労働者・労働組合を取り巻く情勢変化と労働組合をめぐる課題について
Ⅰ.開講の辞(岡部 謙治 教育文化協会理事長)
1.連合とその役割:企業別組合からナショナルセンターへ
はじめに「連合」という組織についてご紹介をさせていただきます。「連合」とは、通称「ナショナルセンター」と言われていまして、労働組合の全国中央組織です。1989年に発足、当初は800万人の組合員を有していましたが、昨年の統計では683万人と、残念ながら組織人員が減っています。1989年に発足して約20年になるわけですが、そもそもどのような経緯で「連合」というナショナルセンターが誕生したのか、その背景について簡単に振り返ってみたいと思います。
第二次世界大戦が終わった後、日本を占領したGHQが、日本社会の民主化をはかる一環として「労働組合を積極的に作れ」という政策を展開しました。この戦後の民主化政策が、企業ごとに労働組合が結成されてきた背景のひとつです。
一般的に、一人ひとりの働く者の力は弱いといえます。このため、働く者が団結して、経営者と対等な立場で交渉をして、労働条件(賃金、労働時間等)を改善していく必要があります。こうした機能を、労働組合は基本的に持っています。しかしながら、企業ごとに組織された労働組合、いわゆる企業別組合(単組)では、そうした組合の基本的な役割を果たそうと思っても、どうしても無理な部分が出てきます。例えば、賃金について、仮に一社だけが単独で賃上げをしたとしても、物価が上がってしまえば、実質的な賃金は上がったことにはなりません。また、賃金のなかから、税金や社会保険料が引かれていきますが、経営者に「これらを下げてくれ」と言っても、税金や社会保険料は法律で定められていますので、会社の経営者ではどうにもなりません。ここに、企業の枠を超えた産業横断的な労働組合の組織、いわゆる「産業別労働組合」を組織する必要性がでてくるわけです。
しかし、こうして産業別労働組合ができたとしても、それだけではまだ十分ではありません。先ほど言いました全国レベルで政策・制度、法律を変えていくというところまでやらなくてはいけないわけですから、それに対応した全国レベルの労働組合の組織、いわゆる「ナショナルセンター」が必要になります。かつては世界の情勢、特に東西冷戦の影響もあり、複数のナショナルセンターが存在するという歴史がありました。しかし、働く者の生活を守っていく使命をしっかり全うするためには、労働組合はもっと力を結集させて経営者や政府と対等に交渉していかなければならない。そういう問題意識から、「ひとつになろう」ということで、1989年に統一したナショナルセンターとして「連合」が誕生しました。
2.「働くということ」の意味
今回の同志社大学の寄付講座のテーマは『働くということ―現代の労働組合』となっております。このテーマにかかわって、私なりに「働くということ」についての考え方を述べさせていただいて、全15回の講義への問題提起になればと思います。
(1)国際労働機関(ILO)のフィラデルフィア宣言から
ILOは、皆さんご存じだと思いますが、国際労働機関のことです。このILOの第26回総会が1944年にフィラデルフィアで開催され、今も変わらず労働運動の原点を示す有名な文書(「フィラデルフィア宣言」と呼ばれている)が提言されています。この宣言の中で私が最も重要だと思う文章は次の三つです。一つは「労働は商品ではない」ということ、もう一つは「一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である」こと、そして最後に、「労働者および使用者の代表が、政府の代表と同等の地位において、決定にともに参加する」こと、この三つです。この文章が宣言されたのは1944年ですから、第二次世界大戦がちょうど収束に向かいつつある時です。二度とこのような戦争の惨禍を繰り返さないように、戦争の原因になるような社会不安、つまり不正や窮乏等をもたらす劣悪な労働条件を、この地球上の社会から無くしていこうということを願った宣言なのです。
この宣言が出されてから60年以上の月日が経つわけですが、わが国ではまだこういう社会は実現できていないと思います。むしろ近年の日本の状況はこの宣言の対極の方向に向かっているとさえ言えます。すなわち、日本社会は戦後の高度経済成長をなしとげたものの、バブル崩壊以降、市場原理主義的な経済政策が推進されるとともに、今日の世界不況のなかで、社会不安が非常に強まっているのではないかと思います。しかし、かつての日本社会は戦前、戦後を通じて非常に発展し、とりわけ戦後は目覚ましい復興を遂げてきたわけです。したがって、まずこの日本の復興の原動力になった仕組みはどのようなものだったのかを振り返り、そうした歴史について、日本の雇用の現況について説明し、最後に労働組合の役割について考えてみたいと思います。
