私の提言 連合論文募集

第3回入賞論文集
優秀賞

単組執行委員と一体の活動を

森 俊介(電機連合・パイオニアグループ労連・中央執行委員長)

連合にマスメディア機能を

 日本におけるより良い社会、心の通う暖かい社会をつくる上でナショナルセンターである連合の役割や連合への期待が大きいのはいまさら言うまでもないでしょう。その役割を果たすために連合ができることとして、マスメディアの役割を果たすことがあるのではないかと考えています。

 テレビ、新聞をはじめとする今のマスメディアは凶悪事件やゴシップ、芸能ニュース、などに偏りすぎている嫌いがあります。またどうしても中央中心の報道内容、構成になりがちです。私などは東京で働き、東京で寝食の生活を営み、全国版の新聞を読み、在京キー局の番組を見て、メジャーな雑誌を眺める生活を送っていると、何か世の中が邪悪なものに思えてくるときがあるほど、荒廃した社会を映し出したニュースが多く、取り扱いもそれを抑制するというよりもむしろ助長しているものが多いのが気になります。

 地方の心温まる人と人のふれあいやコミュニティの話題、地方ならではの都会の真似をしない街づくりの事例、地方の芸術、文化はもっと取り上げられても良いと思いますし、ひとつの題材を深く掘り下げた番組制作も考える必要があるのではないでしょうか。そういう情報が市民に伝わり理解されるようになれば、世の中そんなに捨てたものではない、まだまだ日本には良いものがたくさんあるという風に希望が持てるようになるのではないでしょうか。現代のマスメディアの影響力、洗脳力はそれほどに甚大です。

 私が望むのはいわば、「善良で純粋な人、市民の目線で地球を、私たちの日本を、私たちの町を、明るい希望の持てるようにしていこう」というテレビチャンネルです。連合独自では財政的に困難かもしれませんが、そこは知恵の絞りどころではないでしょうか。連合制作の番組を持つ、というのも一案です。先ごろ連合は文化放送のCMを中止したとのことですが、それはそれとしても、むしろメディアの力をうまく利用して堂々と主義主張を明確にすべきではないでしょうか。

感動がなければ人は動かない

 崇高な理念や高い総論的な目標には賛同し、共感できるのが執行委員であり、人間です。ですから、連合にはもっと私たち単組の執行委員を仲間として活用してほしいのです。しかし、連合は、実際には単組の執行委員に対し本当に仲間だと考えているでしょうか、上部団体と傘下組織、仲間同胞という建前はあっても、どこか遠慮があるのではないでしょうか。これは連合のみならず産業別組織も一緒かもしれません。つまり外様の感覚なのです。

 したがって、傘下組織に対しては、大義名分の通る要請はできますが、無理難題に近い要請は普段からの心合わせが出来ていないので協力を得る事が難しくなってしまうのです。なにか血が通っていない気がしますし、クールでどうしてもやっていこうという熱意や心が感じられない。たとえ熱っぽく主張してもそれは演説という演壇上だけのパフォーマンスに映ってしまい、日常の連合活動とのつながりを感じられないのです。単組のほうも上部団体からの要請を粛々と受ける従順さや律儀さは備えていますが、連合運動についての問題意識や主体性に欠けています。連合傘下の組合ではあるけれど、一般的に執行委員レベルでも連合運動に対する参画意識や主体性が薄いですし、どこか事務的になったり動員されてやらされ感の強い意識になっている。

 何年か前に連合の主張をテレビCMに乗せる作戦を行った際に連合カンパが決定されましたが、上記のような普段からの心合わせができていないため、単に上部団体から上意下達の一方的な指示命令に見えましたし、わたしたち単組では結局組合員一人一人の意思や心のこもっていないただ組合組織からの分担金の拠出に近い見え方がしていたのです。事実一人一人に理解を求めるカンパ活動は行いませんでした。あのカンパの発想はまさに連合組合員を巻き込んでムーブメントを起こそうという悪くない発想だったと思いますが、メッセージを受けた方がよしやろう、と言う気持ちにならなかったのです。気持ちにならない、気持ちにさせない、このことは労働運動において決定的な弱点だと思います。

