同志社大学「連合寄付講座」

2014年度「働くということ-現代の労働組合」

第4回(5/9

非正規雇用労働の処遇改善に向けた取り組み

ゲストスピーカー:岡本 賢治 帝国ホテル労働組合 中央執行委員長

はじめに

 帝国ホテル労働組合で委員長を務めております岡本と申します。これから私たちが働いている帝国ホテル労働組合の非正規雇用労働について、帝国ホテルの様子と非正規雇用の実態が1985年ごろから2014年現在までの約30年間で、どのように状況が変わっていったのか、そこに労働組合がどのように関わってきたのかをお話をさせて頂きたいと思います。
 今日はあえて反省も含めて、労働組合の役員として、お話します。

1.非正規雇用の増加は労働組合の要求から

 私が大学を卒業した1980年代半ば、日本の全労働者に占める非正規雇用労働者の割合は16%強でした。そのため私自身は正社員以外で働くことなど全く想像しなくて済んだ世代でした。そして、1985年の帝国ホテル全従業員に占める非正規雇用の割合は約25%でした。当時の日本の状況からすると、非正規雇用労働者の割合が高かったと思いますが、ホテル業界としては、比較的低いものでした。
 帝国ホテルで非正規雇用が増えるきっかけは、実は1990年に労働組合が行った労働時間短縮の要求でした。私が入社当時の帝国ホテルの休みは1週間おきに週休二日になっていました。加えて、祝祭日と夏休み、正月休みがあり、1年間で計99日の休みがありました。こうした中で、労働組合はさらに毎週2日間休めるように年間126日の休みを会社に要求しました。これを完全週休二日と私たちは呼んでいました。この組合の要求に対して会社は「休みを増やしても良いが、3つ条件がある」と言ってきました。1つ目は、営業時間を短くしたり、レストランを小さくしたりするのは駄目だということ。それから2つ目は出勤者が少なくなってもサービスを低下させないこと。3つ目は、人を増やすとしても社員は増やさずに、社員以外の雇用を増やして対応することでした。この時、労働組合は自分たちの要求を通すために、この3つの条件を受け入れました。そうして会社は、パートタイマーや、社員の6割の賃金・労働時間の契約社員で「時間当たりの単価が社員と同じ契約社員」を増やしていきました。いずれにしても、社員の休みを増やすために、労働組合が不安定な非正規労働者を作り出したことになり、このため非正規雇用が増えてしまったわけです。今から考えると、労働組合は何をやっていたのかと思います。

2.課題を抱える新たなエリア社員制度

 会社は1990年代のバブル期に大阪でホテルを開業する計画を立てました。しかしバブル経済が崩壊したことから、大阪のホテル開業に合わせて女性をターゲットにエリア社員制度とよばれる契約社員制度を導入したいと労働組合に提案をしてきました。
 この契約社員制度は、1年有期雇用契約、定年ありで60歳まで働くことが可能、年収は同年齢の正社員の9割、昇給は30歳以降なしという制度でした。
 労働組合は、当然、同一労働同一賃金、つまり同じ仕事をしているのに違う賃金は駄目だということで反対しました。会社は、大阪の帝国ホテルは建物を借りて運営することなど、東京との違いを理由にエリア社員制度の導入を粘り強く主張してきました。会社の殺し文句は、「エリア社員を募集しても応募が来なければ仕方ないが、応募して来たら社員とエリア社員との違いを本人も納得しているのだから問題ない」というものでした。労働組合も徐々に「仕方ない」という流れになり、このエリア社員制度の導入を認めてしまいました。ただ、労働組合は「将来、必ず様々な問題が起こるだろう」と考えていました。そのため労働組合は全エリア社員を組合員にすることを条件に出し、会社も認め、エリア社員制度がスタートしました。
 その後、当社にエリア社員がどんどん増えていき、職場で問題が起こりはじめました。エリア社員については、60歳まで働けますと言っても、実際のところ3年から5年働いてくれれば良いと会社は思っていました。これが見事にその通りになりました。3年から5年経つと皆が退社していくのです。一方で、職場ではこのままでは帝国ホテルそのものがおかしくなるという危機感が出てきました。
 また、当時、エリア社員制度には社員になるルートはありませんでした。ただ2002年に例外的に社員が辞めていく職場で、その穴埋めとして、エリア社員の中から中途採用で社員にしたことがありました。そうしたことから管理職の中には、エリア社員に対し「頑張ったら私が社員にしてやる。頑張れ。社員になれるから。」と言う無責任にも心無い発言をする人がいました。しかし、現実には制度も実績もありませんので、組合員であるエリア社員は「委員長、私は一体いつになったら正社員になれるのでしょうか」と事務所に聞きに来るわけです。
 当然、労働組合として、「社員登用の制度を作ろうか」、という議論が起こります。しかし、その中でも「寝た子を起こすようなことをするな」といった意見が出たり、職場からも「エリア社員は、元々、そのことを分かっていて入っているのだから社員の道を開く必要はない」という話が出てきます。仲間内でもそうした声が出てきたことは大変残念なことだと思います。

