非正規雇用労働者の処遇改善に向けた提言
~正規雇用労働者と労働組合への期待を中心に~
角谷 博
1.はじめに ~非正規労働者の貧困問題を取り上げる理由~
近年、日本企業は長引く景気の低迷とグローバル化の進展を受け、競争力向上と経営効率化の名目のもとに、正規雇用の労働者(以下、正規労働者という)の賃金カット、リストラを強行し、他方、安価な労働力たる非正規雇用の労働者(以下、非正規労働者という)の雇用を進めてきた。結果、今日、非正規労働者は全労働者の35%を超えるに至った(※1)。今や、およそ三分の一以上の労働者が非正規労働者として就労しているのが実情である。
一昔前、今日言われるところの非正規労働者は、家計補助を企図した主婦や学生のパート、アルバイトが中心であった。しかし今では一家の稼ぎ頭たる立場の男女が、非正規労働者として就労している。一つ同じ職場に於いて、正規労働者と契約社員、派遣社員、請負など、様々な雇用形態の労働者が互いに机を並べ、同様の仕事をしているケースも少なくない。しかしながら、正規労働者と非正規労働者の賃金格差はあまりに大きく、後者は貧困の極みにある。この非正規労働者の置かれた状況、否、惨状は、連日のようにマスコミにも取り上げられ、貧困のみならず、いつ契約を打ち切られるかも知れぬ精神的不安を強いられ、将来への展望は全く開けず、夢をも描き得ない生活を余儀なくされていることは周知の事実である。所謂、ワーキング・プアの問題である。
フルタイムの非正規労働者の所得は正規労働者のおよそ四分の一から三分の一以下と言われる。正規労働者の年間所得を600万円とすれば、非正規労働者のそれは150万~200万円。果たして、この収入で人間らしい生活が営めるのであろうか。ここから社会保険料、諸税が引かれれば、果たしてどれほどが彼等の手元に残ると言うのか。さらにここで扶養家族が加われば、非正規労働者とその家族は最早人間らしく生活することすら不可能であると言わざるを得ない。
このように現在、非正規労働者の立場に置かれた労働者の生活苦は、想像するに余りある。だが実は、問題は、その当事者たる非正規労働者とその家族の貧困問題に留まらない。現行の徴税システムは、その労働者の年間所得に応じて算出される部分が大きい。そのため、試算に拠れば、非正規労働者の納税額、保険料は正規労働者の三分の一と目されている(※2)。このまま非正規労働者が増え続ければ、現行の社会システムを維持する為に、正規労働者へその皺寄せが求められることは想像に難く無い。今、20代後半の国民年金に対する保険料未納率は50%を超えており(※3)、数十年後には国民年金すら受け取れない貧困老年層が大量に生じる恐れもある。そして何より、非正規労働者の貧困は消費にも大きく影響し、国家の税収減のみならず、経済の停滞をも招くことから、今日の非正規労働者の貧困問題は、様々な面で日本の行く末に歪をもたらす要因となっている。よって非正規労働者の直面する貧困問題は、現在の、そして当事者に限定されたものではなく、当に世代を超え、正規労働者にも国家システムにも重大な影響を及ぼす大問題なのである。
やがて企業の業績が上向き、景気の回復と共に雇用が促進されれば、いずれ非正規労働者の貧困問題も解決されるなどと悠長なことは言っていられない。官民は一体となって問題の根本的解決策を模索し、非正規労働者に対するセーフティネットの拡充を急ぐべきだということは言うまでもない。しかしそれと同時に、私を含めた正規労働者も、ただそれを期待し、傍観すべきではないと考える。
世の企業はどこも厳しく、過酷な競争下にさらされている。とりわけ人件費の抑制に努めようとするのは、言わば企業側としては当然かもしれない。その中で、非正規労働者の処遇を改善し、とりわけ貧困問題を解決しようとするならば、つまり限りある雇用側の人件コストを非正規労働者に向けようとするならば、必然、正規労働者にも相応の血を流す覚悟が無ければならない。畢竟、今、非正規労働者が抱える問題を正規労働者が、労働者共通の問題、すなわち己の問題としてどれだけ認識できるかが現状打破への鍵になると考える。
