私の提言

奨励賞

人間らしく働く権利を守るために
~「労働組合って何?」から踏み出す新たな一歩~

福井 美津江

はじめに

 この文章を書いている現在、私は失業中である。職を失うことなど望んでいなかったし予想もしていなかった。30歳すぎから始めたパートの仕事を、16年間勤めてきた職場で、仲間たちと一緒に続けていくつもりだった。少なくとも1年前までは。
 職場に組合がなく、問題が発生しても頼れる場所がない。そのような中で働く人たちの安全が脅かされているという現実がある。私たちはそれにどう向き合い乗り越えていったらよいのだろう。私が経験した出来事を踏まえた上で考察していく。

1.人権さえ守られない、職場の実態

 昨年3月、私が勤めていた職場(スーパーマーケットの本部)で、重大なセクハラ問題が発覚した。加害者は男性の役員(以下A上司とする)、被害者はパートで働いていた同僚の女性(以下Bさんとする)だった。行為の期間は1年近くに及んでいて、Bさんはその間ずっと耐えながら勤務を続けていたが、限界を超え、(セクハラ相談窓口となっていた)幹部に打ち明けたことで事件が明るみになった。身近でそんなことが起こっているとは、私を含めまわりのほとんどの者が知らず、事件の内容を後からBさん本人から聞いたときには大きな衝撃を受けた。部署はちがっても共に本部で仕事をしていたので、Bさんとは毎日のように顔を合わせていた。どうして気付いてあげられなかったんだろうという思いが先に立った。それはまわりも同じだっただろう。
 被害に遭っていたことを長い間だまっていた(言えなかった)のは、事を荒立てたくないという気持ちがあったようだが、もっと最初のうちに対処するべきだったとBさんは言っていた。そして、世間の人にこの問題を知ってもらいたいという考えをBさんから聞いているので、私もできるならこの場で、事件がどれだけ悪質なものだったか、Bさんがどれだけ不快な思いをしたかということを書き記したい。しかし事件の当事者でない私が安易にわかったようなことを言うのは控えるべきだと考えるし、また、私が(おそらくBさんや他の同僚たちも)本当に訴えたいのは事件そのものよりも、その後のA上司の態度であり、会社の対応である。その職場の実態を、これを読んで下さる方お一人にでも、お二人にでも知っていただきたいと思う。
 
 会社は事実関係を確認し、A上司に対する処分を決めた。私たち本部のスタッフが幹部から受けた説明を簡潔に述べると、「A上司の役職の解任、支店への異動、今後の本部への立ち入り禁止」というものだった。
 加害行為の悪質度と懲戒処分の重さは、ある程度比例するものだと思う。そうしてみると今回の処分は甘いのではないかと正直感じたけれども、それはあくまで私の感覚であり、また、意見する立場でもないので口には出さなかった。A上司はセクハラ行為の一部を認めなかった(そこまでひどいことはしていないと主張した)そうなので、そのあたりをきちんと調査しなかったのかもしれない。そもそも、常からの経営者らとA上司の近しい関係から考えても、解雇にはならないだろうと察しはついていた。それでも、(こんな偉そうな言い方をしてはいけないのかもしれないが)うちの会社にしては最低限とるべき処置はとったと、評価できる部分もあった。本部から加害者を離したのは、当然、被害者の安全に配慮したものだとばかり思っていたからだ。
 ところが、本部に立ち入ることは許されていないはずのA上司が堂々とやってきて、それを社長が今までと変わらずに迎え入れている姿を、私たちはたびたび目撃した。また、A上司は元の役職のままの名刺を増刷していることもわかった。
 そんな中、A上司の異動先となった店舗で働いている同僚から、私に電話がかかってきた。A上司にパワハラを受けて困っているという内容だった。公私ともに親しくしているその友人が、つらい思いをしてストレスを抱えているという状況に胸が痛んだ。そして、A上司に対する不信感は増すばかりだった。
 A上司がセクハラ事件について少しでも反省しているならば、部下を傷つけることなど二度とできないはずである。立場が弱いとする人間に八つ当たりをし、無理な仕事を押し付ける。そんなA上司からは、反省の色は全く見えなかったし、実際、Bさんに対しても謝罪の言葉はひとつもないままだった。 
 人は誰でも過ちを犯すことはあるだろう。私もこれまで生きてきた中で、自分の言動により知らず知らずのうちに人の心を傷つけてしまったことがあると思う。しかしそれを「そんなつもりじゃなかった」と済ませてしまっては、相手の傷を深めるだけなのだ。罪を償うには、きちんと自分の非を認め、心から悔い反省することが大事だと考えている。
 