 また、数年前にアクションルート21と題して当時の連合会長が各産別や地域を回り懇談会を精力的にこなしておられたのを記憶していますが、私が情報を拾っている限りにおいて徹底的に議論されたという印象は薄いのです。どこか説得力に欠け、情熱が伝わって共感を生むところまで至っていないのです。また議論というよりもやや一方的な説明に近かったのです。そこを何とかしなければ連合運動の高まりは可能性が見えてきません。必要なのは、連合リーダーの人を感動させる熱意と行動です。同じ思いで団結できる連合としての組合員を含む市民全体へのプロパガンダが必要なのです。いまは、一緒にやろうよ、よしわかった、という共感を生む作業、説得がきれいすぎるというのか、事務的すぎるというのか、そういう気がします。メールや文書での通達と熱意のこもった説得とは全く異質のものであると思います。

 連合傘下の組合執行委員を仮に1万人としましょう。熱意のこもった説得、共感活動ができれば、1万人へのプロパガンダは可能になるのです。その努力をおろそかにしてはいけません。800万人の組織をつくり、そこに組織のリーダーを置いているというのには重大な意味があります。リーダーはまとめ役ではない、指導者であってこそ大組織のリーダーなのです。

 私はこの夏の高校野球選手権を見ていてすばらしいなと感服したことがありました。延長再試合の決勝戦も見事でしたが、私が最も感心したのは沖縄代表八重山商工の監督の言葉です。ピンチのときのベンチから伝令を出すのですが、ときどき「バカヤロー」「死ね」という監督メッセージを出すのだそうです。その言葉で選手が勇気付けられ冷静にバッターに立ち向かえるのという話を聞いて、言葉を超えた監督と選手の互いの意思疎通力とその意思疎通力を培った監督の選手に対する信頼感や人としての魅力を強く感じました。そして「勝っていても負けていても人間野球をしなさい」という言葉に、選手を人間として高めていこうとする教育者、指導者としての姿勢を感じました。もちろんそこには学生スポーツ特有の、寝食をともにし日常的に選手に関わるなかでなおかつ猛烈でひたむきな練習によってしか得られない選手との心の通じ合いや一体感があるのでしょう。しかし、スポーツの世界でなくても古代ローマの時代にも日本の戦国時代にもカリスマ性のあるリーダー、言い換えれば、人間的魅力を備え、説得力と意志持続力を持ったリーダーはいました。ですから連合運動でも1万人の執行委員を共感させることは可能なのだと思います。

組合執行委員は連合運動の担い手だ

 では、組合執行委員が連合リーダーの発信に感動し共感したとして、次にどうすればよいでしょうか。連合はこの1万人を同胞として共鳴させ、名実ともに連合と単組の執行委員が共に行動するのです。

 例えば「良い社会をつくるために何が必要か」とか「2大政党政治が何故必要か」というテーマについて5分間のスピーチを1万人全員に考えてもらうのです。一人ひとりの執行委員が日本の政治や良い社会について5分しゃべれるようにすること、これで連合傘下の組合執行委員が連合会長や連合事務局長の代弁者になるのですが、これが連合のメッセージを着実に広めていく方法として良いとわたしは思います。

 現実には、いつも日本の政治改革、理想の社会、一人一人の意識改革の必要性などを説くのは連合や産業別組合や単組のトップであることが多く、それ以外の執行委員は自分の仕事として捉えていません。私自身もそうでした。しかし、もともと連合の運動の責任をみんなで果たしていこうという行動や考え方には私たち執行委員はだれも反対しないはずです。このスピーチを執行委員自らが勉強し考え、日常的に職場の組合員に対して、あるいは組合の無い企業団体の人たちに対して、さらには非典型雇用労働者に対しても、自分自身がまずわかる自分の言葉、表現で繰り返しおこなうのです。そうすれば日本を動かすムーブメントの始まりを作ることができるのではないでしょうか。