労働者個々の力は弱い。従って労働者の運動は、連帯を以ってするしかない。その行動の指導的、中心的役割を担うのは、言うまでもなく労働組合であり、それが労働組合の使命であるとも考える。
時代は大きく変化した。労働組合も正規労働者の組合員も、今、意識の改革と運動形態の変革が求められていると思う。本稿では非正規労働者の処遇改善の為、労働界全体が明るい明日を思い描けるよう、改めて非正規労働者の置かれた現況を著し、正規労働者に対し非正規労働者との連帯を求め、労働組合に対しては一層の尽力とイニシアティブを切望する思いから提言を試みることにしたい。
2.増加する非正規労働者 ~非正規労働者は時代の被害者~
今日、非正規労働者の数は、全労働者の三分の一以上を占めている。そしてその数は、現在も増加し続けている。では何故ここまで非正規労働者が増え続けてきたのか。問題提起と併せ、これまでの経緯を簡単に振り返っておきたい。
バブル経済が崩壊した1990年代初めから、企業は徹底したコスト削減と合理化に努め、その結果、日本的雇用慣行である終身雇用制度が崩れ、正規労働者の大量リストラ、新卒者の雇用をも控えられ、正規労働者の数は激減した。そして2001年に成立した小泉内閣は新自由主義を是認し、2002年には完全失業率が5.4%にまで上昇するに至った(※4)。その間企業は、労働力を安価に、しかもタイムリーに調達・調整できるというメリットから、非正規労働者の雇用を大胆に進めたのである。しかし、2008年秋のリーマンショックという世界的な経済危機に直面したことで、企業は派遣切り、非正規切りを強行した。その結果、同年の年末には、文字通り行き場を失った多くの労働者が路頭に迷い、派遣村にて越年を余儀なくされた惨状は記憶に新しい。最早社会に対する不満と矛盾は臨界点にまで達し、2009年の選挙では民主党への政権交代を実現させたものの、その改革は完遂することなく挫折した。
このような流れの中で特筆すべきは、政府が正規労働者のリストラ、雇用控え、非正規労働者の大量雇用に規制を設けないどころか、むしろ労働者派遣法の制定、「改悪」を繰り返し、企業・経営側の後押しを図ってきことにある。この責任は極めて重い。しかし労働側もこの流れを食い止めるべく、大きな組織力を以って抵抗し得なかったところに、その運動史上、大いに反省すべき点があると言わざるを得ないだろう。
今、今日に至る経緯を概観すると、大量となった非正規労働者は時代の被害者と言えるのではないだろうか。戦後、当然のように考えられていた正社員としての就職、そして終身雇用が突如として崩れ、非正規労働者として生きる道を余儀なくされたということは、一部の例外を除き、その当事者自身が、決して好んで選択した道ではなかったということである。当に時代の被害者である。
ともすると世論は、非正規労働者が出現してきた時期から今日に至るまで、彼等を「怠惰に流れる者」とネガティブに捉える傾向にある。しかし今日段階で経緯を振り返れば、非正規労働者こそ被害者であり、寧ろ時代と政財界に貧困を強いられた、作られた階層と位置づけられるのではないだろうか。ここに彼等非正規労働者を救済すべき所以がある。
3.非正規労働者の貧困 ~最低賃金時間額の大幅な引き上げの必要~
前述の通り、フルタイムの非正規労働者の年収は150万~200万円が主流である。これでは若年独身者でさえ生活苦にある状況の中で、結婚をすることすらもためらう者が多く、それは少子化にも繋がり、我が国の年金システムをはじめ、様々な社会保障に弊害をもたらす要因となっていることは論を待たない。
非正規労働者の貧困問題の根源は言うまでも無くその賃金の低さにある。だが市場原理にこれを任せれば、この傾向を短期間に変えることは難しい。大量の非正規労働者は今、正規雇用への道がほぼ閉ざされ、非正規雇用から非正規雇用へと渡り歩いているのが実情である。つまり需給関係で言えば、供給過多である以上、企業側は非正規労働者に多くの賃金を支払う筈が無いのである。よって非正規労働者の貧困は時が解決する問題ではない。寧ろ、今後非正規労働者が増加の一途を辿れば、更に彼らの賃金が下がることすら想定されるのである。