(2)高度経済成長を支えた労働や生活の仕組み
戦後日本における高度経済成長の原動力となった生活および働き方の仕組みはどのようなものであったかというと、「男性が働いて稼いだお金で家族を養っていくという仕組み」の影響がものすごく大きかったと思います。その背景には、「職域毎に、行政が政府と一体となって、業界や企業を保護していく仕組み」、つまり政官業が一体となって、業界や企業を保護していくことがあったと思います。そして、その保護された業界や企業が、家族の稼ぎ主である男性を雇用して、稼ぎ主である男性が妻や子どもを養うという仕組みでした。この男性稼ぎ主の家族中心主義というのが、一方では「男は仕事、女は家庭」という働き方や、ものの考え方およびライフスタイルに強く影響しました。しかしこれが戦後日本の経済を発展させてきましたし、人々の生活の安定を提供してきたことも事実なのです。
(3)分断社会の到来と労働運動:ワークルールの必要性
ところが、グローバル化の波の中で、このような仕組みが通用しなくなってきました。この点を雇用労働に焦点を絞って説明しますと、例えばかつて日本的経営の特徴とされた長期的雇用慣行(終身雇用)がどんどん衰退しており、あわせて労働者の雇用形態についても、非正規等の雇用形態がどんどん増えてきています。相対的に安定した地位を確保している正規労働者と、パート・派遣など不安定な地位にある非正規労働者の間に所得格差として亀裂が広がっています。正規労働者も300万円未満が30%に及んでいることから正規の内部でも亀裂が広がっています。このような複雑的な社会的亀裂が多方面で起きているのが、現在の日本社会だと思うのです。
こうした「分断社会」が到来した今、何が必要なのかというと、実は労働運動だと思っています。つまり「ワークルール」を作ること、制度としては「社会保障制度」を作っていくことが、私たち労働組合の大きな役割ではないかと思います。例えば非正規労働を活用するにしても、ルールに基づいて活用するという意味でのワークルールや、社会保障制度の整備が大事だと思います。
(4)「働くということ」は生きる場を得ること:分断社会における労働組合の役割
人は何のために働くのか。この問題にかかわって、数年前によく読まれた本に姜尚中さんの『悩む力』があります。人が「働く」という行為のいちばん底にあるものは、「社会のなかで自分の存在が認められる」ことであると、この本の中で姜さんは述べております。
姜さんはこれを「承認の眼差しを向けること」と言い、この「承認の眼差し」を「アテンション」という言い方で表現しています。つまり「他者からのアテンション」であり、そして「他者へのアテンション」が大事だということです。ですから、この「アテンション」を抜きにして「働く」という行為はあり得ないし、また、いま就いている仕事が彼ら・彼女らにとって夢を実現するものであるものなのかどうかは、その次の段階の話だということなります。これが、姜さんが問題にした「アテンション」です。
私も、「働くということ」の一番底には姜さんが言うような「承認の眼差し」(他者からのアテンション)があると思います。しかし、グローバル競争は、雇用や社会保障から排除される人々をどんどん増やしていき、そうした人々の間に、生活不安に加えて、「寄る辺のない孤立感」を強めつつあります。つまり、「働く」ことを通じて「自分の存在」を証明することが難しくなってきているのです。
日本における労働組合の役割は、こうした事態を直視し、「働くということ」を通じて「生きる場」を得られるような制度を社会の中で作っていくことにあるのではないか。そこに労働組合の存在意義を見出していきたいと思っております。
(5)「労働を中心とした福祉型社会」をめざして
連合は今、めざす社会像を「労働を中心とした福祉型社会」として、運動をすすめています。そして、この目標を実現するためには「希望と安心の持てる社会づくり」が必要だと考えています。これはどういうことなのかと申しますと、(ア)誰に対しても雇用機会が与えられ、その前提として教育を受ける権利があること、(イ)就業を開始した後は、「やむを得ず就労の場から離脱していかざるを得ない時」に休業保障があり、治療を受ける機会や、職業訓練の機会が与えられ、再び就労の機会が与えられる。大多数の人が就労の機会が得られること、つまりセーフティーネットがしっかり設定されていること。そういう「大多数の人が就労できる」、あるいは「社会に参加できる」、「排除のない」社会を実現できれば、「労働を中心とした福祉型社会」が立ち現われてくると考えています。