3.社員登用制度づくりのきっかけ

 私が東京で書記長をやっていた2004年に、東京のバーラウンジの職場から男性のエリア社員が職場の組合役員として選出されました。彼は20歳そこそこでしたが、大変前向きで、「将来、チーフバーテンダーになりたい」と話していました。チーフバーテンダーは、バーのカウンターを仕切る社内資格です。しかし、当時、帝国ホテルでは、どんなにやる気があっても、エリア社員でチーフバーテンダーになる道は断たれていました。また、彼は「30歳で賃金アップが止まってしまうので、結婚もできない」と訴えていました。「せめて、社員への登用制度ぐらいは作ってほしい」と彼は切々と会議で訴えました。労働組合の正式な会議での発言を単なる愚痴で終わらせることはできません。執行部も「これは何とかしないといけない」という機運が生まれました。
 こうした中でも2004年前後ではエリア社員がどんどん辞めていきました。しかし会社からは、エリア社員は社員ほど人件費がかからないため、「エリア社員をさらに増やしたい」という提案がありました。さすがに労働組合も「これは放っておくわけにはいかない。エリア社員制度をしっかりと考えよう」となり、まずエリア社員の人だけを集めて意見を聞きました。エリア社員と社員を一緒に集めると、エリア社員は社員の顔色を見ますし、逆に社員は「エリア社員が何を言うのだ」となるからです。実際、様々な意見が出ました。将来に対する不安や「毎年契約を結ばないといけないが本当に来年は結んでくれるのか?」といった不安です。
 実際、「自分は帝国ホテルでずっと働きたい」という多くの声が出ました。また、「今、私は20歳だからまだまだ元気だが、30歳ぐらいまでエリア社員で働いて、結局社員になれなかったというのでは困る。30歳では他の会社に行くこともできない」という声も出ました。
 労働組合としてはこうした意見を基にして、会社に定期的に社員になれる制度をつくる要求をしました。具体的な要求内容は、「社員登用の受験ができるのは、入社して3年目まで、受験機会はその内2回まで」というものでした。しかし、労働組合が受験回数等を制限することに対して、組合員だけではなく会社からも、「そんなことで良いのか」という反発の声が出ました。
 ただ、「いつかは社員」という馬人参でずっと引っ張って、本人の将来を無駄にすることは、やはりおかしいと、この方針を貫きました。結果、2006年、入社後3年までに受験機会2回という社員登用制度がスタートしました。

4.社員化の組合方針を決定(2009年)

 2009年に会社から新たな人事制度案が示されました。そこには社員のことしか書かれていませんでした。エリア社員には一つも触れられていなかったのです。労働組合としては、「会社は本当にエリア社員のことを何も考えていない。全員を社員にしよう」となりました。そこで社員化の要求案を組み立て始めます。
 労働組合は一部の人間だけで方針を決めるという仕組みではありません。全員が「そうだ」とならないと前に進めない組織です。だから、社員化方針についても職場で議論し、職場の反応は大きく2つに分れました。エリア社員が多くいる職場では「わかっている。自分たちが少し我慢してでも、エリア社員を社員にしなければならない」という反応でした。逆に、エリア社員が全然いない職場では、「何で自分たちが我慢してまで、エリア社員を社員にしなければならないのか」という反応が出ました。職場において侃々諤々で議論をしました。
 労働組合は年に1回開く大会で方針を決めます。2009年の大会では、エリア社員を社員にするか・しないかを決めることにしていました。大会でも見事に賛成派と反対派に分かれました。2日間、議論した結果、最終的には社員にしていこうという組合方針が決まり、会社に要求しました。
 この要求に対して、当初、会社は「エリア社員制度はうまくいっている。もし、本当にエリア社員を社員にするのであれば、社員の賃金を下げないといけない。社員の賃金をどれだけ下げても良いかの議論になる」という話をしてきました。特に問題になったのが退職金です。当時、日本中で退職給付債務の積み立て不足という問題があって、将来に支払う退職金が足りない状況でした。帝国ホテルも正社員だけで相当な額が足りないという事態でした。これを何とかしないといけないという時期に、さらに退職金が支払われる対象者を500人増すという話でしたから、会社はとても話に乗れないと抵抗しました。この問題を解決しないことにはエリア社員と社員を完全に一本化することができないのです。そのため、退職金問題は私たちの前に大変大きく立ちはだかりました。