そこで非正規労働者の処遇改善に向けた喫緊の課題として、行政に望むべくは、最低賃金時間額の大幅な引き上げである。
そもそも各都道府県別の最低賃金時間額の低さは異常である。昨2012年、全国平均の最低賃金時間額は749円。最も高い東京でも850円に定められている(※5)。一日7時間、月間22日の労働を想定した場合、全国平均では11.5万円、東京では13.1万円の収入に留まることになる。対して、生活保護受給額、標準三人世帯を目安にした場合はどうか。厚生労働省発表の資料によれば、地方では13.5万円、東京では17.2万円となっている(数値は2012年4月のものとして掲載(※6))。これは生活保護が手厚いと言うより寧ろ、最低賃金が低すぎると考えるのが妥当だ。労働しない方が、非正規労働者として就労するよりも生活が楽になるなどという道理はないし、あってはならないことである。労働界は最低賃金時間額の引き上げの為、一層の運動強化に取り組むべきである。
冒頭記述したが、本来非正規な雇用とは、パートやアルバイトを意味していた。家計に補助的な収入を得る為の労働だったのである。故に、所得税非課税の限度、103万円ギリギリの収入を得るために、フルタイム労働時間の四分の三、年間1500時間の労働をしたとすれば、時間当たりの単金は最低賃金時間額とさほど変わらない、686円となる。つまり最低賃金時間額の設定というものは、家計補助的アルバイト、パートを前提として定められたものであって、今日のような主たる収入・フルタイム型の非正規労働者を想定し、定められたものではないということである。よって我々労働者は連帯し、実態に即した最低賃金時間額の設定、大幅な引き上げを求めなければならないのである。
4.労組の取り組み現況と問題 ~難航する非正規労働者の組織化~
このように、非正規労働者の置かれた状況は厳しく、その処遇改善は一刻の猶予も許されない。ここでは非正規労働者に対する連合と、その傘下にある労働組合の取り組み現況について見てみたい。
連合は相当以前より、非正規労働者の処遇に関し問題意識を抱き、その取り組みにあたってきた。2007年、非正規労働センターの設立をはじめ、先の2013春闘に於いても、非正規労働者の更なる労働条件改善を企図した方針を決し、各労組へ「職場から始めよう運動」をはじめ、非正規労働者保護、組織化へ向けた一層の取り組みを要請してきたことは周知の通りである。
一部企業労組もこれに呼応し、ミクロ的には一定の成果を挙げているように見える。しかしマクロ的情勢を見た場合、未だ充分な、目に見えた非正規労働者の処遇改善、保護には至っていないのが実情だと思う。
多少時期を前後した資料となるが、厚生労働省が発表した『平成22年労働組合活動実態調査結果の概況(※7)』を見ると、16産業3,500の労働組合から聞き取り調査を行い、フルタイムの非正規労働者に対する労働組合の組織化についての報告が為されている。それによると、『パート、派遣社員を除き、フルタイムの非正規労働者がいる』と回答した労組は68.9%、その内、その非正規労働者に『組合加入資格がない』という回答は66.9%であった。又、『派遣社員のフルタイム非正規労働者がいる』と回答した労組は64.6%、その内、その派遣社員に対して『組合加入資格がない』という回答が93.0%にも上っている。つまりこの結果より、日本の多くの企業にフルタイムの有期契約社員や派遣社員がいながらも、彼等には『組合加入資格がない』との理由で組織化が阻まれていることがわかる。これは言うまでも無く、従来の企業別を中心とした組合の在り方が、すなわち、その企業に勤める正社員の処遇改善を一義とする元来の企業別組合という性格が、非正規労働者組織化の障壁となっている。従来の終身雇用を前提とした、正規労働者を対象とした企業労組では、非正規労働者にはその加入資格すら持ち得ないのであり、企業労組は非正規労働者の置かれた惨状を理解し、問題意識を抱きながらも、一層の運動に踏み込めない現実を表わしているのである。