 A上司の態度は相変わらずのまま3か月ほどたった頃、思わぬ話が耳に入った。A上司が本部に戻されるというのだ。私も同僚たちも唖然とした。こんな短い期間で再び危険にさらされるBさんが、どんな嫌な気持ちになるかわからないのだろうか。ただでさえ疲労困憊していたBさんは、立ち上がる気力も失ったようだった。
 A上司への懲戒処分は結局形だけのものだった。義務は果たしているという、社内外の人間へアピールするためだったのだろう。早い時期に役員に戻すことは、おそらくはじめから決められていたに違いない。A上司が役職名をつけたまま名刺を増刷していたのも、残念ながら納得できた。
 Bさんの意思は尊重されることはなかった。結果Bさんは退職に追い込まれてしまった。経営者らは身内の加害者を守るために、被害者である従業員の働く権利を奪い、人権を著しく侵害したのだ。転んで血を流している人をさらに上から踏みつけるようなひどい仕打ちに、今こうして思い出して書いていても涙が出てくる。
 
 部署は違うがBさんの仕事ぶりには見習うことが多かった。女性4人のチームの中心的存在となっていたBさんが、こうした二次被害に遭ったことで、会社に失望した他の3人も一斉に離職する事態となった。

2.青信号をひとりで渡ることの怖さ

 私はもう、だまっていることができなかった。Bさんたちにしても、パワハラを受けた同僚にしても、何も悪いことはしていない。ただ真面目に働いていただけなのに、なぜあんな理不尽な目に遭わなければいけなかったのか。どうしても許せなかった私は、そうした思いを幹部にぶつけた。決して感情的な言い方はしていないつもりだが、内心は怒っていたので自ずと語気が強まっていた。
 「人の心身を傷つける、ひどい行為をしたと思います」
 「今回のことで毎日モヤモヤとして、仕事のやる気を失っています」
 「重大な問題を放っておいて、その上での経営なんて成り立たないのではありませんか」
 そのとき相手は聞く素振りを見せていたが、頭の中では私をどう処分するかすでに考えていたかもしれない。私は冷静になって振り返ったとき、生意気な発言をしてしまったと思ったが、それを取り消したいとは思わなかった。
 後日、私は16年間勤めた仕事とは全く職種の違う部署への配転命令を受け、本部から離れることになった。わかりやすい嫌がらせだった。覚悟はしていたけれどもやはりショックで、もう会社を辞めようかと考えた。セクハラ事件発覚から揺れた数か月の間にも、何度辞めようと思ったか知れないが、生活がかかっているので現実問題そう簡単なことではなかったし、また、何より仕事の内容自体は好きで楽しく、同僚たちとの人間関係にも恵まれていたので、できれば続けたいという自分の気持ちに従ってきた。その仕事の環境が一変するということで、どうしようかとずいぶん悩んだけれど、「ここで辞めては会社の思うつぼになるだけだ、絶対負けてはいけない」という意地があったために、離職することを思いとどまった。それに、もしかしたらこの異動に悪意はないのかもしれないというわずかな望みと、新しい部署で心機一転して働くのもよいかもしれないという気持ちもあって、会社に残って仕事を続けることにしたのだった。
 そう選択したからには、与えられた場所で、まわりのスタッフに教わりながら一所懸命に仕事に取り組んでいこうと、気持ちを新たにした。配転先の店では、これまで1日パソコンに向かっていた仕事とはちがって、接客や販売、品出しが主な立ち仕事で慣れないことばかりではあったが、お客さんの笑顔に触れると心和むことも多く、これからもがんばっていこうと、確かにそう思っていた。
 が、その一方で、役員に戻ったA上司や、経営者らが、何事もなかったかのようにふるまっている様子を見聞きすると、どうしても、泣きながら辞めていったBさんたちの無念を思い、やるせなくなるのだった。部署が変わっても、同じ経営者の下で働いていることに変わりはない。そう考えたとき、私はなんだかとても危険な場所に立っているような気がして、ここから脱出しようとようやく決心し、昨年の秋、退職を申し出た。引き留められるなどとは到底思っていなかったが、直属上司の明快な「わかりました!」の一言が、私の胸にさびしく響いた。
 それから数日たったある日、親しい同僚が、「こんなことを伝えると福井さん傷つくかもしれないけど・・・」と前置きした上で、幹部が話していたという内容を教えてくれた。「あの人(私)は会社に不利益となる言動をとったから異動させた。自主退職するように仕向けた」というものだった。わかっていたつもりでも、会社側からとどめを刺されたようでがっくりときた。これがもし面と向かって「辞めろ」と告げられていたのであれば、こちらも闘いようがあったかもしれないが、むこうは心はどうあれ手を汚しているわけではないので、悔しいが泣き寝入りするしかなかった。
 (ただ、それは私自身が行動を起こさなかったというだけであって、まわりの方々はいろんな方面から応援して下さっていた。支えていただいて、本当に感謝している)
 
