『私の提言』

奨励賞

能力主義社会における労働組合のあり方を考える

吉田 圭佑

1.はじめに

 「VUCA時代」と呼ばれるいま、先行きが不透明で将来の予測が困難な社会状態においては、会社のなかで経験を積めば積むほど、時間を経れば経るほどおのずと能力が高まるはずだという年功主義的な人事評価から脱却し、成果とそれに紐づくチャレンジのプロセスを評価しようとする能力主義的な考え方に変わってくることは、もはや止めようのない流れである。一方で、旧来から日本企業において特徴的であったメンバーシップ型雇用については「古臭いしくみ」として見られているきらいがあり、もの言う株主や若い労働者からは敬遠されているところがある。こうした流れのなかで、一律で平等な労働条件を求めるような旧来の「守り」が主眼に置かれた労働組合のあり方は、もはや時代遅れになってしまったのであろうか。
もちろん、春闘等でのベースアップにおける交渉という点でその役割は一定程度果たしていることは確かである。とりわけここ数年は物価高による生活苦が目につくようになり、2022年から2023年にかけては2%~3%とも言われるインフレ率を記録しているなかで、2023年の春闘における平均賃上げ率は3.69%(ニッセイ基礎研究所調べ)と、ベースアップを行った企業は一定数存在していたようだ。
 一方で、能力主義的な人事評価制度のなかでは、労働組合の交渉による報酬の増加よりも、個々の努力による人事評価アップによる報酬の増加のほうが大きい局面も増えてきており、組合活動を積極的に行うモチベーションに影響が出て、労働組合の形骸化が懸念されるおそれがあると言わざるを得ない。こうした流れのなかで、労働組合は一律で平等な労働条件を求めるスタンスからもう一歩踏み込んでいく必要があるのではないかと私は考える。たとえば、能力主義的な賃金決定において予想される不公平さ・不公正さに焦点を当て、その救済措置として機能する制度設計の提案を会社に対して行うところまでを担うべきではないかと考えるのである。
 能力主義的な賃金決定においては人事評価が大きなファクターとなる。しかし、人事評価はその人の置かれた環境に左右される場面が多く、全社で統一して完全に客観的な評価をつけることはほぼ不可能と言わざるを得ない。こうした不公平さ・不公正さに対して、人事部門が取る是正アプローチは、評価基準の言語化やアセッサーの多層化といった手段によって、評価制度そのものを改善しようとする方向で動くことになる。しかし、どうしても制度というものに100点満点のものは存在しないので、必ずそのひずみとして「割を食う」社員が出てくることは否定できない。例えばこうした社員の救済措置として必要な措置を労働組合として提案することは、これまで担ってきた一律で平等な労働条件を求めるスタンスと乖離するものではないだろう。
 本論文では、上記の前提に立ち、あらためて労働組合の伝統的な役割を整理しながら、現代的な能力主義に紐づく人事制度のもとで果たすべき労働組合としての新たな役割を示すことを試みる。またその過程で、提示すべき具体的な方向性についても検討していきたいと思う。

2.労働組合の伝統的な役割

 日本における組織的な労働組合のあり方は、1897年に高野房太郎らが労働組合期成会を結成し、世の中に対して労働者の団結を広く呼びかけたことに始まる。それ以前にも個別的な労働争議は発生していたが、あくまで単発的な課題解決の手段にすぎず、継続的に労働条件の改善を求めるような運動ではなかった。戦前の労働組合の大きな特徴は、現在のような企業別の組合が主流ではなく産業別に組織されるものだったこと、ブルーカラーが中心となった組織だったことが挙げられる。これは、当時の労働者に対する待遇が十分ではなく、年少者の就業制限や労働時間の制限もなかったことから、基本的な労働条件を改善する必要性が高かったことに起因する。ゆえに労働組合の機能は資本家との交渉による「労働者の人権保護」という側面が大きい。ところが、戦後になるとGHQ体制のもと労働組合法・労働関係調整法・労働基準法が相次いで制定されたことで「労働者の人権保護」の地盤が整ったことから、労働組合は「労働者の人権保護」という最も基本的な役割からさらに踏み込んで、賃金のベースアップが関心事となった。ここで注目すべきは、戦前まで産業別の労働組合が主流だったところが、企業別に組織されるようになっていった点である。これは、戦後の占領政策を担ったGHQのねらいとして、労働組合が共産主義化することを防ぐことが目的だったとされる。この結果、もし産業別の労働組合であれば、同業の競合企業に属する労働者は同じ階級に属する仲間となるが、企業別に組織されたことによって、そのような連帯感は生じなくなり、終身雇用の慣例とあいまって、むしろ会社への帰属意識が高まるようになった。すなわち、労働条件改善のためにストライキを起こした場合、自らが勤める企業にとってはダメージとなり、競合企業を利する動きとなってしまうため、単独でのストライキという選択肢はとりにくい。そのため、「春闘」のような横並びで穏やかな団体交渉が主流となっていった。
 そして近年になると、終身雇用と年功序列をベースとした雇用体系が崩れはじめ、能力と成果に応じた人事評価に紐づいて賃金を決定していくあり方が主流となりつつある。これは経営者の視点からみれば、従業員のパフォーマンスに応じた報酬を与えることで生産性を高めようとすることがねらいだが、労働組合の役割という視点からみれば、一律で平等な労働条件を求めるようなこれまでのあり方の一辺倒では時代にそぐわず、その役割の方向性を考え直す必要が出てきたと言えるのではないだろうか。もちろん、賃金のベースアップを求め続けるという従来的な役割の重要性は変わらない。しかし、労働組合の活動は従業員のなかからその担い手を出す以上、もし労働組合の活動による賃金のベースアップよりも、自らのパフォーマンスを高めることによる評価アップのほうが報酬に跳ね返るとすれば、労働組合の活動に注力する意義を見出しにくくなり、活動が形骸化するおそれがある。
そこで、私は労働組合の役割として、これまでの「一律で平等な労働条件を求める」というスタンスを延長して「平等な労働条件を得るためのプロセスをサポートする」という役割を新たに提示したいと思う。すなわち、能力主義的な人事評価で生じる不利益を考慮して、その制度設計に対して救済的な制度を提案するという機能を労働組合が果たすことで、その存在意義の形骸化を防ごうという試みである。次章以降では、具体的にどのような救済的な制度の提案がありうるのか、評価制度を俯瞰しながら検討していきたいと思う。

