談に乗る仕組みが求められています。
「上司には言いにくいけれど、組合の先輩だからこそ本音で話せた」というケースは少なくありません。たとえば、「本当は他部署で違う仕事に挑戦してみたいけれど、どう伝えたらいいかわからない」といった悩みに対して、組合が間に立って会社と調整を図り、異動が実現した例もありました(※この事例は実際の展開を想定した架空の例です)。このように、組合という“利害関係のない第三者”だからこそ、安心してキャリアの悩みを打ち明けられるのです。
これは、組織心理学の分野で注目されている「心理的安全性」の観点からも非常に重要です。心理的安全性が高い職場では、従業員は自分の意見や悩みを安心して共有でき、結果的にチームの生産性や創造性が向上することがわかっています。組合が若手のメンタル面にも寄り添い、将来展望を一緒に考えることで、職場全体の雰囲気が変わり、離職の抑制にもつながるという効果が期待されています。
メンタル不調を抱える組合員への支援も欠かせません。メンタルヘルスマネジメント検定の団体受験支援を行い、多くの店長・従業員が資格取得に挑戦しました。この取り組みには、メンタル不調の早期発見や対処法に関する知識を広く浸透させ、現場のリーダー自身が相談対応力を高める狙いがありました。
実際に、「部下の様子に以前より気を配るようになった」「傾聴の姿勢を学び、相談を受け止められる自信がついた」といった声が参加者から多く寄せられています。研修だけでなく、日常の職場において「声をかけるタイミング」や「寄り添い方」が変化してきたことは、心理的安全性の向上という意味でも大きな前進でした。
加えて、今後は組合窓口に産業カウンセラーやメンタルヘルスの専門スタッフを配置し、気軽に相談できる体制づくりも検討しています。企業内の健康管理室や産業医とは独立した“セカンドライン”の相談先を用意することで、「会社に知られたら不利益になるのでは…」といった不安を抱える人でも、安心して相談できるような環境を目指しています。
これは本人のケアにとどまらず、結果として休職や退職といった深刻な状況を未然に防ぐ効果もあります。つまり、組合によるこうした取り組みは、メンタルヘルス不調を個人の問題として片付けるのではなく、「職場の文化」や「安心感のある風土」を再構築する一手段として機能しているのです。
このように、労働組合がキャリア形成支援やメンタル面で多様な仲間を支えることは、個々人の安心感を高めるだけでなく、職場の安定や企業の持続的成長にもつながっていきます。実際、キャリア支援を受けた従業員は、将来に対して希望を持ちやすくなり、会社に過度に依存せずとも主体的に自分のキャリアを切り拓こうとする傾向が見られました。
それは、労働市場の変化が激しい現代において、失業や不本意な転職に翻弄されにくいレジリエンスのある働き方にもつながります。地域においても、失業不安の軽減や、スキルのミスマッチの改善といった社会的な意義を持ち、組合がキャリアとメンタルの両面から働く人を支えるハブとなることで、真に「働くことを軸とする安心社会」が近づいていくので私たちの取り組みは、一つの企業単体で完結する話ではありません。むしろ、このような「現場からのキャリア支援」が産業別組織や地域連携にどう波及できるかが、今後の鍵を握ります。
たとえば私たちは現在、他産業の労働組合との交流や、地域ネットワークとの連携も模索し始めています。キャリア支援という共通のテーマを介せば、対立しがちな組合同士や、異なる組織文化を持つ事業所間にも「学び合い」の接点が生まれるのです。
実際、近隣の別会社に勤める同業の店長同士が、ジョブ・カードの使い方や面談の工夫を情報交換し合う場面もありました。こうした場は単なる横のつながりではなく、「労働者同士が互いに自律性を高め合う協働の場」へと進化しうるものでした。
さらに、フォー・ユーキャリアの仕組みは、サービス業界にとどまらず、介護や小売など、同じく人材流動性が高く、心理的安全性が課題になりやすい現場にも応用可能です。これらの業界でも「組合がキャリアを支援する」というアプローチは、特に新人や中堅層の定着に大きく寄与する可能性があります。
地域社会との連携も重要です。滋賀県のキャリア形成・リスキリング支援センターとの協力が突破口となりましたが、今後は地元大学やNPO、自治体とも連携し、「職場を超えたキャリア相談」「地域ぐるみの育成文化づくり」に挑戦していく構想も生まれています。
企業や職場という枠を越え、キャリア支援を共通言語にして地域の“働く人”を支えるネットワークをつくる──。これは単なる労組活動の拡張ではなく、「人生100年時代の地域包括型キャリア支援」という新しい社会モデルの胎動なのかもしれません。
こうした波及には、産別やナショナルセンターの役割も極めて重要です。例えば、産別組織による「キャリア支援スーパーバイザー」の養成、複数組合による研修共有プラットフォームの整備などは、現場主導の取組をより力強く後押しするものになります。
連合としても、このような草の根の成功事例を集約・横展開することで、組合活動が「生活と成長を支える支援組織」へと進化している姿を、広く社会に提示できるのではないでしょうか。そこには、単なる「防波堤」ではない、労働組合の“希望のインフラ”としての姿が見えてくるはずです。
こうした活動は、単に1つの組織の取り組みにとどまりません。私たちの「フォー・ユーキャリア」は、サービス業という現場から生まれたチャレンジでありながら、すべての産業、すべての労働組合に共通する課題に応えるモデルとなり得ます。
