「労働組合が取り組むキャリアサポートへの考察」原 要次郎(UIゼンセン同盟・日東紡績労働組合・組合長)
なぜ労働組合がキャリアサポートに取り組むのか筆者が労働組合の専従役員になったのは1988年10月、バブル景気が過熱し始めた時期であった。その後世の中が好景気に沸いたのもつかの間、1990年を境に株や土地の値下がりが始まり10年以上にわたる平成不況の時代に突入した。 われわれが所属する紡績産業の分野は不況と円高の進行によって製造部門の海外移転と海外製品の集中豪雨的な国内流入が起こり、業界全体が急速に収縮することになった。弊労組においても90年代の10年間に5つの紡績工場が閉鎖または繊維以外の事業への転換という合理化に直面することになった。 事業が行き詰まり工場閉鎖が提案されるたびに、当該工場の労組支部長は「このようなことを二度と繰り返してはならない。」と悲痛な思いを経営者の前で訴えたが、国際的な競争力を失なった産業が国内で生き延びることのハードルはきわめて高い。一つ一つ工場は閉鎖され、そのたびに多くの組合員が職場を去ることになった。合理化が起きれば労働組合は会社と交渉して他の事業所に雇用の場を準備し、退職条件の整備も行うなど組合員の生活を守ることに力を尽くしたが、組合員が希望する「今生活する場所での雇用と労働条件の保障」は近隣に転勤可能な事業所がある場合を除き殆どの場合実現できなかった。 他分野の事業、受け皿事業への転換も試みられたが、一つの工場を除いて事業として自立するまでに至らず、くりかえして失望を味わうことになった。 しかし時には幸運なケースもある。紡績事業ではないが、ある工場において収益の悪化から将来的には事業の縮小、希望退職も視野に入れた事業再構築の場面に立ち会ったことがある。その時に支部の労組役員も含めて現場の第一線で働く係長さんたちが一泊二日の合宿で搾り出した解決策は「俺たちも含めて、みんなやることをやってない。」「自分たちでできることをトットとやろう。」であった。幸いその合宿以降、労使協力しての懸命な努力の甲斐あって2年後に工場は立ち直り、雇用の場は確保された。 このような体験を通してつくづく感じたことは 1)事業が正常な形で継続できない限り、労働組合本来の使命である「雇用と労働条件の保障」も所詮は建前だけの話になってしまう。 2)事業がひとたび競争力を失ってしまえば、労働組合が会社との間でいかに協議を重ねても、雇用と労働条件を維持して生き延びさせることはほぼ不可能である。 3)結局雇用と労働条件を安定させたければ、今の事業を強くし成長・存続させることが最も身近で確実な方策となる。などのことである。 さらに、事業そのものが海外への移転や衰退も考えられる産業に属している場合、中期的に事業再編の可能性はかなり高い。そうなればそこで働く組合員の皆さんに対して企業内での職種転換や転勤、場合によっては企業外への転職という選択をお願いすることも覚悟せざるを得なかったのがここ数年の現実であった。 労働組合本来の使命が「雇用と労働条件の保障」であることから言えば、日本国内での事業の縮小・撤退、雇用の消滅などはあってはならないことである。 しかし、平成不況の期間に起きたこと、また近年のドッグイヤーといわれる産業構造変化のスピード化を考えると、最早「事業構造は変わらない」「変わってはならない」ことをベースとした労働運動にとどまることはできず、「事業構造が変化する中でどうやって組合員の安心できる生活や実りある人生を確保するか」が労働組合にとってどうしても回答を見つけ出さなければならない課題である。 このような経験の中から、組合員一人ひとりが変化する環境の中でどこに行っても雇用され生活できる力(エンプロイアビリティー)を身につけること、そしてそれを実現する道筋であるキャリア開発を進めるためにキャリアサポートという考え方を組合活動に組み込むことが私にとって避けては通れないテーマとなった。 失われた10年と日本的労働慣行の変化バブル崩壊以降の失われた10年間にかつての終身雇用、年功賃金、企業内組合を特徴とした日本的労働慣行は多くの部分で変質した。 10年の間に起きた3度の景気後退すなわち1991年のバブル崩壊、1997年の消費税引き上げ後の不況、2000年末のITバブル崩壊は日本企業に深刻なダメージを与えた。