「働くということ」と労働組合
1.本日のテーマ
みなさんこんにちは。本日のテーマは「働くということはどういうことなのか」という内容です。例を挙げますと、昨年の3月11日に東日本大震災があり、福島の原発事故がありました。そして、東北地方が大変な状況になりました。今日の日本ではどのように復興していくかということが非常に大きな問題になっており、様々な議論が行われています。
そこで、一番大切なことは何か、ということを考えてみたいと思います。ここでは、昨年の7月に朝日新聞に掲載されていた福島県のある果物園の経営者の訴えをご紹介します。東日本大震災や福島の原発事故以降、新聞やテレビ等のメディアは、補償が一番大事だと繰り返し言っているわけです。しかし、果物園の経営者の方が言っていたのは、「補償ではなく、果物を売って自前で生きていきたい」ということなのです。勿論、補償は必要だと思います。しかし、この経営者が言っていることは、補償よりも自分で仕事をして、所得を得て自前で生活できることの方が重要だということです。義援金も大切ですが、雇用・就業機会をしっかりとつくることが重要であると感じます。
現在、東北地方は、福島県を中心に従来働いていた方々が失業し、復帰できずにいます。最大で600日まで雇用保険制度から失業給付金を受け取ることができますが、その後、雇用・就業機会が無く、失業状態になると、生活保護を受給するしかなくなります。同じお金を受け取るのであれば、働いて所得を得るのも生活保護で受け取るのも同じではないかと言う方がいるかもしれません。しかし、この違いははっきりとさせておかなければなりません。働いて所得を得るということが、あくまでも基本とされなければならないと、私は考えています。
2.ワークフェア
(1)全ての基本に「働くこと」を据える
「働くこと」を基本に、政策や物事を決定・運営していく考え方を「ワークフェア」という言葉で表現することがあります。私は、すべての政策や労働組合の活動方針の基礎に働くということ、つまり雇用・就業を置くということは実に適切だと思います。連合が「働くことを軸とする安心社会」を提言した背景にも、雇用・就業を軸にして物事を考えていこう、という基本的な考え方があります。
ただ、そう考えるためには、3つの前提条件があります。第一の条件は、「政府が雇用・就業機会と人びとの働く能力を保障すること」です。雇用・就業が大切だと言っても、その機会がなければなりません。やはり、政府が働く機会を保障していくということが第一の前提条件になると思います。ちなみに、政府が働く機会を保障するということは、なにも政府の直接雇用という意味ではありません。様々な政策を展開することによって、雇用機会を民間がつくり出すということがあっても良いと思います。2009年8月の総選挙で、民主党政権ができた後、民主党の看板政策になったものが「新しい公共」という考え方です。この新しい公共というものは、政府と民間が一緒になって様々な事業を行い、雇用を増やしていくという考え方です。率直に申し上げて、なかなか進んでいないというのが現状ですが、政府が雇用機会を増やすことが第一の前提条件であることは、間違いのないところだと思います。但し、この場合の雇用機会の内容は、何でも良いというわけではありません。ILO(国際労働機関)の言葉を使いますと、「ディーセントワーク」でなければなりません。ディーセントワークというのは、一言で言えば、「人間としての尊厳に値する仕事」という意味です。
第二の条件は、「労働能力が阻害されている人にも人間的生活を保障すること」です。様々な要因で働く能力が制限されている、あるいは全くないという状態になった場合でも、人間的な生活を保障することが必要です。
第三の条件は、「リスクに備えてソーシャル・セーフティネットが整備されていること」です。例えば、一生懸命働いてきても、失業してしまうということはリスクになります。こうしたリスクが生じた場合に、人間として働いていけるような制度がしっかりと整備されていなければなりません。これを、リスクに備えるソーシャル・セーフティネットと言います。
(2)多段階のソーシャル・セーフティネット
以下に示したものが、セーフティネットの考え方の概念図です。セーフティネットというと、一番下の段階、日本で言うと生活保護、国際的に言うと最低生活保障と言いますが、この段階のみを考える人が居ないわけでもありません。しかし、私は「多段階のセーフティネット」をつくっていくということが、大変重要だと考えています。
多段階のセーフティネットには、大きく分けて4つの段階があります。一番上の段階は、例えば、子どもができることは大変喜ばしいことですが、女性にとっては同時に仕事を失うリスクとなります。そこで、保育所が整備されているということは重要なセーフティネットです。二番目の段階は、社会保険です。例えば、病気や怪我をした場合に健康保険があります。今日の日本において、一番下の段階(生活保護)を含めて、この3つの段階については、ある程度は整備されている状況にあります。