 私が渡りたかった道の先に灯っていたのは、確かに青信号だったはずだ。けれど、この労働社会では、ひとりで青信号を渡るということは、みんなで赤信号を渡ることよりもよっぽど怖いことなのだと思い知った。

3.みんなが正しくルールを守るために

 「この職場の中にいると、なんか感覚がマヒしてしまうよね」
 在職中そんなふうに同僚たちと話したものだが、本当に、何が正しくて何が間違っているのかわからなくなって、これはおかしいのではと疑問を持つことさえ許されないような、淀んだ空気に支配されている感じがしていた。それが退職してみたら何かこう、視界が広がったというか、外から元の環境を眺めたときに、あらゆる違反をして赤信号を堂々と渡っている経営者らの姿がはっきりと見えてきたのである。幹部が全員そうだというわけではなく、中には誠実な上司もいるので、お世話になったのにその職場のことをこのように言うのは心苦しい面もあるが、やはり私の目にはもう、危険な光景にしか映らなかった。
 誰かが止めなければいけない。そう強く思った。このまま放っておいたら被害者は増える一方だ。その危険な場所にはまだ、大切な仲間が大勢残っているのだ。「心身ともに疲れている」と嘆いている友人たちをなんとか助けたい。けれど、「そこからすぐに離れて」とは私には言えない。みんなそれぞれの生活があるのだ。実際、仕事を辞めて私は、わずかな収入でもそれが途絶えるということは、(うちの場合)たちまち生活が行き詰まるのだという、当たり前のことを痛感している。勤め先だったスーパーへは買い物に行きたくないのはもとより、出費を抑えるためになるべく外に出ないようにしている。そういう面からでも、従業員を不当に扱い流出させることは、自分の企業の売上を減少させるだけにとどまらず、社会全体の景気回復の足を引っ張ることにつなげているのではないだろうか。「人」を粗末にしていると、自分たちが一番ほしい「お金」は手元から滑り落ちていくばかりだと思う。そしてそれがまた、働く人たちの労働条件をさらに悪くし、安全を脅かしていくという悪循環を繰り返すことになるのだ。