そしてその間に進んだ円高や1994年の人民元切り下げによって多くの産業が製造部門の海外移転を進めて国内産業に深刻な影響を与えた。さらに1998年以降のデフレ進行はいっそう各企業を苦しめ、果てしないコストダウン競争が続くことになった。 このような環境下で多くの企業は日本的労働慣行の維持を放棄し、人事制度に関するさまざまな施策を推し進めた。90年代中ごろから成果主義、総額人件費管理の声が強まり、一時金、賃金水準の引き下げなどを実施し、2000年には会計制度の変更によって退職給付債務の問題が起こり退職金、企業年金制度の改定などが進められた。 1995年に日経連が『新時代の「日本的経営」』を発表したことが契機となって、それ以降多くの企業が、パート社員、派遣社員等の非正規雇用を積極的に活用して正社員数と人件費の削減に取り組んだ。各企業は人事管理の方針を一変させ、「終身雇用を重視する」企業の割合は、1993年の32%から1999年の10%へと激減した。 1997年以降は大企業の倒産やリストラなどによって大量の失業者が発生し、フリーターの増加や自殺者の増加など深刻な社会問題となった。この時期、日経連は1999年に「エンプロイアビリティ開発」について提言を行い、『「大企業ならつぶれる心配はない」とか「いったん企業に勤めれば定年まで雇用は保障される」といった状況ではないことが現実のものとなる中で、企業の「内」でも「外」でも発揮できるフレキシブルなエンプロイアビリティ(雇用されうる能力)を主体的に(従業員自律・会社支援で)身につけること』を提唱した。2001年に発足した小泉内閣は金融機関の不良債権処理を本格的に推進し、これに伴って大規模な企業倒産と大量の失業者発生が予想された。 これらの状況はマスコミ等でも数多く取り上げられ、すでに企業で働いている人たちにとっても、これから企業社会に参加しようとする若年層にとっても、「今までのように会社に頼りきったキャリア形成では会社は一人ひとりの人生を支えてくれない。どうすればよりよい人生をおくれるのか?」言い替えれば「自らのキャリアをどうやって構築してゆくのか?」という課題や不安を与えることになった。ここからも労働組合が組合員のキャリア形成をサポートする必要性が生まれた。労働組合がキャリアやエンプロイアビリティを議論することの危うさしかし、労働組合がキャリアやエンプロイアビリティを議論することにはある種の危うさが伴う。 一つ目は、キャリア=転職、エンプロイアビリティ=資格取得、スキル習得という誤解が広く存在することである。これらの点は就職援助会社、研修会社がそれぞれのビジネスのためにある程度誇張して言っている面があり、転職がキャリア形成の一部分であることや、資格取得、スキル習得がエンプロイアビリティの一部であることは間違いないが、決して本質的な部分ではないことを指摘しておきたい。労働組合がキャリア開発やエンプロイアビリティの強化に取り組むことは、職場から人がどんどん抜けて行くことを目指すものではない。 二つ目は、キャリア論はまだ理論として確定されたものではなく、時代時代の状況変化に対応してさまざまな仮説が提案されている段階と考えられる。したがって特定の理論や知識が絶対に正解であるとは考えられないし、個人の人間性と切り離すことができないキャリア本来の性質からいって一つの理論が万人に当てはまるものでもない。理論の適用にあたっても時には微妙なバランス感覚が求められる。キャリア開発を考えるに際してこれらの限界があることを理解しておく必要がある。 三つ目は、キャリア開発に関係する施策や考え方のいくつかが企業のリストラや雇用の流動化と関連している点である。アメリカでは80年代末から90年代初頭に企業の大規模なリストラが行われ、その時期に終身雇用の保障を放棄する代わりに、企業が、解雇される従業員が他の企業に行っても容易に再就職できるようにエンプロイアビリティ(雇用されうる力)の強化を提唱し企業内で働く人に安心感を与えることを目指したといわれている。キャリア自律を支援するプログラム(Career Self-Reliance:CSR)も同様の背景で90年代中ごろに提案された。