3.評価における不公平さ・不公正さ

(1)評価とはなにか

 多くの組織では、個々のパフォーマンスを評価する手段として人事評価が行われている。この人事評価を目的から整理すると「処遇基準」と「能力開発」の二つに分けることができるだろう。前者は、評価対象者の役職や基本給・賞与額を決定する基準としての機能であり、程度の差こそあれ、評価の高低によって生じるグラデーションを通じて仕事へのモチベーションを維持・向上させようとするものである。後者は、個々のパフォーマンスを一定期間ごとにフィードバックして、今後のキャリアステップに必要な能力開発の達成度合いを測る機能であり、自身の長所・短所を主観・客観の両面から振り返ることで、より個々のパフォーマンス高めていくためのものである。
 「処遇基準」と「能力開発」のそれぞれの目的についてどちらに比重を置くかは各企業のスタンスによるところが大きい。厳密に言えば一般化できるものではないが、外資系企業や新興企業の多くにおいては「処遇基準」に評価の力点が置かれているように思う。これは採算性が悪い事業であれば早期に縮小・撤退をしなければならないことを前提として、生産性の高い人材をスピーディーに登用したいという期待があるためである。一方で、伝統的な日本企業においては「能力開発」に評価の力点が置かれているように思う。これは終身雇用を前提として、有能な管理者・経営者になるために様々な経験を積ませ、周囲と協調しながら組織や自分自身の能力を少しずつ培っていってほしいという期待があるためである。どちらがよりよいか、ということを現時点で明言することは非常に難しいが、いずれを重視するにしても、この「処遇基準」と「能力開発」という二つの機能を適切にワークさせることで、会社として求めている人材像を社員に対してシグナリングし、より強固な組織を形成していくことにつなげることができるのである。

(2)評価における“格差”

 近年の大きな潮流としては、日本においても終身雇用を前提とした年功序列の賃金制度から脱却し、職務遂行能力に応じて社員を適切な資格等級に格付けし、生み出した成果と合わせて評価していこうとする人事制度の設計が進んできている。こうした能力主義的な人事評価のあり方は、結果の平等よりも機会の平等に力点が置かれていることから、一見するとそれだけで個々のモチベーションを高め、生産性を向上させるスキームとして機能するように思われる。しかし能力や成果を評価するにあたって、純粋に能力と成果を相対的な尺度で正確に評価することは難しく、所属している部署や自身が担当するクライアント、サービスの状況によって「評価格差」が生まれることはどうしても避けられないのが実情なのではないだろうか。
 たとえば営業部門の場合、セールスすべき商品やサービス、担当するクライアントや業界によって求められる能力は必ずしも一定ではない。そのため、同じ会社の同じ営業部門であったとしても、成果に結びつく能力の要素には違いが生まれることとなる。仮に同期入社のA氏とB氏が両方とも同レベルの高い英語コミュニケーションの能力を保有しているとしよう。A氏の担当クライアントでは、英語によるコミュニケーションをまったく必要としない。ゆえにその能力は評価される機会を持たず、別の尺度で評価を受けることになる。一方でB氏は高い英語コミュニケーションが求められるクライアントを担当し、その能力を生かして活躍した。当然それ相応の良い評価を受けることになり、結果としてA氏とB氏では処遇に違いが出てくるが、もしA氏とB氏のポジションが逆であったならば、その処遇は逆転していたかもしれないのである。すなわち、その人が持っている能力に適した業務を担当していなければ、その能力が成績に結びつきにくく、結果として評価に格差を生んでしまうことにつながる。
 こうした「評価格差」は、どんなに評価基準を明確に言語化したとしても、置かれた環境や評価者の違いによってその人が活かすことのできる能力の違いが生じるものであるから、制度設計の精緻化だけでは避けることが難しい。むしろ、評価制度を精緻化しようとすればするほど評価基準は複雑化し、かえって評価者にとって都合のいい尺度だけを切り出して評価をつけることにつながりかねない。
 こういった観点から、評価制度そのものを修正する方向にフォーカスするのではなく、むしろ救済的な措置を設計するという提案を試みるべきだと考えている。とはいえ、ただ「労働組合として人事制度の生むひずみに対する救済としての措置を考えるべし」と方針を述べるにとどまるだけでは、まったく実効性を持たないと考えるため、次章では、人事制度の生むひずみに対する救済措置の具体的なあり方についても検討してみたいと思う。