 赤信号は誰ひとりとして渡ってはいけないのだということに気付いてもらいたい。そのためにはまず、私自身がルールをしっかり知ることが必要だと思い、労働問題について勉強するようになった。
 そんな中で力になって下さったのが、「連合福井」さんである。労働相談がきっかけだったのだが、私はそれまで、「労働組合」がどのような組織で具体的にどんな活動をしているのか知らなかった。言い訳になるかもしれないが、前職場に組合がなかったので、私にとっては遠い存在だったのである。でも、親身になってアドバイス下さったり、真摯に活動に取り組まれている姿に接し、働く人たちみんなの味方になってくれているのだということがよくわかり、とても身近に感じるようになった。
 昨年12月には、県立大学で「連合福井寄付講座」を受講した。我が子と変わらない年代である学生さんたちと一緒に、労働組合について学んだ時間は新鮮で有意義なものであった。また、今年2月に開催された「古賀会長と非正規労働者との直接対話集会」では、来県された連合本部会長の古賀氏にお目にかかってお話を伺うことができ、大変感激した。目線を合わせた「対話」こそが人の心を動かすものなのだろう、あのとき自分が前へ大きく一歩踏み出せた気がした。また、帰り際には思いがけず、近くの席で参加されていた方々から、「これからもがんばりましょうね」と声をかけて下さったのがとてもうれしかった。
 
 こうした出会いの中で、私はひとりじゃないんだということにあらためて気が付いた。ひとりで無茶をしたところで問題は解決しない。なにしろ赤信号を悪びれもなく渡っているのは、自分がよければ他人の身体や心がどうなったって構わないというような、人間としての基本のルールさえ守らない、極めて難解で手強い相手なのだ。そこに立ち向かっていくにはやはりまとまった力が必要なのだと思う。ひとりひとりの力は小さいとしても、それぞれの思いがつながれば、大きな力となって運動のうねりを作る。それが労働組合が成す姿なんだなということがわかってきた。
 これまで学んでみると労働組合って良いことだらけと思うのに、なぜ組織率が低いのか。そこのあたりがまだまだ勉強不足の私にはよくわからないのだけれど、ひとつ言えるのは、その存在の良さを単に「知らない」、「関心が薄い」という人も多いのではないかということである。現に私がそうであったし、前職場でも労働組合の話題を出す同僚は、私の知る限り1人もいなかった。
 その職場で働いている仲間たちには、今こそ立ち上がって労働組合を作ってほしいと思い、連合の方々のお力添えのもと、私なりに誠意を持って勧めているが、話に耳は傾けてくれるものの、なかなか実現には結びつかないというのが現状だ。それは私の伝え方が不十分なことが大きい。仲間たちから「少しの動きでも会社に知られると追い出されるから」と言われると、それを自分で実証してしまっている私としては、それ以上どう話を進めたらよいのかわからなくなるのである。労働組合の結成や活動は憲法や法律で保障されているということを教わりながら、それを正しく説明もできない自分をもどかしく思う。それでも発信し続けることが大事だと考えているので、私は私のできることをやっていくつもりだが、その効果が表れるまで待つほどの余裕は一刻もない。顔も名も知らないけれど、今もどこかの職場で苦しんでいるであろう人たちのためにも、そうした人がこれ以上出るのを防ぐためにも、安全な場所を確保し拡大することが早急に望まれる。

 どうしたら「労働組合」のことを多くの人に知ってもらえるだろうか。私がまず考えた(というよりそれしか思いつかない)のが、連合からの情報の提供を、マスコミとの連携によりさらに促進していただけないか、ということである。特にテレビ・新聞・ラジオが効果的と考える。現代はインターネットの普及により、情報はいくらでも簡単に得られるわけだが、使用しない人だって多くいるし、また、検索したとしても情報がありすぎてかえって混乱することもある。私は前職場での一連の問題があって、ネットで相談先などを調べていたが、連合のホームページにたどり着くまでには相当な時間がかかった。巡りあえてよかったという気持ちはもちろん大きかったが、もう少し早く見つけていたら・・・という思いもあった。
 テレビなどのメディアでは、何気なく見聞きしていても向こうから自然と情報が入ってくる。それが自分の関心事のアンテナにひっかかったなら、必然と気に留めるものだと思う。私は在職中に前の部署の仕事で、ポスターや折込みチラシなどの販促物を作成していたが、それがお客さんの購買意欲を高めることにつながっているかどうかは、目に見えてわかるものではなかった。しかし、ひとたびテレビの特集などで食材や日用品が紹介されると、次の日にはその商品がすべて売場から消えるという現象が起きる。メディアの影響は一目瞭然だった。 