しかし、三番目の段階に記載している「条件付き社会手当」については、本当は大切なセーフティネットなのですが、現在、基本的には存在しません。部分的という意味では、例えば「子ども手当」はその1つですが、私は必ずしも賛成ではありません。子ども手当よりも保育所をより充実させた方が良いのではないかと思っています。それから、昨年の10月から始まった「求職者支援制度」があります。これは、職業訓練を受けることを条件に、月10万円の手当を支給するもので、失業手当に近い制度です。
なお、この多段階のソーシャル・セーフティネットは、どの段階からも上へ矢印が出ています。その意図するところは、最終的に働くという状況にしっかりと戻れるようにするということです。そして、仕事に戻った人は、できるだけそこに留まれるようにしないといけません。こうしたセーフティネットを完備した上でワークフェアの考え方をとることが、労働組合の活動の中で求めていることであると、理解して頂きたいと思います。
概念図 多段階のソーシャル・セーフティネット
3.働くことの意味
(1)労働の社会的意義
次に、働くということについて、少し議論してみたいと思います。ここにいらっしゃる方々の大多数が、同志社大学を卒業して就職されると思います。そこで、就職される方に「何のために就職するのか」ということを聞いてみたいと思います。「お金のために就職をする」と答える方が、圧倒的に多いのではないでしょうか。別の答え、例えば「自分の能力を発揮するため」という答えを準備されている方もおられるかと思いますが、私は両方とも正しいと思います。しかし、この両方の答えに共通していることは、「自分のため」ということです。「自分」の中に、家族や恋人などが含まれているかもしれませんので、「自分たちのため」ということが言えるかもしれません。
しかし、私がみなさんに考えてもらいたいことは、働くということは、「自分のため」を超えて、社会的に繋がっているということです。人間社会で働くということは、社会的分業として労働が成り立っているということです。つまり、労働というものは、自分の労働が他者に役立ち、他者の労働が自分の暮らしに役立っており、労働を通じた人間と人間との繋がりがある、と考える必要があります。「自分のため」を超えた社会的意義というものが、労働にはあるということです。
(2)雇用を増やすことの意味:経済成長、社会保障との関連
一人でも多くの人が働くことは、国民全体の経済規模を示す国内総生産にとってプラスになると言って良いと思います。例えば、日本を考えてみましょう。1993年に日本は一人当たりGDPが、名目上で世界トップになりました。ところが、その後段々と低下していくわけです。現段階では、世界で18位にまで低下しています。特に、2000年代に入り、小泉内閣の時代に一人当たりGDPの順位がどんどん下がっていったということが、日本経済の停滞を端的に示しています。
この日本経済の停滞がなぜ起きたのかについて、経済学者たちが議論しておりますが、私は当たり前のことだと思っています。ここで、日本の就業率と、一人当たりGDPが一貫して高い北欧の就業率とを比較してみましょう。北欧の場合は、女性の就業率は男性のそれとほとんど変わりません。男性が約73%、女性が約70%で、その差は僅か3ポイント程度です。ところが、日本の場合、男性は約73%ですが、女性は約49%と、20ポイント以上もの差があるわけです。女性の就業率がこれだけ低ければ、働いている人が少ないので、一人当たりGDPが働いている人の比率の多い国々より低くなっていくことは、当たり前のことではないかと思います。要するに、日本経済が停滞している理由の一つは、就業率が低いということなのです。このことが、非常に大きく影響していると考える必要があると思います。
さてここで、みなさんに考えて頂きたいのですが、雇用が大切であると言う人の中に、雇用を増やすためには経済成長をはからなければならないと言う人がいます。つまり、経済成長が手段になって雇用が増大するという考え方です。しかし、私が言っているのは、雇用を増やすことが経済成長に繋がるということです。様々な活動や政策は、経済成長の結果として雇用が増えるのではなく、雇用を増やすことが、結果として経済成長につながるという考え方で進めなくてはいけません。雇用・就業を少しでも増やすことが、日本経済の発展に繋がっていくというふうに、考え方を逆転させなければいけないのではないでしょうか。