以上、私の問題意識に即して「働くということ」についての考えを申し上げました。これから社会に出て行かれる学生の皆さんには、この連合寄付講座を通じて「労働組合・労働運動とは何か」、そして「『働くということ』は何か」ということについて理解を深め、そして、自分でものを考える力を培っていただければと思います。有り難うございました。
Ⅱ.労働者・労働組合を取り巻く情勢変化と労働組合をめぐる課題(南雲弘行 連合事務局長)
1.「働くということ」を考える
(1)「働くということ」の原体験
私は東京の浅草の出身で、父親は日本冷蔵(現在のニチレイ)で氷作りの技術者をやっていました。しかし、それだけでは私と兄、育ち盛りの二人を育てられないということで、母親が石鹸箱を作る内職をしていました。当時は「よく働いているなあ」という印象を持ちましたが、今、振り返ってみると「働くということ」はこういうことだと教わったのはその時だったと思います。つまり今話題の著書『坂の上の雲』の中に、「食うだけは食わせろ。それ以外は自分で何とかおしい」という文章が出てきますが、当時はまさに「そういう時代だった」と思います。
中学卒業後は、そうした幼少期の体験があったせいか、東京電力の企業内学校に入る道を選びました。この企業内教育では、皆さん方が高校でやったような勉強をしながら、電柱の建設・補修の仕事を通じて技術を修得させていただきました。私は、小さい頃から算盤などをやっていたので、銀行員になるのかなと自分では思っていましたが、まさか技術屋になるとは思いませんでした。ともかく、東京電力の企業内学校で3年間、柱を建てたり、電線を張ったりといった仕事をしながら勉強しました。
(2)「働くということ」と労働運動
このように、東京電力の企業内学校に入って「技術屋」になる生き方を選んだのですが、結局、労働組合の活動に入って行きました。一体、どのような経緯で労働組合に入っていったのかについてお話します。
東京電力の企業内学校を卒業した後、私は東京23区のひとつである江戸川区の事業所に配属されましたが、入社後、間もなく事故に遭いました。6月26日、今でもこの日にちだけは覚えていますが、一緒に入った同期が運転する車に乗っていた時に事故に遭い、左腕を複雑骨折しました。全治3ヶ月間の入院をして、さらに、3年半、要管理者の対象になりました。この間、私を除いた同期の者は全員現場にいて、技術を修得するために研修を受けているわけですが、私はそういう所に出ていけませんでした。「技術屋として会社に入ったのに、この間、事務屋をやらなければならない」「同期は毎日技術の向上をはかっているのに、私は全然できない」。このような状況の中、「このままでは駄目だ」「自分を変えなければならない」と覚悟しました。ちょうどその頃、労働組合の青年部活動に触れて、この活動をとおして、「どんな形でもいいから人の役に立ちたい」という思いが実現できるのではないかと思うようになりました。
この青年部活動は、東京電力の労働組合本部だけでなく、各事業所の組合支部にも設置されていました。仕事が終わった後や、土曜日、日曜日に研修会を受け、その研修に基づいて皆さんに歌を教えるとか、ゲームを一緒にやるとか、そういう支援活動をおこなっています。一番想い出があるのは、ハワイでキャンプをやった時で、我々自身でテントをはることができるのに、現地の労働者にはってもらうという条件の下で、キャンプをやりました。
この青年部活動はそれなりに楽しかったのですが、ある時、組合の役員の大先輩が来て、「お前、いつまで青年部活動をやっているのだ。もう年もとってきたし、そろそろ辞めろ」といわれました。そして、「青年部活動は辞めて、組合本部の役員になってみないか」と、要請されました。これをきっかけに、本格的に組合活動に関わるようになったのです。
2.労働者・労働組合を取り巻く情勢について
(1)高度経済成長期の日本:その当時の労使関係