 連合の「女性のための全国一斉労働相談<2014年>」に寄せられた相談(※図表1)も、そのキャンペーン情報源(※図表2)は下記の通り、「ラジオ・テレビ」が37.4%、「新聞・雑誌」が25.5%と、「WEB」や「ビラ」などに比べて割合ははるかに大きい。

(出所)連合非正規労働センター [集計結果] 2014年6月10日~11日
   「女性のための全国一斉労働相談STOP!-セクハラ・パワハラ・マタハラ-」
 
極端なことを言えばこれだけの情報でもよいと思う。           
 0120-154-052 フリーダイヤル 「いこうよ 連合に」

 私は自分が勤めていた店のフリーダイヤルはおぼつかないが、連合のこの番号は言葉とセットになって頭の中にインプットされている。職場のことで困っている人がいたら伝えたいと思う。いずれの方法で情報を得たにせよ、ここに電話をかけてきた人たちはそれだけでひとつ行動を起こしていることになると思う。見知らぬところに相談をするというのはなじみのスーパーで買い物をするのとは訳が違って、誰でも気軽にできるというものではない。勇気を出して話をしたその人の思いが誰かとつながったのならば、それは立ち上がる力となり、問題解決に向けての大きな一歩になるのではないだろうか。たくさんの人にこの場所を知ってほしいと思う。

 安全な場所を拡げるには、危険な場所をなくしていくことが急務だ。赤信号を渡っている人たちを何としても止めなければいけない。ただ、力まかせに止めたとしても、それは根本からの解決にはならないと思う。いじめをする子どもに「いじめはだめだ、やめなさい」といくら言っても、本人の“気付き”がない限り、隠れてでも弱い者を攻撃するのと同じだ。何がそうさせてしまうのか、その背景にまわりが目を向けることが大切になってくるだろう。そしてそれは社会全体の責任だ。
 しかし仮にもトップに立つ人間がルールを破ろうとしているようなこの世の中で、誰もが安心して暮らせる社会を築くまでの道のりは、非常に険しいと言わざるを得ない。どんな経営者にも家族はいるだろう。その大事な家族が危険な目に遭っても平気だと言えるのだろうか。従業員だって家族と変わらないチームの一員なのだ。政府にとっての国民もまた然りである。
 私たちはみな、人間らしく生きる権利がある。それが侵されることのないように作り上げられたのが、ルールというもののはずだ。その原点に今一度立ち返って、進むべき方向を見極めなければいけないと思う。『働くことを軸とする安心社会』の実現を目指して、みんなで足並みそろえて支え合い、ルールを守りながら、確実に、一歩ずつ歩いていけば、その先には必ず希望の青が見える。私はそう信じている。

おわりに

 私は労働組合に入ったことがなく、今は働いてもいない。持ち合わせている言葉や知識も少なくて、このような提言を執筆するのは無謀だと、自分に言い聞かせていた。でもそれ以上に、伝えたい思いの方が強くなってしまって、迷ったけれどやっぱり応募してみようという気になった。今回、自分の考えを整理するという作業を通して、前にまた一歩進めたように思う。    
 外はまぶしい陽が降り注いでいる。あの日一緒に勉強した若者たちは、これから先どんな職場で活躍していくのだろう。私も負けないようにがんばろう。仲間が眺める同じ空の下で就活に励みながら、もう一度、働く幸せを見つけたいと思っている。


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