5.社員登用制度への5つの条件

 しかし、労働組合が問題提起したことにより、2010年に会社もその解決策として、5つの条件を示してきました。[1]エリア社員制度を新しい制度に変えて、有期契約ではない期間の定めのない雇用にする。[2]しかし、その人たちは退職金を支給しない制度とする。[3]30歳で頭打ちだった昇給年齢の上限を若干上げる。[4]新しい制度の適用者は管理職にはなれない。[5]代わりに社員への登用制度は拡充する。という条件でした。
 これを受けて労働組合ではどうするかと議論になりました。組合方針は正社員もエリア社員も1つにしようです。しかし退職金は支給されない。その制度で手を打つかどうかで揉めたのです。
 ただ、毎年、不安な契約更新をするという状態や、社員になる道もそれほど多くないという現状が一歩でも前に進むのだったら良いのではないか、役員としては一旦ここで手を打とうということで、また職場で議論してもらうことにしました。職場からは、特にエリア社員からは総スカンでした。「組合執行部は社員もエリア社員も一緒にすると言ったではないか」「退職金なしで折れるのか」と非常に反発を受けました。ただ中には、「そうは言っても、よくなるのだったら良いではないか」と言うエリア社員もいました。これも様々な議論をした上で、「期間の定めのない雇用にするのだったら、一旦よしとしよう。」ということで労使合意をしました。
 そして、「いつからそうするのか」と確認したところ、会社は「社員の賃金をどれくらい下げてくれるのか。様子見だ。」という回答でした。
 2011年度は、帝国ホテルがちょうど開業120年となる節目の年でした。労働組合は、こうした改正は何らかの節目の年にやらないとなかなかうまくいかないことを経験的に分かっていました。そのため、いつから実施するのかといった要求は春闘では本来あまりしないのですが、この春闘では2011年4月1日から全員を期間の定めのない雇用に切替えるよう要求しました。労使交渉では、「エリア社員がどんなに期待しているか」「家庭を持っているエリア社員がどんなに大変か」ということを訴えました。そして3月4日には「契約期間については今春闘で実施時期を判断する」という回答が出されました。労働組合は最終的に3月18日を回答指定日と設定していたので、そこで何とか良い回答を引き出すための作戦会議を開きました。それが2011年3月11日のことです。ちょうど開業120周年を記念する顧客招待パーティーの日でした。
 作戦会議を開いている真最中、地下2階の会議室が揺れ始めます。尋常じゃない揺れ方でした。その後は皆さんもご存知の通りだと思います。
 3月15日に団体交渉だけはやろうということで、団体交渉で労働組合は何としても4月1日から全エリア社員を期間の定めのない雇用にしろという要求をしました。しかし、東日本大震災でキャンセルが止まらず、どんどんお客様がいなくなるという状況になったため、会社は3月4日の状況とは全く変わってしまったと言いました。それに対して、労働組合は「先行きは大変不安だが、今、あなたたちの目の前には私たち従業員がいるじゃないか。エリア社員がいるじゃないか。このエリア社員の力をしっかり使って、この状況を乗り越えていこう」と訴えました。3月18日の回答指定日に、会社から「2011年4月1日から期間の定めのない雇用にする」という回答が出されました。そして、10%あった正社員との年収差も8.5%に縮めることとなりました。また30歳の上限だった昇給も31歳までにしようとなりました。エリア社員には家族手当がなかったのですが、家族手当も支払うとの回答が出されました。労働組合はそれで当然受けいれるわけです。
 3月31日に行われた120周年を迎える社長訓示はこんな言葉で締めくくられました。「このような危機的状況にあって、会社は敢えて新たに人件費を増やして雇用のリスクを負う選択を行った。それはエリア社員のモラール向上がそのリスクを補って余りあるほどのメリットとなると判断したからである。皆さんのさらなる活躍を期待している」。