1955年の閣議決定によって、「経済の自立」と「国民生活の向上」をはかるために、経営者、労働者、ならびに学識経験者の三者構成による「日本生産性本部」が設立されました。この日本生産性本部が「生産性運動」を進めました。いわゆる「生産性三原則」という言葉を使って、「雇用の維持・拡大」と「労使の協力と協議」、そして最後の三つ目に「成果の公正配分」を掲げて、「成熟した労使関係」を軸に「豊かな労使関係」をつくっていこうというスローガンを掲げました。頑張って成果を上げれば雇用が守られ、賃金も上がるということです。そうした信頼体験がしっかりと出来上がっていたのが当時の状況であり、そうした時代状況の中に「日本的経営」の強みがあったのではないかと思います。そういう意味では経営側も、組合側もこの当時、健全な労使関係を構築するために努力を重ねてきました。
(2)バブル崩壊後に起きたこと:新自由主義の台頭と労働分配率の低下
しかし、近年、特にこの10年、先ほど言った生産性三原則の三つ目にあたる「成果の公正な配分」が低下してきています。労働者が働いた対価、すなわち報酬として成果が労働者に回ってきていないということです。では、労働者が協力して得られた成果は一体、どこに回っているのか。それは役員報酬や株主配当、または企業の内部留保に回されています。せっかく労働者が協力して成果をあげても、労働者側に配分がないのであれば、生産性向上に協力するというインセンティブがなくってしまう。この点が今、一番大きな課題になっていると思うのです。
(3)格差社会の問題
それは働く側の労働法制の緩和にも及んでいます。この規制緩和の結果、例えば派遣やパートという、正社員ではない人たちが大変多くなっています。一昨年の年末年始に東京の日比谷公園に「派遣村」ができたことが大きく報道されましたが、そういう状況を生み出してしまったということが今、一番大きな問題となっているのではないかと思います。
この点に関わって、最低賃金は現在、一番安い地域で600円台、東京、京都などの高い地域では700円台となっています。これを今、連合としては最低でも、時給1000円を目指しています。もし時給1000円が実現できたとしても、年間2000時間働いてやっと年収200万円です。ですから、この最低賃金をもっと引き上げていく必要があるし、皆さん方にも是非、労働組合の活動や運動、そして政策に期待をもっていただきたいと思います。皆さん方は今、学生の立場だから労働組合とは関係ないということではなく、これから先、自分が働くことになった時に最低賃金というのは大きな影響を及ぼします。ですから、この最低賃金の問題をきっかけに、労働運動についてもっと関心を持っていただきたいと思います。
3.労働組合と政治のかかわり
(1)悲願だった政権交代
戦後日本の政治は、基本的に自民党が一貫して政権運営の中心をなしてきました。そのため、先ほどお話しした規制緩和は間違っているのではないかと、私たちの支持政党の民主党(当時野党)に言っても、政策実現にはなかなか結び付きませんでした。しかし、昨年8月30日の国民の投票によって民主党政権が誕生して以降、連合の政策が大変多く取り入れられております。つまり民主党に政権が代わったことによって、労働側に風が吹いてきているのです。この追い風に乗って、連合は「働く者」に目線を当てて、「働く者の尊厳」を守る、つまり「安全で、安心して働くことができる」、「将来に安心が持てる」、そういう「労働を中心とした福祉型社会」を作っていこうと思っております。
(2)政治活動を通じた取組み
今、連合が大変重要視して取り組んでいることのひとつは、労働者派遣法の見直しです。これまでの規制緩和によって、正規ではなくて、非正規が増えましたが、これからはそういう状況を改善するために、緩和ではなくて、「あるべき働き方のあり方」を念頭に置きながら規制を強化するという方向で法律を見直していきたいと思っております。
また、今年9月に経済界が主催するAPECの首脳会議が日本で開催されますが、これに対抗してナショナルセンターである連合を含めた労働組合の会議も開催してほしい、と総理官邸にお願いしています。今までは連合の役員をやっていても、総理官邸に入るチャンスはありませんでしたが、民主党が政権与党になって以降、鳩山総理と古賀会長、そして私(南雲事務局長)を含めたトップ会談が3、4ヶ月に一回開催される等、定例の会議を通じて総理官邸に入れるようになりました。そういう意味では、連合の政策提言が以前よりも通りやすくなったことが、政権交代によって大きく変わった点だと言えます。
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