それから、現在、税と社会保障の一体改革ということが議論されています。これまでのところ、税と社会保障改革のうちの税の部分、つまり、負担をどうするかという議論が先行し、社会保障を今後どうしていくかということを、本気になって議論しているとは言い難い状況にあるのではないかと感じています。社会保障制度をしっかりと整備していくためには負担が必要であり、消費税を上げる必要もあるとは思いますが、果たしてそれだけで良いのでしょうか。OECDの文章には、「雇用・就業を増やすことが社会保障制度を維持する条件である」と明記されています。つまり、雇用・就業を増やせば、負担する人が多くなり、受け取る人が少なくなるわけですから、社会保障制度を維持することができる、こうした考え方に立ってみてみると、雇用を中心に据えることがいかに重要であるかが分かるかと思います。人間労働というものは、一人ひとりが生活のための賃金を得るということを超えて、人間と社会とが存立するための基本的な条件であることを強く認識する必要があると思います。
4.現実の労働
しかし、現実の労働には様々な苦痛が伴います。低賃金ということは、最も典型的な苦痛です。また、命令された仕事ばかりやらされて、自分に裁量権がないことも苦痛です。労働時間が長くて、子どもたちと遊ぶ時間を削られている状況もあります。さらに、危険な仕事ということもあります。最近、非常に多いのはストレスによる健康障害です。学生時代には、働くことには社会的意義があると教わったはずなのに、現実の労働の場面では、「自分の仕事には何の意味があるのか全然わからない」「労働者間での競争を求められて、一人ひとりが孤独になり仲間がいない」「頑張ってキャリアアップをしたいと思っても、非正規社員のように差別をされている労働者にはそれができない」など、苦痛に感じることがあります。そして最後に、「嫌な仕事なので辞めたい」となってしまいます。しかし、辞めてしまえば失業して生活できなくなるので、嫌々ながらも仕事を続けざるを得ない。こうした状況に陥る危険性が、現実の労働の場面では存在しています。そして、これをどうするかということが、労働組合に課せられた中心的な任務だとみて良いと思います。
ロナルド・ドーア氏の著書である『働くということ-グローバル化と労働の新しい意味』の中で、「能力があり希少な技能を身につけている人口の約30%の人と、残りの70%の人との2極化が起きている」と指摘されていますが、日本では、一度70%のグループに入ると、一生そこから抜け出すことができず、これをどう改善するかということが、「働くということ」にかかわる日本の最大の問題点です。しかも、これは日本だけの問題ではありませんので、国際的な労働問題を取り扱っている機関であるILOでは、1990年代の終わり頃から「ディーセントワーク」という言葉を使って、人間の尊厳に値する労働というものを提言しています。
5.まとめ
ここで、これまでお話させていただいた内容をまとめますと、働くということには、3つの内容があると言えます。1つ目は「自分の所得の確保を超えた社会的意義がある」ということです。働くということは、社会に参加するということであると、頭に入れて頂きたいと思います。
2つ目は、「働く上では、ディーセントな雇用を実現するために、しっかりとしたルールが必要である」ということです。単に働けば良いというわけではなく、特に、現在のような厳しい雇用情勢にある社会においては、しっかりとしたルールを整備しなければならないということです。そのルールの1つは、人間の尊厳を保障するワークルールであり、もう1つは、しっかりとしたセーフティネットです。セーフティネットの中には、全ての人が働けるような仕組みを政策としてつくり出していくことが必要です。
3つ目は、「ルールを形成する際には、働く当事者が参加しなければならない」ということです。つまり、労働者の代表である労働組合がルールづくりに参画することが必要であり、また、労働組合にとってそれが大切な役割だということです。労働組合には、働く場におけるワークルールをつくることと、ソーシャル・セーフティネットを軸にした制度をつくることの、2つのレベルでの活動が求められています。一言で言いますと、働くことを中心にして、労働組合は「社会運動としての労働運動」を展開していかなければならない、ということです。実際に、連合もそういった方向で、様々な方針を決めています。
働くということの意味を考えると、現代の労働組合の課題というものが、鮮明に浮き上がってきます。本日は、みなさんがこれまでに様々な授業で聴いた経済学や社会学などに対する疑問も含めて、お話をさせて頂いたつもりです。今後の講義を聴くにあたっての一助となれば幸いです。本日はどうもありがとうございました。
以 上
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