 しかし、1万人が自分自身で説得力ある5分間スピーチを考えることは現状ではまず不可能でしょう。先述したように連合を身近な組織だと考えている人は多くありませんし、主体的な関わりをした経験を持っている人もおそらく少ないからです。また、5分間スピーチはわたしたち執行委員が普段訓練していない事でもあります。

 可能にするためにはまず当然ではありますが、なぜ1万人が5分間スピーチを考える必要があるのか、その大目的を1万人に共感させなければなりません。私たち1万人で世の中を変えていこう、という意味のメッセージを連合から直接対話形式で、もしくは連合の分身的役割を果そうという下部組織があれば、その分身が直接対話形式によって、発信し共感させるのです。

 「連合は世の中を良くする使命を持っている、みんな世の中を諦めきってはいないだろう?だからみんなが一念発起すれば世の中を変えられる」こういうメッセージで説得し共感させる努力が必要だと思います。

人を育てる このことこそ志を持った成人の使命

 30年40年先の社会を案じるなら人材を育てることがなによりも大切です。今の社会で成熟した大人にとって、何が次世代のためにできるのか、これからの成熟する若者や子どもを次代のリーダーとなる人物を育てることで次の世の中を良くしていくことにつなげるのがひとつの大きな役割です。わたしはこの荒廃したように感じる現代においても、大人が子供に与えられることはたくさんあると思っています。なぜなら日本の大人は腐りきってはいないし、まだ理想の社会や夢を捨てきるほど白けてはいないからです。ですから良い社会良い世の中良い町、ふるさとを語ることが出来ます。良い人間関係や人間に大切なものは何かを語ることができるのです。私たち組合リーダーであればなおのことそういう思いは強いので、いろいろと語れるのではないでしょうか。その人材を活かすのです。その活かし方は画一的でないほうがいいと思います。薩摩藩の郷中教育に習って先輩として経験や知識を伝え教え込んでいく、いわば連合課外学習を組合執行委員が世話役となって開催するのです。

 たとえば、中学生や高校生の職場見学と執行委員との懇談会のセット企画とか、ボランティア活動と懇談会のセット企画とか、夏休み職業体験塾とか、そういう企画を通じて理想の世の中やこれからの社会、自分たちの夢などについて大人であるわたしたちと子どもたちが一緒に話し合う場などがあれば、経験上多くの場合子どもたちは普段の姿が後ろ向きであったり、どこか暗かったりしても素直で明るい子ども本来の姿に戻ります。ですから、子どもたちに多くの経験やこれまでの人生で学んだ事を伝えることが出来ますし、大人も子どももそれぞれお互いに教えられることや気付きがあって意味深いのではないでしょうか。

 また、若い社会人を対象に執行委員が先輩役として育てるということも出来ると思います。連合傘下の組合員や組合の無い企業、団体の若い人を集めて、職場の悩み、困ったこと、怒りなどをグループミーティングで聞き合い話し合いながら気づかせていく事も可能ではないでしょうか。要するに「連合は若い組合員はもとより社会に出る前の青少年にかかわって彼らを育成していく手助けをする組織である」という風に定義づけて新しい活動に取り組むのです。きっと学校とも企業とも違う、特長ある育成、心温かい性善説に立った育成ができるのではないでしょうか。

仕事だけでは仕事は上達しない

 いま電機企業では技術開発をはじめとする専門的な事務技術職において特に過重労働現象がみられます。入社したてのころから10年以上もずっとウィークデーは深夜まで、休日出勤も頻繁にあるという事例が見られます。その過重労働の状況はいまさらいうまでもなく例えば過労死が増えている事例からもうかがえます。