6.本格的な制度整備

 2011年に制度が始まりましたが、東日本大震災の影響が大きく、それ以外の条件整備はなかなか進みませんでした。約1年間何もできなかったのです。しかし2012年から、人事制度の見直しとエリア社員制度の条件交渉が再開されました。2012年9月に、会社からエリア社員の新しい考え方が出されます。全部で8項目ありました。[1]名前をエリア社員から東京社員・大阪社員と変える。[2]賃金表を社員と同じにする。[3]別々だった評価制度を社員と一緒にする。[4]昇給の上限年齢を35歳にする。[5]社員との年収差を8.5%から5%にする。[6]住宅手当も社員と一緒に払う。[7]社員登用の受験回数制限をなくす。雇用期間の定めがないので何回でも受けても良い。[8]エリア社員の年収上限を150万円引き上げる。
 大変大幅なアップだったと思いますが、条件がありました。その分、正社員は下げるということでした。具体的には、当時の正社員の組合員の制度上の上限を200万円引き下げるという話でした。職場集会の意見はなかなか纏まりません。大変、揉めました。会社も言い過ぎたということで上限を100万円弱下げるのではどうかと、会社の方が折れてきました。これによって、エリア社員の昇給も35歳から45歳までとなり、そして年収上限も180万円上がりました。「よし。これで手を打とう」ということで執行部は職場で議論してもらうことしました。年末年始を挟んで、連日連夜、職場で会議を行います。執行部にからみれば、会社からの提案を上限200万円減から100万円弱の減少に押し戻しましたが、組合員からすると上限が落ちることには変わりません。そのため、これも様々な意見がでました。何とか年明け1月には職場会議で確認をとることができました。社員に対する年収ダウンは世間状況や企業状況からみて致し方ない。一方、エリア社員の条件が向上するのは歓迎しようという意見が出されて、全会一致で人事制度交渉を集約することが確認されて、団体交渉で返事をしました。
 2013年4月1日からエリア社員制度が無くなりました。全員、東京社員、大阪社員という呼称に変わって、また4月1日からエリア社員で入社する予定だった110人も東京社員、大阪社員として入社することになりました。大体、500人ぐらいのエリア社員の身分が変わりました。

おわりに

 今、私は50歳で大学生の息子と娘がいます。20年前、エリア社員制度を導入する時に、私は組合の役員として団体交渉の席に座っていました。私の正面向こう側には会社の役員たちが座っていて、その人たちは多分今の私と同じぐらいの年齢だったと思います。彼らにも当時、高校生や大学生の子どもたちがいたと思います。その人たちに「今あなたたちが私たちに提案をしている契約社員制度は、今まで当たり前だった正社員という身分をあなたたちの子どもの世代から奪う提案です。それで本当に良いのですか」と言ったのを覚えています。その時、会社の役員は「中小企業として、その経営者として、当たり前のことをやっているだけだ」と答えました。日本の多くの経営者が同じように自分たちの企業のことだけを考えて、この間、非正規雇用を増やしてきました。先ほど、反省を含めてお話をしたように、もちろん労働組合も積極的にではありませんが、非正規雇用を増やすことに結果として従ってきてしまったことは大いに反省すべきことだと思います。私たち帝国ホテル労働組合としては、自分たちで増やした非正規雇用ではありますが、反省をもって、これを何とか減らしていきたいという思いで、組合員全体で闘ってきました。私たちの運動は小さな運動ですが、労働組合の力と可能性を信じています。そして非正規労働者の状態を改善する闘いが大きな広がりをみせてくれることを信じています。私も労働界の一員として、こういう話をしたりしながら、何とかこの異常な状態を直していくために頑張っていきたいと思います。
 ご清聴ありがとうございました。

以 上

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