余談ながら「ワークライフバランス」という考え方もほぼ同時期に、私生活に関するサービスを強化することで従業員に安心して働いてもらい生産性を高めることを目的として、アメリカにおいて導入された人事施策である。日本においても日経連の言う「エンプロイアビリティ」は終身雇用の放棄、従業員に対する自己責任の要請が一体となった形で提言されている。 キャリア論は必ずしも転職や雇用の流動化に直結するものではないが、重なる面もあることは間違いない。注意して取り扱わないと、組合員にあらぬ不安を与えたり、企業が従業員を解雇する際の根拠として都合よく利用されてしまう危険性を含んでいることを忘れてはならない。 労働組合が取り組むキャリアサポート上記のような問題があるとしても、社会的趨勢として一つの企業の中で定年まで勤め上げることが期待しにくくなった以上、一人ひとりの主体的なキャリア開発が必要となったことは明らかである。そして労働組合もまた働く人の「雇用と労働条件の保障」や「働きがい、生きがいの創造」に深く影響するこの問題を避けては通れない。 キャリア開発の方法についてはアメリカを中心に多くの理論が提唱されているが、筆者が今注目しているのは、大山が提案している「キャリアコンピタンシー」という概念である。大山によればキャリアコンピタンシーとは「キャリア開発に必要な能力、個人がキャリア開発を行う際に必要な考え方や行動特性」と定義されており、キャリアとは「職業から人生、生き方の表現」まで含むもの、さらに「キャリア開発の究極の目的は個人の福祉の向上であり」「個人の福祉の向上がひいては企業、社会の向上につながる」としている。 キャリアコンピタンシー(コンピテンシー)については、小杉、高橋、大久保らもその重要性を提案しているが、そこではキャリアコンピタンシーは仕事で要求される専門的な知識やスキル等の専門性を支える土台、あるいは専門性とセットになって高い業績を実現する考え方、行動特性と説明されている。また共通して強調している点は、専門的な知識やスキルは環境の変化によって陳腐化しやすいが、キャリアコンピタンシーは環境の変化によっても陳腐化することなく、生涯にわたってキャリア開発に役立つ基礎的なものという点である。 キャリアコンピタンシーと似た考え方に経済産業省がとりまとめを進めている「社会人基礎力」や厚生労働省が提唱する「若年者就職基礎能力」がある。 大山の報告によれば、キャリアコンピタンシーは抽象的に表現すれば「人間力、人間的魅力」とも言い替えることができ、全体像として下表の内容を含んでいる。さらに表中の16の項目についてそれぞれ5つのチェックポイントが設定されている。 またキャリアコンピタンシーの開発は個人の行動変容が目標になるが、そのためには直接「行動」だけを促すのでなく、個人の感情面、思考面にも働きかけることが大切であるとし「行動、思考、感情へのアプローチ」のポイントを下表のように整理している。
出所)大山雅嗣(2006)「キャリア開発支援の展開~キャリア・コンサルティング序論~」
出所)大山雅嗣(2006)「キャリア開発支援の展開~キャリア・コンサルティング序論~」 前表に整理されたキャリアコンピタンシーの中心部分である「対自己能力」「対人間関係能力」「対環境(課題)能力」はこれまでも企業や労働組合等さまざまな組織の中で働く能力として重視されており、色々な形で研修や能力の蓄積も行われてきた。 これらを考えると、キャリアコンピタンシーは企業や組織の中で個人が能力を発揮するために従来から必要とされてきたものとかなりの部分が共通しており、今後は転職の場合も含め、個人がよりよく生きるために必要な考え方、行動特性であるという視点で内容を整理し、より多くの人が身につけるべきものではないだろうか。 結論として、多くの組合員が共通する基盤としてのキャリアコンピタンシーを身につけることを労働組合が積極的にサポートし、それに各人の努力によって固有の専門性を付け加えることがエンプロイアビリティの強化につながるのだと考える。 労働組合のキャリアサポート活動に対するハードル労働組合がキャリア開発に取り組む場合、「働くこと」に対する考え方が一つの問題になると予想される。梅沢によれば「働くこと」は労働(labor)と仕事(work)に区分でき、労働とは、ただ何かをなすという人間の行動(心身のエネルギーの消費)であり、時に「いやいやながらやむをえずする活動」である。