4.チャレンジシステムの導入

 「チャレンジシステム」とは、主にプロスポーツ競技において、審判の判定に対して異議がある際にビデオ判定を要求できるシステムのことを指す。人間の目だけでは正確に判定しにくい状況において、ビデオという客観的なエビデンスを伴うシステムを用いることでより正確なジャッジをもたらし、プレーしている選手やそれを応援している観客にとって納得性の高いものとなることが期待されている。もしこれを会社員に適用するとすれば、さすがにビデオ判定というわけにはいかないものの、標準以下の評価を受けた者で、その評価について不服がある者についてチャレンジ権を付与し、社内の第三者に対してエビデンスを伴う自分の実績や能力をアピールする機会を設けるという運用が想定される。被評価者が社内の第三者に向けてアピールする機会をつくることで、よくある評価制度の問題点として挙げられる「個人としての能力は評価するが、部署全体の数字がふるわないため評価が上がらない」といった不公平な現象を防ぐことが期待できる。もちろん、労働者側だけでなく、会社側としてもメリットはあるはずだ。それまで第三者に対するアピール手段としては「転職」がメインだったところ、社内にアピールするチャンスをもつことで、もしポストに空きがあれば公募による移動の可能性も視野にはいってくるため、人材の社外流出を防ぐことにもつながる。加えて、こうしたアピールの場を設けることで、評価そのものへの納得性の向上、「飼い殺し」の防止によるモチベーションの向上といった効果が期待でき、結果として個々の労働者の生産性向上が期待できるのではないだろうか。

5.おわりに

 近年では、欧米を中心にタレントマネジメントの考え方や制度設計が整備されるようになり、評価制度を中心に、社員に対する処遇のあり方が会社主導で決定されるようになってきている印象がある。皮肉なことに、日本において先進的な人事評価システムを導入できているのは、労働組合が比較的パワーをもっていない会社なのである。そういった意味では、かつて労働組合の役割と思われてきた「一律で平等な労働条件を求めるスタンス」は、現在主流となってきている能力主義的な人事評価のあり方とはそぐわなくなってきていると言えるのかもしれない。しかし、それは労働組合の機能が後退していってしまうことを意味するものではなく、本論文で示したように、労使間における制度設計の対等な決定をサポートする役割として救済的な制度を提案するなど、「いま」の時代に即した積極的なはたらきかけを行っていくことでその存在意義を示し続けることができるはずだ。これは、いままでのメンバーシップ型雇用におけるやり方を維持・延長しようとしていく「守り」のスタンスでは実現することが難しく、積極的に会社と対話し、従来までのやり方にとらわれず、新たな視点でよいあり方を提案しようとする「攻め」のスタンスが必要となる。そこには多少の冒険も必要で、失敗を繰り返しながら組織にあった人事評価制度のありかたを見つけていく必要もあるだろう。そうした前向きなはたらきかけの姿勢こそが、個々の労働者にとって労働組合に参加する意義を見出すことにつながり、その活動を盛り上げ、よりよい働き方をつくっていくことにつながるのではないだろうか。


【参考文献】

  • 中村圭介(2019),『連帯社会の可能性』(全労済協会)
  • 久保淳志(2013),『人事考課と多面評価の実務 第2版』(中央経済社)
  • 窪田千貫(2014),『部門別・チーム別ミニ独立 採算による 月次変動損益決算制の進め方』(中央経済社)
  • 二宮清純(2001),『勝者の思考法』(講談社現代新書)
  • 武田晴人(2008),『仕事と日本人』(筑摩書房)
  • 遠藤公嗣(1999),『日本の人事査定』(ミネルヴァ書房)
  • 石田光男(2003),『仕事の社会科学―労働研究のフロンティア』(ミネルヴァ書房)
  • 熊沢誠(1997),『能力主義と企業社会』(岩波新書)
  • 高橋潔(2010),『人事評価の総合科学—努力と 能力と行動の評価』(白桃書房)
  • 今野浩一郎,佐藤博樹(2009),『人事管理入門 第2版』(日本経済新聞社)

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