変化の激しい時代において、「会社任せ」「自己責任」ではなく、第三のキャリア支援主体として労働組合が台頭することが求められているのです。実際、最近では企業側からも「組合ともっと連携して若手のキャリア支援をしたい」「エンゲージメントを高めたい」といった声が聞かれるようになってきました。
フォー・ユーキャリアの実践は、まさにその可能性を具体的に示した事例です。
特筆すべきは、この取り組みが「厚生労働省ジョブ・カード活用事例集」に労働組合として初めて掲載され、公的にもその意義が認められたことです。「組合は何かを“まもる”だけでなく、“そだてる・ささえる・未来をつくる”こともできる」という自己肯定感を、組合自身が再発見する機会にもなりました。
また、参加した組合員からは「組合がここまで自分たちの成長に寄り添ってくれるとは思わなかった」「誇らしく感じた」という声が相次ぎ、これまでとは異なる新しい信頼の形が築かれました。フォー・ユーキャリアがもたらしたのは、単なるキャリア支援ではなく、職場全体に“前向きな循環”を生み出す起点だったのです。
「フォー・ユーキャリア」が示したキャリア支援型ユニオンの姿勢は、過去に永井幸子氏が提言した「産業別労働組合がキャリア形成を支援する存在になるべきだ」という構想を、企業内単組レベルで具体化したものでした。
第一回「私の提言」論文集に掲載された永井氏の論文『キャリア形成のサポート組織としての産業別労働組合の可能性──産業別労働組合はどこまで組合員個人と関われるのか──』では、労働組合が「再就職支援」や「スキル開発の中継点」となり、組合員一人ひとりのキャリア形成を支える存在になる未来が示唆されていました。そこでは「キャリアは単なる職業選択ではなく、その人の生き方そのもの」と位置づけられており、組合がそうした人生の伴走者となるためには、個別支援スキルの強化と信頼構築が不可欠であると指摘されています。
私たちは、そのメッセージを約20年の時を超えて実装し始めています。特に注目すべきは、組合スタッフ自身がキャリアコンサルタント資格を取得し、内部人材として専門性を備えた点です。これにより、「組合=交渉団体」ではなく、「組合=キャリアの相談窓口」という新たなイメージが組合内外で生まれつつあります。
また、キャリア支援に取り組むこと自体が組合の組織力を高めるという副次的効果も生まれています。実際、フォー・ユーキャリアの実施を通じて、組合役員・職場委員の中には「仲間の人生に寄り添った経験が、自分のキャリア観にも影響を与えた」と語る者も現れました。労働者の自己理解を支援する経験は、支援する側にも自己成長をもたらす双方向的な学びの場となっているのです。
このように、キャリア形成支援に取り組む組合は、自らの“人的資本”をも強化することができます。専門性を持った相談員、若手に寄り添えるメンター、メンタル面の支援ができるリーダーの存在は、単に組合活動の強化にとどまらず、会社全体にも好影響を与えます。労使間の関係性も、交渉の場だけでなく、「成長支援を通じた協働のパートナー」へと深化していく可能性を秘めているのです。
ここで強調したいのは、「まもる」ことと「そだてる」ことの両立は、労働組合の未来像において決して相反するものではないという点です。むしろ、働く人々の将来への安心と成長への期待を支えることができてこそ、本当の意味での“まもる”が成り立ちます。
労働条件の改善は大前提ですが、それに加えて働く意義やビジョンの明確化、安心して成長できる環境づくりは、組合員の意欲やエンゲージメントを高め、結果的に労働条件のさらなる改善にもつながっていくのです。この“まもる”と“そだてる”の好循環は、これからの労働組合が目指すべき理想的な姿ではないでしょうか。
フォー・ユーキャリアが描き出した未来像は、働く人がキャリアの不安や悩みを一人で抱え込まず、信頼できる組織とともに歩める社会です。そこでは、労働組合が単なる交渉の場ではなく、キャリア支援の伴走者、ライフキャリアのコンパスのような存在として機能します。
特に人生100年時代においては、定年までの働き方に加え、第二・第三のキャリア形成が当たり前となっていきます。こうした変化に対応するには、従来の労働組合の枠を超えた柔軟な発想と、実践に基づいた支援が不可欠です。
その意味でも、フォー・ユーキャリアの取り組みは、他産業や他企業の労働組合にも大きなヒントを与えるものであり、また産別・ナショナルセンターである連合にとっても、「仲間をまもる」から「仲間とともに未来をそだてる」運動への進化を後押しする材料になるでしょう。
最後に、こうしたキャリア支援を通じた新たな労働組合像を広く共有し、産業別・地域別を問わず展開していくことが、真の意味で「働くことを軸とする安心社会」の実現につながっていきます。そのためにも、現場発の取り組みを積み上げ、信頼をベースに仲間をつなぎ、未来を共に創り出す「キャリア支援型ユニオン」の輪を広げていきたいと考えます。
フォー・ユーキャリアが芽生えたこの現場から、日本の労働組合の新たなステージが始まっています。今こそ、「まもる」だけではなく「そだてる」力を備えた労働組合へと、共に進化していく時なのです。
よって私は、連合が各産業の現場と連携し、キャリア支援とメンタルケアを通じた“人を育てる支援型ユニオン”を推進し、働く人の尊厳と社会正義を守る新たな運動を提言します。