厚生労働省が発表した『平成24年労働組合基礎調査の概況(※8)』によると、近年全労働者の推定組織率が年々低下しており、遂には17.9%にまで落ち込んだことが報告されている。しかし反面、パートタイム労働者の組織率については前年度比7.9%増となり、全組合員にパート労働者の占める割合が8.5%にまで上昇しているという。この数値はパートタイム労働者に限定されたものである為、フルタイムで働く契約社員や派遣社員の組織化問題とは同列に扱うべきではないかもしれないが、非正規労働者全体の組合加入に対する潜在的ニーズの高さを表わしたものであると考えても差し支え無いだろう。
又、近年、全国では様々な合同労働組合が立ち上げられている状況をみても、非正規労働者は組合の力を求めていると考えられる。つまり、連合・企業労組も非正規労働者の処遇改善の必要は痛感している。そして当事者たる非正規労働者も組合に対する救済、支援を切望している。双方の思惑は一致しているのである。しかし組織化を阻んでいるものが、組合員資格という問題だと指摘できよう。
5.提言 ~非正規労働者の貧困問題克服に向けて~
時代の被害者とでも言うべき非正規労働者の置かれた惨状は、同じ労働者として看過することができない問題である。他方、言うまでも無く、今日の正規労働者の置かれている状況も厳しいものがある。長時間労働、不払い残業、賃金カット等など、企業労組を中心として取り組むべき課題が山積している。
だがこれまで見てきたように、非正規労働者の貧困問題は、国家システムの根幹を揺るがす問題であり、それは回りまわって、正規労働者にも多大な影響を及ぼす問題なのである。正規労働者は、この問題を近視眼的に捉えず、大局的見地に立ち、非正規労働者との連帯を強めるべきだと思う。労働者は結束、連帯を以ってのみ強い運動が展開できる。双方は反目すべき対象ではない筈である。
その為には、非正規労働者の組織化は喫緊の課題である。現在、企業労組はその組合加入資格という問題で、非正規労働者の組織化が困難な状況にあるのだとすれば、まずは連合の非正規労働センターへの加入を一層促進すべきであろう。そしてその営みと並行し、非正規労働者がどうすれば企業労組へ加入できるのか、組織の変革をも早急に検討すべきである。時代の変化に応え得る組織の在り方を、今こそ考究すべきであると考える。
最後に付言するならば、嘗ては学校を卒業し、正社員として就職をし、仮にそこで挫けることがあったとしても、再び正社員としての再就職が可能であり、裕福とは言わないまでも、最低限の生活をすることはできた。しかし今は、正社員として雇用されなければ、又、一旦正社員からこぼれ落ちてしまえば、非正規労働者として渡り歩くことになる。そして非正規労働者は懸命に働いても、その最低限の、人間的な生活すらも営めないのである。これはあまりに理不尽であり、安心社会とは程遠い現実ではないか。明るい未来など思い描ける筈もないではないか。今こそ労働者は連帯、結束し、現状を打破しなければならない。その為には、すべての労働者が傍観者であってはならない。私はその改革のリーダーシップを担うものが労働組合であり、その力を信じて已まない。
(※2):丸山俊『フリーター亡国論』(ダイヤモンド社、2004年、109頁)
(※3):日本経済新聞2013年6月24日版では、25歳から29歳までの国民年金納付率は46.79%と著されている。
(※4):前掲連合ホームページ、2003年1月31日、草野連合事務局長による「事務局長談話」に記載。
(※5):厚生労働省ホームページ(http://www.mhlw.go.jp/)、「平成24年度地域別最低賃金改定状況」に記載。
(※6):同上ホームページ、2012年4月26日開催、第1回社会保障審議会生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会に於ける資料(3-2)「生活保護制度の状況等について」に記載。
(※7):同上ホームページ、「平成22年労働組合活動実態調査結果の概況」に記載。
(※8):同上ホームページ、「平成24年労働組合基礎調査の概況」に記載。