これに対して仕事とは、何らかの目的に向かってなされ、その達成を目指す意識的、意図的な人間的行為である。 キャリア開発、キャリアコンピタンシーでは「自分にとって働くこと」の意味や意義を理解すること、「周囲から期待されている自分の役割」を受容することを重視しており、働くことは仕事(work)ととらえている。しかし労働組合は従来から働くことは企業の指示による労働(labor)であるとする立場をとり「労働の労苦に対する対価を得る」という立場で要求や闘争を組み立てることが多かった。このことから労働組合がキャリア問題に取り組む場合はかなり基本的な部分で思想の整理が必要になると考えられる。 労働組合がキャリア開発に取り組むとしても、多くの企業では実際の職場の意識がそれに対応できてないことも考えられる。 個々人がキャリアを考える場合、現在の仕事と将来の姿の間にギャップが生まれる可能性がある。企業が「キャリア自律」を唱えていても、実際の職場では「現在の仕事の成果」のみが求められる場合が普通であろう。将来とはまったく関係のない業務に従事し、日々の結果のみが問題とされる職場風土ではキャリア意識は育たない。また、キャリア自律のための自己啓発に取り組むにしても、「今の仕事に関係ないことはするな」という考え方で否定されてしまう可能性すらある。将来のキャリア形成にもっとも無理のない姿は、現在の仕事の中に将来の仕事の要素を取り入れ徐々にその領域を広げることだといわれる。職場でそのような裁量やサポートを得ることが出来ず、オフタイムさえも自由に使えないとすればキャリア形成への取り組みはおのずから難しいものになる。 おわりに・少し視点を変えて本提言ではすでに企業に在籍し組合員である人を想定して議論を進めた。人によってはキャリア論など余計なお世話だと思われるかもしれない。しかしキャリア開発、キャリアコンピタンシーの強化などについて聞いたり意識することができる人たちは現在の社会情勢の中では恵まれた層に属している。 90年代半ば以降の約10年間、新卒採用の制限によってフリーターと呼ばれる非正規雇用者が増加した。これらの人たちの7割以上が正規雇用を希望しているが、新卒時に正規採用されなかったことでキャリアコンピタンシーが身につかず、したがって正規雇用への道がいっそう狭くなるという悪循環に陥っている。そのまま生涯をすごす可能性さえ指摘されており、ある年代の就職時期にたまたま経済環境が悪かったために限られた年代に多くの就職困難者が存在し続けることの問題が指摘されている。 お隣の中国では「文化大革命」の時期に大量の青年が「下放」によって農村での労働を強制され、学齢期に学歴やエンプロイアビリティを身につけるチャンスを失った。その結果下放された青年たちは今に至るまで恵まれた地位を得ることが出来ず、40代であっても失業者や退職者が大量に存在し、中国社会を不安定にする社会的不満を抱える集団となっている。このようなことを日本で起こしてはならない。 企業や経営者は若者たちにキャリア自律を求めるだけでなく、社会の公器としてより多くの人たちに働く機会とキャリアコンピタンシーを身につける機会を生み出す責務がある。「価値観の多様化による雇用形態の多様化」「キャリア自律」という美しい言葉が、非正規雇用の大量導入によるコスト優先の経営を正当化し、社会の公器を預かる経営者の良心を麻痺させているとすれば、速やかに目を覚ますべきである。そして連合には社会的組織として経営者にそのことを繰り返し、強くアピールすべき責務があると考える。 参考文献 1)高橋俊介(2000) 『キャリアショック』東洋経済新報社 2)P.J.スックチャ(2002) 『会社人間が会社をつぶす』朝日新聞社 3)大山雅嗣(2006) 「キャリア開発支援の展開~キャリアコンサルティング序論~」 『専修大学商学研究所報』38(1) 4)小杉俊哉(2002) 『キャリア・コンピタンシー』日本能率協会マネジメントC 5)高橋俊介(2003) 『キャリア論』東洋経済新報社 6)大久保幸夫(2004) 『仕事のための12の基礎力』日経BP社 7)梅沢正 「論考キャリア学習12講」p30 8) 孔健(2006) 『日本との戦争は避けられない』幻冬社 |