 目の前の仕事しかしないでずっと仕事中心の生活を続けていたら、結果的に仕事も上達しないと思います。仕事周りのことができなければ仕事そのものも上達しないのです。たとえば他人とどうやればうまく連携してやっていけるか、他人はどうすれば動いてくれるか、というようなことは、多くの人を自分のプロジェクトでやる気にさせたり、協力してやってもらうときに必要なポイントですが、そういうマネジメント能力は、仕事場だけの経験では、なかなか必要性に気付いたり、体得したりすることはできません。人ととことん話し込んだり、あるいは仕事以外の例えばスポーツや自然体験やボランティア経験など集団的共同作業の体験から得る事が多いのです。そういう経験の中で、例えば人の気持ちが動かなければ人は行動に移らないということを学び、仕事でも同じようなことが言えるなあと感じてはじめて、じゃあ仕事でも活かそうと考えるのです。

 ところが、ひとりで黙々と仕事をしていたのではこのような能力は得られません。残業には会議のような共同の仕事もあるでしょうが、往々にして個人ワークが多いのが実状です。ですから、若年層のころには特に仕事以外のことをどんどんやって社会性を養い、精神的にも教養的にも人間的にも早く成熟することが大切なのです。仕事だけでない幅広い経験をして人間的に全人格的に成長することが、その後の本人にとっての伸長する土台を作るのだと思いますし、指導者、マネージャーの立場になったときに部下となる何人もの社員が育てられるのです。経験や習熟で人間の仕事のレベルや質は変わっていきます。そのときに一見役に立ちそうに無い仕事以外の経験が活かされる、ですから繰り返しますが目先の仕事だけしてたのでは仕事は上達しないのです。

 人は人との接点をもち人と関わっていくなかで成長するものです。そういう意味で連合ができることを考えたとき、特に社会人になって間もない若年層組合員や、組合の無い企業の若い人たちを対象に、集団的共同作業を通じた体験、人脈づくりの場を提供することがあるのではないでしょうか。いまどきの若者がその企画に興味を持つかどうかは、未知数のところがありますが、しかし、やってみなければわかりません。事実、私の知っている組合には、富士山のゴミ拾いのツアーを企画したところ、有料であるにもかかわらず多くの人数を集めた組合もあります。その企画は環境保護への関心の高さを裏付けたのだと思いますが、たとえば環境ボランティア活動にグループミーティングなどを加えて人的ネットワークづくりの場を提供するとか、異業種交流会を職場の近くで定時後開催するとか、子どもたちのキャンプのトレーナーを募集し、チームで子どものキャンプ生活をサポートする経験の場を提供するとか、いろいろな気付きを得、経験をする場を若者に提供することが可能だと思います。

 同時に、一流の日本人、人間味のある成熟した大人の日本人を育成するためには、いくら経済大国であっても仕事漬けになっては逆効果であり、視野の広い幅の広い人間形成につながらないことは論議を待たないということを経営者団体や、政府に対してはっきり発信すべきだと思います。たとえいくら市場原理主義者であっても、最期はだれしも人間としてどうだったか、人生はどうだったか、と考えるのではないでしょうか。政府や経営者や市民に対し、連合はそのことを強く訴えて、だから暖かい人間の心の通う社会をつくろう、とわたしたちとともに声高に叫んでほしいと考えています。

最後に

 繰り返しになりますが、日本をよくするためには人の心を大切にした温かみを持った人間で構成する影響力のある集団が必要です。それが連合の役割であり責任です。その責任を果すために、いま連合と傘下組合が今までの細いパイプで繋がっている状態でなく、傘下組合の執行委員が連合の役員と同じ場所に座って話し合うことが必要なのです。一緒にやる、一体となって、日本を人間の持つ豊かな可能性という角度から考える、行動するという意志が大切なのではないでしょうか。リーダーにその意志を感じれば、多くの人がついていくはずです。


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